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2023/03/17

佐々木喜善「聽耳草紙」 四番 蕪燒笹四郞

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本はここから。]

 

    四番 蕪燒笹四郞

 

 或る所に蕪燒《かぶやき》笹四郞といふ極く貧乏な、そのくせ、働き嫌ひな男があつた。日々每日(ヒニチマイニチ)蕪ばかり燒いて食つて居るので、誰言ふとなくさう謂ふ名前がついて朋輩どもも見るに見兼て居た。

 或る日の夕方何處から來たか一人の旅の女が、笹四郞の家の玄關に立つて、今晚一夜泊めてクナさいと言つた。笹四郞は俺の所には食ふ物も飮む物も無いから、外の家さ行つて宿を乞ふて見ろと言つた。すると其女は、例へ飮むものも無くてもよいからどうか泊めてクナさいと言つてきかなかつた。笹四郞も仕方がないから、ほんだら泊れと言つた。女は其晚泊つたが、それから其翌日も其次の日も立つフウがなかつた。さうして笹四郞と夫婦になつた。

 其女は極く々々利巧な才智のある女であつた。良人がさうして每日蕪ばかり燒いて食つて居るのを見て、これは困つたことだ。何とかして一人前の人間にしたいものだと思つて、自分の衣類や髮飾等を賣拂つて旅金《りよぎん》を作り、これこれ此金を持つて何處へでもいゝから行つて一仕事して來てがんせ。そのうち私は此家に待つて居るからと言つた。笹四郞もそんだら俺もさうするからと言つて家を出て行つた。ところが其日の夕方ぶらりと家へ戾つて來た。そして俺はどうしてもお前が戀しくて旅には出られないから還つて來たと言つた。それでは私の繪姿を畫《か》いてやるからそれを持つて行つたらよいと言つて、女房は自分の姿を繪に畫いて夫に渡した。

 笹四郞は女房の繪姿を持つて再び旅に出た。途中も女房が戀しくて堪らず、懷中(フトコロ)から繪姿を出して見い見い行つた。そして或る峠の上でまた出して擴げて見て居ると、ぱツと風が吹いて來て姿繪をバエラ吹き飛ばしてしまつた。笹四郞はこれは大變だと思つて、泣くばかりになつて其處邊《そこらへん》をいろいろと探してみたけれども、如何《どう》しても見付からなかつた。仕方がないから復《また》女房の許へ戾つて來た。女房はお前がそれほど妾《わらは》を戀しいなら何處へも行かないで、家で草鞋《わらぢ》でも作つて居てがんせと言つた。笹四郞は喜んでそれではさうすべえと言つて、女房の側《そば》にいて、每日々々草鞋を作つて居た。[やぶちゃん注:「バエラ」「ばっと」のオノマトペイアの方言であろう。]

 笹四郞が女房の繪姿を風に攫はれた翌日、所の殿樣が多勢の家來を連れて其の峠を通つた。高嶺に登つて眺めると餘り景色がよいものだから、四邊の景色に見惚れて居た。すると或る木の枝に美しい女の繪姿が引懸つてゐるのを見付けた。あれは何だ。あれを取つて來いと家來に言ひつけて、手元に取り寄せた。殿樣はそれを見て、世にも斯んなに美しい女があるものか、誰か此女を見知つて居るものはないかと言つた。すると家來のうちに、それは此峠の下の蕪燒笹四郞と云ふ者の女房であると言ふ者があつた。それでは其女を見たいと言つて俄に用事を變へて、笹四郞の家へ寄つた。寄つて見ると、其の女房は繪姿にも增さる美女であつたので、厭(ヤンタ)がるのを無理やりに自分の駕籠に入れて、お城へ連れて行つた。

 笹四郞はたつた獨りになつて心配して居た。其所へ朋輩が來て、笹四郞お前は何をそんなに心配顏をして居ると言つた。笹四郞は斯々《かくかく》の譯だ、ナゾにすべえと言ふと、朋輩はそれでは俺の言ふ通りにして見ろと言つて、ある智惠を授けた。

 笹四郞はその翌日、ボテ笊《ざる》に柿や梨の實等を入れて擔いで、梨や柿やアとフレながら殿樣のお城へ行つた。笹四郞の女房はその聲を聽きつけて、はてはて自分の夫の聲に似たなアと思つて、柿賣の男を見たいと殿樣に言つた。何でもかんでも女房の言ふことは聽く殿樣だから、そんだらその柿賣をお庭に廻せと家來に言ひつけた。女房は柿賣り[やぶちゃん注:ここ以降では「り」を送っている。]の入つて來たのを見ると如何にも自分の夫であつたので思わず莞爾(ニツコリ)と笑つた。[やぶちゃん注:「ボテ笊」「ボテ」は「ぼてふり(棒手振り)」の略で、その「てんびん棒」で擔(かつ)ぐ笊籠を言う。]

 今迄どんなに機嫌を取つても、なぞな事をしても、笑顏を見せなかつた女が初めて笑つたので、殿樣はこれは此女はあんな裝(フウ)な物賣りの姿が氣に入るんだなと思つた。そこで喜んで、こりや柿賣屋お前の衣物も道具も皆此方《こつち》さ寄こせと言つて、笹四郞から衣物《きもの》だの物賣り道具などを取上げて御自分の體に着たり持つたりした。それから自分の立派な衣裳をば笹四郞に着せて、自分の居座《ゐぐら》にすわらせた。そして御自分で柿の入つたボテ笊を擔いで、はい柿や梨やアと物賣りのまねをして、庭中《にはぢゆう》を彼方此方と步いた。それを見て女房は大層可笑しく思つて體を屈めて笑つた。すると殿樣はまた大きに興に乘つて、果ては道化《だうけ》たまねまでして、いよいよ大聲に叫んで、屋敷の中を彼方此方と步き廻つた。其時笹四郞は女房に敎へられて斯う聲をかけた。狼籍者がまぎれ込んだア。早く外へ追ひ出せ追ひ出せと言つた。其の聲を聞きつけて多勢《おほぜい》の家來共が走《は》せて來て、厭がる殿樣を城の外に追ひ出した。

 さうして笹四郞夫婦はとうとう[やぶちゃん注:ママ。]其のお城の殿樣となつた。

  (同前の三)

[やぶちゃん注:「王子と乞食」型の昔話である。柳田國男は「炭燒小五郞が事 八」及び同「一〇」でも、この話に言及している(リンク先は私のブログの電子化注)。

「同前」はと、前の前の話柄の附記(情報提供者その他)を指示する。]

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