早川孝太郞「三州橫山話」 草に絡んだこと 「かわ茸のシロの噺」・「人の恨みを嫌ふ椎」・「笑ひ茸をとつた男」・「毒茸のクマビラ」・「萬年茸(靈芝)の生へる處」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。太字は底本では傍点「﹅」。]
○かわ茸のシロの噺 かわ茸《たけ》は、秋、松茸より稍《やや》早く北向の雜木林に生へる[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]と謂ひますが、生へるところをシロ(代)と謂つて、シロ以外には生へるものではありません。それですから、代を知ってゐる者は、自分のシロを他の人には覺《おぼえ》られない用心に、採りに行くときは、直接シロのある處へは行かないで、とんでもない方向違ひの所から、林の中をシロのある所へ近づいて行くのです。歸る時も同じようにして來るものです。私が子供の頃、村に居た弘法米と云ふ爺さんに連れられて、かわ茸を採りに行つた事がありましたが、途々爺さんの話に、村の者は、北向《きたむき》の山にしか生へないと思つてゐるけれど、そんな事はないものだ、自分はもう年を老《と》つて、近い内に死んでゆく體《からだ》だから、シロを敎へて置くと謂つて、軈《やが》て連れて行かれた所は、南向の暖かい山で、其處には、見事なかわ茸が、ずつとウネをなして、齒朶《しだ》の中に生へてゐました。
此爺さんが死んでから、私はコツソリ三年程、コヽでかわ茸を採りました。
[やぶちゃん注:「かわ茸」表記はママ。担子菌門真正担子菌(菌蕈)綱イボタケ目マツバハリタケ科コウタケSarcodon aspratus の異名。平凡社「世界大百科事典」によれば、笠の裏に剛毛状の針が密生しているのを、野獣の毛皮と連想して「カワタケ」(皮茸)と名づけられ(だとすれば、本文の「かわ茸」というのは、歴史的仮名遣では「かはたけ」が正しい)、それが訛って「コウタケ」となった、とする(「香茸」の漢字も当てるが、実はこちらはシイタケ(菌蕈綱ハラタケ亜綱ハラタケ目キシメジ科(又はヒラタケ科、或いはホウライタケ科、或いはツキヨタケ科)シイタケ属シイタケ Lentinula edodes)に対して漢字名として宛てられたもので本種を指すものではない)。傘の径は十から二十五センチメートルで、深い漏斗状を成し、中央部には茎の根元まで達する深い窪みがある。表面は淡紅褐色で、濃色の大きなささくれがある。傘の裏面の針は〇・五から一・二センチメートルで、灰白色、後、暗褐色に変わる。胞子は類球形で疣状の突起がある。食用可能であるが、生では中毒を起こす危険がある。
「シロ(代)」「田地」の意を「茸の生える場所」として隠語で言い換えたものであろう。
「弘法米」「こうぼふよね」か。通称のように思われる。
「ウネ」畝・畦。「かわ茸」の生えている部分が周囲の地面より有意に高くなっているのであろう。]
○人の恨みを嫌ふ椎 椎茸は、人に恨みを受けた者や不運な男が培養したのでは、出ないと謂ひます。
明治二十年頃、瀧川村の瀧川源三郞と云ふ男が、永い間、椎茸の培養に苦心した結果、非常な豐作を得るやうになつたさうですが、其頃同じ村の某の男の培養したものは少しも生へないので、妬《ねた》ましく思つて、自分が金力のあるを笠に着て、無理矢理に共同を申込んで、二人合同で培養すると、其年は又、稀な豐作であつたさうです。處が、其後利益の分配の事から爭論して、果は裁判沙汰になつて爭ふと、源三郞と云ふ男は文字が讀めなかつた爲めに、其の男の罠にかゝつてゐて、不利な證書に捺印してあつた爲め、敗訴となつて、多年苦勞して出るやうにしたホダ迄、全部其の男に橫取りされてしまつて、悲慘な生活に陷つたさうです。某の男は翌年から、全部自分の所有になつたホダを樂しみにしてゐると、どうした譯か少しも出ないで、來る年も來る年も、更に出なくなつてしまつたので、ホダが腐つたものと諦めて打捨《うつちや》つて置いた處、幾年か後に、ホダの傍で材木を伐つて、其材木を、ホダの上へ落し出して運搬した處が、一旦腐つたと思つて、見返りもしなかつたホダから、殆ど手もつけられないほど群がり生へたと謂ひました。
椎茸が生へ始めた時は、椎茸小屋へ成べく澤山の人を招いて、椎茸飯を焚いて、大騷ぎして祝つてやると、盛んに生へるなどゝ謂ひます。
椎茸が出なくなつた時は、何でもホダをビツクリさせるやうな事をしてやると生へると謂つて、棒きれでホダを叩いたり池の中へ轉がし落したりしました。
[やぶちゃん注:「ホダ」「ほた」とも言い、「榾木」(ほだぎ)とも称する。椎茸を、その皮の部分から発生させるための木材。椎・栗・櫟(くぬぎ)などの幹を用いる。]
○笑ひ茸をとつた男 村のある男が、秋、かわ茸を採りに行つて、カキシメジと云ふ茸《きのこ》に似た初茸《はつたけ》の澤山出て居たのを採つて來て、家内中で喰べると、暫くしてから家の者が、互《たがひ》の顏が可笑しく見えて來て、果は口から涎《よだれ》を流しながら、ゲラゲラ一晚中笑ひ續けて、翌日は、ガツカリしてしまつたと謂ひますが、採つて來た男の話に、名も知らない茸だから、最初採る氣はなかつたのが、餘り見事に出てゐるので、それを見てゐると、急に欲しくなつて、採つて來たのださうです。
[やぶちゃん注:「笑ひ茸」担子菌門ハラタケ綱ハラタケ亜綱ハラタケ目オキナタケ科ヒカゲタケ属ワライタケ Panaeolus papilionaceus。幻覚作用のあるシロシビン(Psilocybin)を含有する毒キノコとして知られる。当該ウィキによれば、『傘径』二~四センチメートル、『柄の長さ』五~十センチメートル。春から秋にかけて、『牧草地、芝生、牛馬の糞などに発生』し、『しばしば亀甲状に』、『ひび割れる。長らくヒカゲタケ (Panaeolus sphinctrinus)やサイギョウガサ(Panaeolus retirugis)、P.campanulatusと区別されてきたが、これら』四『種は生息環境が違うことによって見た目が変わるだけで』、『最近では同種と考えられている』。六月から十月の『本州に発生し、北海道』や『沖縄の庭の菜園でも観測されている』。『菌類学者の川村清一が古い文献にみられる笑茸を探しており』大正六(一九一七)年の『の石川県』で夫婦が、『栗の木の下で採取したキノコを汁に入れて食べたところ、妻が裸で踊るやら、三味線を弾きだしたやらということであり、 Panaeolus papilionaceus だと同定しワライタケと命名した。その』三『年前の『サイエンス』にはアメリカ、メイン州における男女の中毒例の記載があり、ピアノを弾いたり』、『飛んだり跳ねたり』、『おかしくてたまらず、部屋の花束が自分を巻いているようだというような幻覚が起きたという。この時点では、他にも同様の作用を起こすキノコがあるのではと考えており、ほどなく』、一九二二年に『別の種である』『オオワライタケ Gymnopilus junonius 』が確認された、とある。『幻覚症状シロシビンを含有しているシビレタケ属やヒカゲタケ属のキノコはマジックマッシュルームとして知られているが、ワライタケは一連のキノコよりは毒成分は少ないため』、『重篤な状態に陥ることはない。成分は他にコリン、アセチルコリン』『など。誤食の例は少ない』。『本種を』一『本食した』十一『歳と』、十二『歳の男児には「しびれ・笑い出し」が表』われ、二『時間継続し』、十五『本から』二十『本を食した』三十四『歳の男性には「しびれ・笑い出し・麻痺・呼吸困難」が発生し入院となり、更に「呼吸を忘れる程の愉快な気分」「光る物体、幾何学模様、魚に食べられる体験、湾岸戦争に参加する体験などの幻覚が生じる」といった症状が』十二『時間継続した』。なお、本種は『麻薬及び向精神薬取締法において麻薬原料植物として指定されており、売買は』勿論、『故意の採取や所持も法律で規制されている』。方言では「おどりたけ」とも『呼ばれ、秋田では』、「ばふんきのご」・「きじゃぎじゃもだし」の『方言がある』とあった。]
○毒茸のクマビラ 鳳來寺村玖老勢《くろぜ》の丸山鐵次郞と云ふ男が、山小屋で仕事をしてゐる時、仲間の一人が名も知らぬ茸を澤山採つて來て、明朝の汁の實にすると云つて小 屋の天井へ吊して置いたのを、其男が寢ながらそれを見ると、夜目にもキラキラと光つて見えるので、てつきり毒茸と思つて、翌日は朝早く起きて、一人で別の汁を煮て喰《た》べて、仲間の者の寢ている中《うち》、默つて仕事に出かけたと謂ひます。其日は一日、殘つた連中が仕事に出て來ないので内心茸に中《あ》てられたなと思ひながら、夕方小屋へ歸つて見ると、殘りの連中が、仕事着を着けたまゝ、口も利けないで、蒼くなつて唸つてゐたさうです。汁の鍋には、茸がまだ澤山殘つてゐたと謂ひました。翌日になつて、やつと中てられた連中も治つたさうですが、それはクマビラと云ふ大變毒のある茸だつたさうです。
[やぶちゃん注:「クマビラ」ハラタケ目ホウライタケ科ツキヨタケ属ツキヨタケ Omphalotus japonicus の異名。当該ウィキによれば、『和名としては』、当初、『提案されていた』のは『クマヒラタケ』あったが、『江戸時代に坂本浩然によって提唱され』ていたことが判明して、命名規約に従い、この名となったとある。『晩夏から秋にかけて主にブナの枯れ木に群生する。子実体には主要な毒成分としてイルジン』(Illudin)『を含有し、その』襞『には』、『発光成分を有する。古くから食用とされてきた無毒のシイタケ・ムキタケ(ハラタケ目ガマノホタケ科ムキタケ属ムキタケ Sarcomyxa serotina)・ヒラタケ(ハラタケ目ヒラタケ科ヒラタケ属ヒラタケ Pleurotus ostreatus)『などと』似ているため、『誤認されやす』いが、『誤食した場合には下痢や嘔吐といった中毒症状』は勿論、『死亡例も報告されている』、毒キノコとしては、よく挙げられる種である。傘は『半円形』或いは『腎臓形をなし(ごく稀に、倒木の真上に生えた場合に杯状』を形成する『ことがある)、長径』は五~三十センチメートル『程度になり、表面は』、湿っている状態では、幾分、『粘性を示し、幼時は橙褐色から黄褐色で』、時に『微細な鱗片を散在するが、老成するに従って紫褐色または黄褐色となり、にぶい光沢を』現わす、とある。毒成分は『イルジン (Illudin)』で、『摂食後』三十『分から』三『時間で発症し、下痢と嘔吐が中心となり』、或いは『腹痛をも併発する』。『景色が青白く見えるなどの幻覚症状がおこる場合もあり、重篤な場合は、痙攣』、『脱水』、アシドーシス・ショック(acidosis shock:細胞機能の急激な悪化による重篤な発作障害)『などをきたす。死亡例』『も少数報告されているが、キノコの毒成分自体によるものではなく、激しい下痢による脱水症状の』二『次的なものであると考えられる』。『医療機関による処置が必要で、消化器系の症状に対しては、催吐・胃洗浄、あるいは吸着剤(活性炭など)の投与が行われる。また、嘔吐や下痢による水分喪失の改善を目的とした補液も重要視される。重症例では血液吸着 DHP(Direct Hemoperfusion:直接血液灌流法)により、血中の毒素の吸着除去が行われることもある』とあった。
「玖老勢」新城市玖老勢(グーグル・マップ・データ航空写真)。南西側で横川と一部が接する。]
○萬年茸(靈芝)の生へる處 靈芝《れいし》は、楢《なら》の木の根株が腐つた跡へ出るものだと謂ひます。
[やぶちゃん注:「萬年茸(靈芝)」ハラタケ綱タマチョレイタケ目マンネンタケ科マンネンタケ属レイシ Ganoderma lucidum 。当該ウィキによれば、『民間薬』や『健康食品として』知られるが、『古代中国では霊芝の効能が特に誇大に信じられ、発見者はこれを採取して皇帝に献上することが義務付けられていた。また、官吏などへの賄賂としても使われてきたという』とあるものの、『自然界においては珍しい』稀種でも何でもないとある。『後漢時代』(二五年~二二〇年)に纏められた「神農本草経」に『命を養う延命の霊薬として記載されて以来、中国ではさまざまな目的で薬用に用いられてきた。日本でも民間で同様に用いられてきたが、伝統的な漢方には霊芝を含む処方はない』。他のキノコ類にフックまれる『β-グルカン同様、抗腫瘍作用の報告は多い』ものの、『ヒトでの臨床報告は限られて』ており、その有効性は確かなものではない、といった感じで書かれてある。]
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