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2023/03/08

西播怪談實記 下河㙒村大蛇の事 / 西播怪談實記二~了

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。本文はここから。また、挿絵も所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」にあるものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

 ○下河㙒(けこの)村大蛇《だいじや》の事

 宍粟郡(しそう《のこほり》)千草(ちくさ)といへる所に船越山瑠璃寺(ふなこしさんるり《じ》)とて、眞言宗の寺、在《あり》。五拾石の御朱印地なり。

 本尊は藥師如來なるが、行基の作佛にして、㚑驗(れいけん)あらたなれば[やぶちゃん注:ママ。]、二季(にき)の彼岸には、別して、參詣、多し。

 正德年中の事なりしに、寺僧、下河㙒といへる村の旦家(たんか)へ齋(とき)に行けるに、元來、深山(み《やま》)なれば、道は九折(つゞらをり)なり。

 然《しかる》に、手飼(てかい)の犬、主《しゆ》の跡をしたふて、來《き》けるか、跡《あと》へ戾(もどり)、向《むかふ》の谷へ走行(はしり《ゆけ》)ば、

『鹿(しか)猿などの出《いで》て居《を》るにや。』

と、立止(たちとま)りて見るに、岩の上に、蓑笠を着てゐるやうにみゆるもの、在《あり》。

 犬は、それを目がけて、ほゆる。

 

Uwabami

 

 僧、遙(はるか)比方(こなた)より、声を立て、呼(よへ)ば、犬は、猶、近く寄《より》て、嚴敷(きひしく)、ほゆる時に、口を、

「くわつ」

と明《あけ》たる所、箕(み)を合《あはせ》たるごとく、口の中(うち)、赤き事、紅染(べにそめ)のごとし。

 犬、恐《おそれ》て、退(のけ)ば、口を塞(ふさぎ)、又、近寄《ちかよれ》ば、口を明《あく》る事、前の如し。

 犬を吞(のま)んともせず、甚(はなはた)、鷹揚なり。

 僧は、奧山家《おくやまが》の育(そたち)にて、常に壱丈内外の虵(くちなは)は見馴けれとも、余(あまり)の大蛇にて、恐しく思ひながら、旦家(たんか)へ到(いたり)けるに、犬は跡より來りて、暫(しはし)、庭に居《ゐ》けるが、先へ立歸《たちかへり》ける。

 僧は、勤行、終(をはり)て、歸路(《かへり》みち)は、山、壱越(こし)、虵(くちなは)の居《ゐ》ける後(うしろ)の谷を過(すく)るに、そこに尾(お)の有《ある》を見て、氣も䰟(たましい)も失(うせ)て、漸々(やうやう)、寺へ歸《かへり》、廿日斗《ばかり》煩ひ、後《のち》に此事を人に語るに、聞もの、大に怪み、

「余(あまり)の叓《こと》なれば。」

とて、後(のち)に其所《そのところ》へ行《ゆき》て、間數(けんすう)を積(つも)るに、山越(《やま》こへ)百間《けん》に及《およべ》り。

 人皆《ひとみな》、舌を卷(まき)て、恐れあへりしとかや。

 聞人《きくひと》、疑べからず。

 是は、同村《どうむら》、茂右衞門といふもの、久しくか家へ出入《でいり》のものなるが、誓言(せいごん)を立《たて》て、噺ける趣を書傳ふもの也。

 

 西播怪談實記二

 

[やぶちゃん注:底本の最後の部分の左丁に(□は判読不能字)、

   *

 

           □□□□(印)

  寛政十三

 

      上野國

        上州八幡村

           矢口政太郞

 

   *

という書写した人物の記載が載る。寛政十三年は一八〇一年。本書の板行は宝暦四(一七五四)年であるから、四十七年後である。「上州八幡村」は群馬県高崎市八幡町(やわたまち:グーグル・マップ・データ)に相当する。「矢口政太郞」は不詳。

「宍粟郡千草」現在の兵庫県宍粟市千種町千草を中心とした千種町広域に相当するが、やや不審なのは、「船越山瑠璃寺」は現在の兵庫県佐用郡佐用町船越にあり、現在の千種地区の外の南方にあることであったが、「ひなたGPS」で戦前の地図を見ると、「琉璃寺」は「南光坊」とあり、東北部に「千種村」とあるから、或いは、江戸時代のこの頃は、千種村の内であったものかとも思われる。調べると、ウィキの「瑠璃寺(兵庫県佐用町)」があり、そこに、『兵庫県佐用郡佐用町にある高野山真言宗の別格本山の寺院。山号は船越山。本尊は千手観世音菩薩。詳しくは船越山南光坊瑠璃寺と称する』。『寺伝では神亀』五(七二八)年、『聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝える。本堂、金堂、奥の院、十二坊舎、その他七十二宇の伽藍があったとされる』。『南北朝時代に覚祐を中興開山として』、『赤松則祐により再興された。以来、室町時代を通じ守護大名赤松氏との関係が深かった』。『創建以来、修験道の行場となっており、京都にある天台宗寺門派の聖護院に所属し、江戸時代には南光坊と称した』。『現在、南光坊は当寺の本坊となっている』とあり、名刹であることが判る。しかし、『本尊は藥師如來』という謂いとは齟齬する。ただ、「佐用町指定有形文化財」の項に、「薬師如来坐像」とはある

「二季の彼岸」旧暦の春と夏の彼岸。

「正德年中」一七一一年から一七一六年まで。

「下河㙒」兵庫県宍粟市千種町下河野瑠璃寺のある兵庫県佐用郡佐用町船越に東北で接している。これで不審はほぼ解けた。

「百間」百八十一・八メートル。見かけ上の見積もりの長さとはいえ、驚くべき長大なる蟒蛇(うわばみ)である。以上の叙述から、大蛇のいたロケーションはここに限られる(グーグル・マップ・データ航空写真)。ごっつう山奥である。

 

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