西播怪談實記(恣意的正字化版) / 佐用角屋久右衞門宅にて蜘百足を取し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。
今回は、視認する対象を判り易くするために、ダッシュと改行を多用した。]
○佐用角屋(すみや)久右衞門宅にて蜘(くも)百足(むかで)を取(とり)し事
佐用郡(さよごほり)佐用邑(むら)に角屋久右衞門といひしもの、在(あり)。
年は享保の初つ方、ある夏の夕暮の事成(なり)しに、行燈(あんどう)[やぶちゃん注:底本自体が「燈」を用いている。]の側に煙草を吞(のみ)、寄來(よりく)る蚊を團(うちは)をもて、打拂(うちはらい)、打拂、涼みてゐたりけるに、
――二寸斗(ばかり)の百足、這出(はいいで)て、行燈に上(のぼ)る
を、元來(もとより)、おほやうなる生質(むまれつき)の男にて、取(とつ)て捨(すて)んともせず、見てゐるに、
――頓(やが)て、行燈の上の隅なる蜘の巢に這懸(はいかゝれ)ば、
――蜘、走出(はしりいで)て、取懸(とりかゝ)つて見るに、百足なれば、
――遠(とほい)から[やぶちゃん注:名詞的用法で、相対的に「遠い方(かた)から」の意であろう。]、脚(あし)を差出(さしいだ)して、いぎを附(つけ)てみれども、こたへず。[やぶちゃん注:「いぎ」「威儀」であろう。威嚇の姿勢である。]
――百足は、蜘の巢に、足をまつはれて、跡へも、先へも、得這(ゑはは)ず、たゝそやり迥(まはり)て居けるに、
――蜘は、走リ退(のき)て、行方(ゆきかた)しれずなりぬ。[やぶちゃん注:「たゝそやり」意味不明。底本にはママ注記はない。しかし、見知った単語にはない。「ただ、そやりて」か。「そやる」というのは、「座る」の訛りで、「そこにじっとしたままで」の意か。判らぬ。識者の御教授を乞うものである。]
久右衞門、思ふやう、
『百足なれば、いかんともする事ならずして、迯(にげ)たるなるべし。』
と、猶、見ゐたる所に、
――初の蜘、
――少(ちと)、大ぶりなる蜘と、二つに成(なり)て歸(かへり)、
――兩方より、いぎにて、卷(まか)んとして、一つの蜘、尾の方(かた)より、足を出して、いぎを付(つけ)んとすれば、
――百足、尾の方へ、反歸(そりかへ)れば、其儘、迯退(にげのく)を相圖に、
――一つの蜘頭の方より、いぎを付(つく)れば、跡へ反戾(そりもど)れば、又、尾の方より付る。
「初のほどは、百足の勢(せい)、强(つよく)、中々、取(とり)うべきとも、見へざりしが、段々に、いぎを付て、後(のち)には、百足の、みヘぬほどに、卷(まき)て、念(ねん)なふ、取(とり)てけり。」
と、久右衞門、直(ぢき)の物語の趣を書つたふもの也。
按(あんずる)に、小(ちさ)キ蜘、風情さへ、友を雇來(やとひき)て、二つして、取(とる)、智惠、在(あり)。人は、萬物の靈にして、天地に次(つげ)ども、愚(ぐ)なるものと知(しる)べし。
[やぶちゃん注:珍しく、筆者の感懐の評言が載る。細部の描写も見事である。
「享保初つ方」享保は二十一年まであり、一七一六年から一七三六年まで。]
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