「曾呂利物語」正規表現版 卷二 二 老女を獵師が射たる事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇の挿絵は、その岩波文庫版からトリミング補正したものである。]
二 老女を獵師が射たる事
伊賀國(いがのくに)なんばりといふ所より、辰巳(たつみ)[やぶちゃん注:南東。]にあたりて、山里あり。
かの所に、夜な夜な、人、ひとりづゝ、失せぬ。
「如何なる事にか。」
と、皆人(みなひと)、不審しあへり。
其の村に獵人(かりびと)の有りけるが、ある時、夜(よ)に入り、山に入らんとしける所に、山の奧より、年(とし)、百にも及びなんとおぼしき老女、髮には雪をいたゞき、眼(まなこ)は、あたりも、輝き、さもすさまじく出できたる。
[やぶちゃん注:以上では右端上にあるキャプションが完全にカットされて見えないが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらの単体画像で、『伊賀の国なんばりといふ所にての事』と読める。]
獵人は、
『何者にてもあれ、矢つぼは、違(たが)へじ。』
と、大かりまたを持つて、胴中(どうなか)を射通(いとほ)す。
射られて、いづくともなく、逃げうせぬ。
獵人は、前々なかりし不思議に逢ひしかば、まづ、其の夜は歸りぬ。
夜明(よあ)けて、彼(か)の物、射たる所を見ければ、道もなき山の奧を、かなたこなたと、血(のり)を引きける程に、それをしるべに求めければ、我が在所の方(かた)へ有り。
不思議に思ひ、見れば、莊屋(しやうや)が家(いへ)の、後ろなる小家(こいへ)のうちへ、ひき入(い)りたり。
さて、莊屋かたへ行き、
「ちか頃(ごろ)、率爾(そつじ)なる事ながら。」[やぶちゃん注:後に引用の助詞「と」が欲しい。]
過ぎし夜の事共(ことども)、ねんごろに語りければ、莊屋、不思議にたへかね、
「此の家は、我等が母のゐ所(どころ)にて侍るが、夕べより、『風の心地。』とて、我にも逢はで、事の外、うめきゐられ候ふが、心もとなく候。」
とて、行きて見れば、家のあたり、戸口より、血(のり)、したゝかに、引きたり。
いよいよ、怪しみ、
「押し入りて、見ん。」
とすれば、雷電(らいでん)の如く、鳴り、はためきて、母は、家の内より、拔け出でぬ。
件(くだん)の矢は、食ひ折りて、軒(のき)にさしてぞ、有りける。
さて、ゐたる跡を見れば、夥しく、血(のり)、流れ有り。
牀(ゆか)を、はづし、此處彼處(こゝかしこ)を見れば、人の骨、山の如し。
それより、在所の者共、山々へわけ入りて、見れば、深山(しんざん)の奧に、大(だい)なる洞(ほら)あり。
此の洞のうちに、古狸(ふるだぬき)の大きなるが、胸板(むないた)を射貫(いぬ)かれながら、死してぞ、ゐたりける。
これを案ずるに、莊屋の母をば、疾(と)く食ひ殺し、我が身、母になりてぞ。
[やぶちゃん注:「伊賀國なんばり」岩波文庫版では本文で『南張』とあり、注に、『現在の三重県志摩郡』とある。但し、ここは逆立ちしても絶対に「伊賀國」ではないから、これは筆者の誤りであろう。現在は合併により、三重県志摩市浜島町南張(はまじまちょうなんばり)である(グーグル・マップ・データ航空写真。以下同じ)。当該ウィキによれば、『南張メロンの栽培や酪農が展開される農業地域であるとともに、南張海水浴場を擁する海の町でもある』とあり、どうも変な感じがする。同町の集落拠点は完全に南端の英虞湾の入口の南の海岸であって、そこの「辰巳」は海である。百歩譲って、東の、海に迫った山間部のここに当たるか。しかし、寧ろ、この話、内陸の伊賀の方が遙かに相応しい。「ひなたGPS」で戦前の地図で伊賀地方を調べたが、「南張」はない。ただ、三重県西部の伊賀地方に含まれる名張市(なばりし)が目に止まった。ここは南東部はガッツり、山間地である。私はここを真のロケ地としたい。実は、本話を転用した「諸國百物語卷之三 十八 伊賀の國名張にて狸老母にばけし事」では御覧の通り、名張になっているのである。さらに、そちらでは、『東京学芸大学紀要』湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(ネットでPDFでダウン・ロード可能)で、やはり、ロケーションを三重県名張市と規定しておられる。さらに湯浅氏は先行する非常に知られた、「今昔物語集 第二十七卷」の「獵師母成鬼擬噉子語第二十二」(獵師の母、鬼と成りて子を噉(くら)はむと擬(す)る語(こと)第二十二)を挙げておられる(私は微妙にそれを原拠とすることには躊躇する)のを受けて、それも電子化してある。さらに、そこで類話として別に掲げてある、「伽婢子卷之九 人鬼」や、「宿直草卷四 第一 ねこまたといふ事」も電子化注済みであるので、参照されたい。
「大かりまた」「大雁股」。既出既注。]
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