「曾呂利物語」正規表現版 第三 五 猫またの事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどく見え難くなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
五 猫またの事
山家(やまが)の事なるに、「ぬたまち」とて、山より鹿(しか)の下(くだ)るを、庵(いほり)の中(なか)にて待つこと、あり。
ある男、宵より行きて、待ちゐたれば、女房、片手に行燈(あんどう)を持ち、杖に縋(すが)りて、來たりて云ふやうは、
「今宵は、殊に寒く、嵐(あらし)烈しく候まま、疾(と)く、歸り給へ。」
と云ふ。
男、思ふやう、
『何(なに)とて、女房、是れまでは、來たるべし。いかさま、變化(へんげ)の物なるべし。』[やぶちゃん注:助詞の「と」が欲しい。]
「汝、何物なれば、我が心を誑(たぶらか)すらん。矢一つ、參らせん。受けて、みよ。」
と云ひければ、
女、云ふやう、
「御身(おんみ)は物が憑きて、左樣に宣(のたま)ふか。疾く、疾く、歸り給へ。誘(いざな)ひ參らん。」
と云ふ。
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「ねこまたの事」。]
男、
『たとひ、妻女にてもあらばあれ、夜半(やはん)に、是れまで來たる事、心得ず。』
と思ひければ、大雁股(おほかりまた)を以つて、胴中(どうなか)を、かけず、射通(いとほ)しけるが、手に捧(さゝ)げたる行燈(あんどう)も消えて、行方(ゆきがた)知らずなり終(をは)りぬ。
男は、
「我が家に、歸らん。斯かる不思議に逢ひぬる夜(よ)は、はかばかしき事は、なきもの。」
と思ひ、歸りければ、門の口に、血、多く、流れて、有り。
「こは、如何に。聊爾(れうじ)を、しつる事かな。」
と、肝を潰し、急ぎ、閨(ねや)に行き訪(おとな)ひければ、女房、
「何とて、今宵は、早く歸らせ給ふ。」
と云へば、さては、恙(つゝが)も、なし。
それより、血を、とめて、見ければ、飼ひける猫の、年へたるにてぞ、ありける。
久しく、猫は飼はぬもの、とぞ。
[やぶちゃん注:「宿直草卷四 第一 ねこまたといふ事」は本篇の転用であるが、そこでは、狩りの対象が猪で「ぬたまち」(そちらでは「のたまち」)で、私は、そちらの方が躓かない。
「猫また」「猫股・猫又」。年老いた猫で、尾が二またに分かれ、化けて、人を害するといわれるもの。「徒然草」第八十九段で知られる通り、中世前期には定着していた猫の妖怪。「諸國百物語卷之二 七 ゑちごの國猫またの事」の本文と私の注も参照されたい。
「ぬたまち」「沼田待ち」。「沼田」は、「猪が泥の上に枯れ草を集めて寝る」とされることや、泥浴びをする習性から生まれた語で、そうした「ヌタ場」の直近で猪(「いのしし」は「しし」とも読み、「しし」はイノシシとシカをともに指す)を狙って狩ることを言った。岩波文庫版の高田氏の注には、『「にたまち」とも。ふつう、山中で猪が泥浴びをするためのニタツボにやってくるのを、隱れて待ち撃つこと。「濕田待(にたまち)」(『倭文麻環』巻十二)』とあった。書名は「しづのをだまき」で、江戸後期の薩摩藩第八代藩主島津重豪(しげひで:但し、一説には第十代藩主斉興(なりおき)とも)の命で、藩士で記録奉行・物頭にして国学者でもあった白尾国柱(しらおくにしら)が纏めた薩摩に伝わる故事・軍記・怪奇談・人物等を集成したもの。
「庵」とあるが、挿絵で分かる通り、雨を凌ぐための仮屋である。
「聊爾(れうじ)」(りょうじ)は「軽率・迂闊(うかつ)」或いは「不作法・失礼なこと」で。ここは前者。]
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