早川孝太郞「三州橫山話」 山の獸 「鹽を好む山犬」・「馬には見える山犬の姿」・「煙草の火と間違へた山犬の眼」・「水に映る姿」 / 山の獸~了
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○鹽を好む山犬 山犬のことを山ノ犬、オイヌサマなどと謂ひ、これに後《あと》をつけられることを送られると謂ひます。夜《よる》山道などを通つて送られた時は、御禮に門口へ鹽を置くと謂ひます。又送つて來る時は轉んだら喰べようと云ふから、轉ばぬ用心が第一とも謂ひます。五十年ばかり前に亡くなつた早川孫三郞と云ふ男は、山犬に送られた事があつたと云ふ事ですが、其時、お禮に門口へ鹽を出したら、姿を顯はして喰べたと謂ひます。送る時は人の後から隨つて來ないで、路に沿つた木立の中を、時折肢音《あしおと》をさせて來ると謂ふ事です。
又山犬は火を嫌ふから、夜道をする時は、切火繩《きりひなは》を持つて步くものと言います。
山犬は、山の神に誓言《せいごん》して、枯草に鳴いて、靑山には鳴きませんと言つたから、夏は鳴かぬと謂ひます。これを山の神の御誓言と云ふさうです。
[やぶちゃん注:ここで言う「山犬」「山ノ犬」「オイヌサマ」は、本邦の近代までの民俗社会では、これらは「野犬」(のいぬ/やけん:哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イエイヌ Canis lupus familiaris。私は犬が野生化した個体や、その個体群を、恰も生物種のように「ノイヌ」と表記することに反対である)ではなく、「狼信仰」で霊験を持つとも考えられた、絶滅近かったニホンオオカミ(イヌ属タイリクオオカミ亜種ニホンオオカミ Canis lupus hodophilax:確実な最後の生息最終確認個体は明治三八(一九〇五)年一月二十三日に奈良県吉野郡小川村鷲家口(わしかぐち:現在の東吉野村大字小川(グーグル・マップ・データ))で捕獲された若いオスである。著者早川孝太郎氏は明治二二(一八八九)年の生まれである)を原則的には指すので、注意が必要である。「山犬」「豺」(やまいぬ)という呼称も非常に古くからあるが、これは野犬ではなく、ニホンオオカミの別名である可能背が高いとする説が有力である。但し、ごく最近、我々が絶滅させてしまったニホンオオカミの標本のDNA解析が行われ、それが、ニホンオオカミと野犬の雑種であることが判明しており、高い確率で、近代までには、既にしてニホンオオカミと野生化したイエイヌの雑種群が広く存在していた(している)可能性が高いようには思われる。
「鹽」野生や飼育している草食動物が盛んに自然塩水や岩塩・海水塩などを摂取することは知られているが、肉食動物の場合は得物である草食動物の血液や骨から塩分を摂取するので、動物摂取が上手く行っていない場合を除いて、ニホンオオカミが積極的に置かれた塩を食べることはないはずである。野生の草食性或いは雑種摂取の動物が舐めたのを誤認したと考える方が妥当であろう。
「切火繩」適当な長さに切った火縄。火縄銃に点火する以外に、煙草に火をつけたりするほか、時間を計るのにも回して火が消えぬようにしつつ、携帯して用いた。]
○馬には見える山犬の姿 馬方が夜にかけて稼げば、大變利益があるけれど、馬が山犬を怖れて瘦せると謂ひます。またびつしより汗を搔いてゐるなどとも謂ひます。
早川柳策と云ふ男が、暮方鳳來寺村の長良と云ふ所から馬を曳いて來て、村を出離《ではな》れて、ふだん山犬が出ると云ふ噂のある、行者樣《ぎやうじやさま》と云うふ處へさしかゝると、突然馬が手綱を振切《ふりき》つて、もと來た道を馳せ歸つたと謂ひました。馬は人家の前で、村の者が捕へて吳れたと云ひましたが、未だ人の顏がぼんやり見える程の時刻だつたさうです。
[やぶちゃん注:「長良」であるが、次の話にも出るのだが、これは「長樂」の誤りではなかろうか。旧鳳来寺村には「長良」はなく、「長樂(ながら)」ならあるからである。「ひなたGPS」のこちらを見て戴くと、現在も地名として生きていることが判る。
「行者樣」先行する「行者講」に出た「行者樣と呼んでゐる石像」と同じであろう。「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の中央の右の方の『(萬燈山)』の麓の道がカーブする南東の山側部分に『行人石像』とあるのがそれであろう。この附近(グーグル・マップ・データ航空写真)になくてはならないはずだが、見当たらない。ストリートビューでも確認出来ない。]
○煙草の火と間違へた山犬の眼 ある煙草好きの男が、海老《えび》へ行く街道を急用があつて夜中に步いて行く途中で、長良と云ふ處を出離れて玖老勢《くろぜ》へ越す杉林の中で、煙草の火を切らしてしまつて、煙草を煙管《きせる》へ詰めたまゝ口に咥《くは》へ行くと、行手に煙草を喫つてゐるらしい火が一ツ見えるので、急いで近づいて行つて、どうぞ火を一ツと、煙管を差出すと、それは山犬の眼であつたのに仰天して、其處に尻餅を撞《つ》いて氣絕してしまつたと謂ひますが、山犬の方でも閉口して傍の草叢へ飛込んだと謂ふ話があります。
[やぶちゃん注:「海老」橫山からは北方の山間部である新城市海老(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「長良」前条の私の注を参照されたい。
「玖老勢」新城市玖老勢(同前)。南西側で横川と一部が接する。]
○水に映る姿 遠江の山住樣《やまずみさま》や、春野山は山犬の神樣だと謂つて、狐憑《きつねつ》きなどのある時は、幾日間と期間を定めてお姿を借りて來ると謂ひます。其折は豫《あらかじ》め神主に依賴すると神主が、神樣に御都合を伺つて、行くと仰しやれば、初めてお札を渡すので、それを受取つたら決して後《うしろ》を見ないで、どんどん歸つて來るのだと謂ひます。もし後を見返ればお犬樣が歸つてしまうと謂ひます。それで途中川などがあつて、橋を渡つたり、渡し船に乘つた時などは山犬の姿が水に映つて見えると謂ひます。
家へ着くと、山犬が先づ其屋敷を三度廻るものと謂ひますが、八名郡の山吉田村字畑中と云ふ處のある家で迎へて來た時は、姿は見えないで、門口で三聲恐ろしい聲で吠へた[やぶちゃん注:ママ。]と謂ふ事です。
[やぶちゃん注:「遠江の山住樣」狼を神使とする、横山からは東北に直線でも四十キロ離れた、静岡県浜松市天竜区水窪町(みさくぼちょう)山住の山中にある山住神社(同前)。
「春野山は山犬の神樣」同じく天竜区の春野町(はるのちょう)花島(はなじま:同前)の峻険な花野山の山頂に立つ行基開山と伝える春埜山大光寺(はるのさんだいこうじ)。横川からほぼ東に直線で約四十一キロ離れる。本堂の前に狼が左右に配されてある(同サイド・パネル)。御茶農家八蔵園の鈴木猛氏のサイト内の「春野の観光」の「春埜山大光寺 山犬」に、左右合成の写真とともに、『春埜山大光寺の山犬です。この地には神様の使いである動物である、狼=山犬信仰があります。昔は焼畑をしていましたが、猪やウサギなど野生動物の害がありました。狼はその害を防いでくれる、代わりに山の民は塩をある場所に置いたといわれます。お互い姿は見せずとも、そこには信頼がおかれていたといいます』。『逆に信頼を裏切ると、その仕返しはたいへんなものだったそうです。この風土が受け継がれたものなのか、現在』で『もおもしろいのは、この地に暮らす山の民の気質で、人からうけた信頼はとことんかえすけれども、信頼を裏切られるとたいへんなのだそうです。山に生きる術が狼信仰として残り、それが今でもみなの心に息づいているということでしょう』とあった。また、サイト「寿福@参道」内の「狼神話 春埜山大光寺(はるのさんだいこうじ)」には、 『地元の人たちから「お犬様」と呼び親しまれている大光寺は、曹洞宗、神仏混交の修験の山として知られています。春埜山は秋葉山と対になり、奥の院である山住神社』(☜)『の里宮であったという説もあります。大光寺の本堂前には、狼の狛犬が控えていて、ここが修験道の狼信仰の山であったことがうかがえます』。『守護神の太白坊は春埜山に住む天狗であると言われ、本尊である三尊天を守護するとされています。また、その眷属である狼を派遣し、信者の祈願成就を助けるとのことです』。『大光寺の開山は、養老』二(七一八)年に『行基菩薩がこの山頂に庵を開いたことが始まりとされています。境内には行基菩薩お手植えと伝えられる、樹齢』千三百『年の春野杉があり、県の天然記念物に指定されています。寛文年間』(一六六一年~一六七三年)『には一時』、『無人となったこともありましたが』、後に『復興し、明治の神仏分離令のときにも神仏習合を通し』(あっぱれ!)、『今日に至っています』とある。
「狐憑きなどのある時は、幾日間と期間を定めてお姿を借りて來る」旧民俗社会の獣類の頂点にニホンオオカミがいたことがよく判る。
「八名郡の山吉田村字畑中」この中央附近が旧山吉田地区(グーグル・マップ・データ)。]
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