曾呂利物語」正規表現版 第四 / 六 惡緣にあふも善心のすゝめとなる事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。挿絵は今回は御覧の通り、底本の画像の状態がかなりいいので、それをトリミング補正して添えた。]
六 惡緣にあふも善心のすゝめとなる事
信濃の國の守護に、召使(めしつか)はれける何某(なにがし)、或時、人をあやまりて、隱れゐたりけるが、かたき、數多(あまた)狙ひける由(よし)、傳へ聞き、竝(なら)びの國に、所緣あつて、
『彼(かれ)を、賴み下らん。』
と思ひ、夜(よ)に紛れて、忍び出でけるが、一門眷屬にも知らぜずして、女房をも、留(とゞ)め置きけるが、女房は、
「道にて、如何にもならばなれ、留まるまじ。」
とて、强ひて、
「行かん。」
と云ふ。
『げにも。人に探し出(いだ)され、如何なる憂目にも遇はんは、却つて我等が恥辱。』
と思ひ、
「さらば、伴ひ行かん。」
とて、夫婦、只、二人、深山(しんざん)の嶮(さか)しきを、分けて辿り行く。
折節(おりふし)、女房は、唯ならぬ身にて侍るが、頻りに、腹を痛みけるほどに、腰を押さへて、負ひ、たどりたどりと、行きけるが、向かひの山の、火、幽かに見えけるを。
『幸ひ。』
と思ひ、辛苦して、やうやう、火をしるべに、行きて見れば、辻堂なり。
内に入りて、少時(しばし)、息をぞ、つきたりける。
かかりける所に、人、一人(ひとり)來たり、辻堂の戶を、荒らかに敲く者、あり。
「誰(たれ)ぞ。」
と問へば、
「『はる』にて候。斯樣に落ち行かせ給ふ由、承り、『隨分、追ひ付き奉らん。』と存じ、山中を凌ぎ、やうやう、これまで、參りたり。妾(わらは)が事は、餘(よ)の者と違ひ、幼けなき頃より、召使(めしつか)はれ、片時(へんし)も御傍を離れ參らせず、年月(としつき)の御恩賞に、斯樣(かやう)に御先途(ごせんど)を見屆け參らせでは、あるべきか。殊に、御うへ樣、たゞならず御渡り候ふに、人一人も副(そ)ひ奉らず、斯かる嶮しき山路(やまみち)を、如何で忍ばせ給ふべき。はやはや、開けさせ給へ。」
と云ふ。
男、餘りの不審さに、
「女の身として、斯かる嶮しき山路を、殊更、夜中(やちう)の事なるに、是れまで來たる事、覺束なし。よも、『はる』にては、有らじ。」
と云ふ。
「是は。御詞(おことば)とも聞こえぬ事を承り候ふものかな。身こそ、はかなき女なりとも、心は、男に劣るべきか。物ごしにても、やがて、其れとは知ろし召されずや。遙々、是れまで參りたる心ざし、如何で空しくなさせ給ふ。」
と、さめざめと泣きければ、
『實にも。「はる」が聲にて、ありけるよ。』
と思ひ、やがて、内へぞ、呼び入れける。
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「あくゑんにあふて善心のすゝめに成事」とあるか。しかし、「のす」の崩しは異様で、そのようには見えないのだが。また、絵では、戶もなく、辻堂ではなく、四阿のように描かれているが、これは堂内を透視画法で、大胆に描いたということか。しかし、松が見えていて、そのように好意的にとるには、無理がある。]
とかくする内に、女房は產(さん)にゐて、少し、心も安ければ、傍(そば)に、「はる」を添へ置きて、居眠りてぞ、ゐたりけれ。女房も、流石、
「山路の疲れ。」
と云ひ、殊の外に困(こう)じにたれば、我かのけしきに、寄り添ひゐたるに、後(うっしろ)なる「はる」、女房の首の𢌞りを、ひたもの、舐(ねぶ)り𢌞しける。
驚き、目を黨まし、
「なうなう、はるが、我を舐りて怖ろしきに、これへ、寄らせ給へ。」
と云ふ。「はる」が曰く、
「斯(か)やうの時は、御血(おんち)の心(こゝろ)にて、左樣(さやう)の空事(そらごと)を仰せあるものにて候。少しも、苦しき御事にては候はず。音もせで、御休み候へ。」
と云ふ。
男は、
『實(げ)にも。さある事ならん。』
と思ひ、油斷してゐたる間(ま)に、何處(いづく)ともなく、二人共に、失せにけり。
男、目を覺まして後(のち)、肝をつぶし、
「こは、如何にしつる事ならん。」
と、堂の外を尋ぬるに、行方(ゆきがた)なし。
ひた呼ばはりに、呼ばはれども、見えず。
其の後(のち)、山の上に、聲のしける程に、登りて見れば、谷の底に、叫ぶ音(おと)。しけり。
又、下手(しもて)を見れば、峯に聳立(そびえた)てるなど、彼方此方(かなたこなた)と惑ひ步く内に、夜(よ)も明けぬ。
無念、類(たぐひ)もなくて、
「腹を切らん。」
と、しけるが、麓に寺の見えけるほどに、
「これにて、如何にも、ならん。」
と、急ぎ下りて、主の長老に向ひ、
「しかじかの事、侍り。後世をば、賴み奉る。」
とて、既に、腹を切らんとするを、坊主、色々に、なだめ、
「兔角(とかく)、内儀の行方(ゆくへ)を尋ね給ひて、兔も角も、ならせ給へ。」
とて、弟子・同宿、其の外、地下(ぢげ)の人を入れて、至らぬ隈もなく、尋ねけれぱ、大きなる木の上に、すんずんに、引き裂きてぞ、懸け置きける。
愈(いよいよ)、
『自害を、せん。』
と思ひ定めけるを、長老、色々、敎訓して勸めければ、則ち、そこにて、出家して、妻の後世(ごせ)を弔(とぶら)ひ、道心堅固にして、終はりけると、なん。
斯かる憂き目に遭ふことも、却つて、佛の御慈悲にこそ。
[やぶちゃん注:「はる」に化けた物の怪の正体が明らかにならないのは、怪奇談としては今一である。
「人をあやまりて」人を殺してしまい。
「御先途(ごせんど)」主人が向かう隣国の落ち着き先を言う。
「覺束なし」ここは、「いぶかしい・怪しげである」の意。
「我かの氣色」岩波文庫の高田氏の注に、『夢うつつで、心のぼんやりしたさま』とある。
「血の心」同前で、『出産のさいの、精神や身体の変調をさすことば』とある。
「兔も角もならせ給へ」同前で、『とにかく(奧方の行方をつきとめてから)事をなさいませ』とある。]
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