早川孝太郞「三州橫山話」 「ウマツクロイ場の松」・「馬捨場」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○ウマツクロイ場の松 萬燈山の麓に、村の馬繕場があって、其處に妙な形をした松が二株、道路を覆つてゐました。其松の下に馬喰《ばくらう》が腰をかけてゐて、家々から引き出して行つた馬の蹄を切つたものでした。明治三五六年頃、此松が伐られたと同じ頃に、馬繕ひもなくなりました・
[やぶちゃん注:「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の右やや中央寄りの既出の『(萬燈山)』の下方(南西)麓の道を隔てたカーブの内側に『馬ツクロノ塲』とあり、その左に並んで『松二本』とある。グーグル・マップ・データ航空写真のこのカーブがそれである。
「明治三五六年」一九〇二、三年。]
○馬捨場 字長畑と云ふ所から、寒狹川に面した崖の上に、雜木林の中にありました。其處には、馬の白骨が澤山轉がつてゐて、村で馬が死ぬと、村中の者が出て、莚で覆つた死骸を舁いで行つて捨てました。夜になると皮剝ぎが來て、火を焚きながら皮を剝ぐと云ひました。
[やぶちゃん注:「長畑」ここ(グーグル・マップ・データ)。「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の左下方の寒狹川の『鮎滝』(グーグル・マップ・データ航空写真)の左岸直近に『山捨塲』とある(リンク先の中央、現在の国道二五七号附近となろう。道の両側に農地や人工物があるので、ストリートビューは控える)。]
« 早川孝太郞「三州橫山話」 「村に缺けていた辨天樣」・「張切りの松」・「ヒチリコウの樹(木犀)」・「楠の柱の家」 | トップページ | 早川孝太郞「三州橫山話」 「セキの地藏」・「山の神」・「行者講」 »