譚海 卷之五 江戶淺草觀世音幷彌惣左衞門稻荷繪馬額等の事 附湯島靈雲寺・神田聖堂・音羽町護國寺・品川東海寺。角田川興福寺・淺草御藏前閻魔堂額の事
[やぶちゃん注:だらだら羅列で読み難いので、特定的に句読点を変更・追加し、記号を加え、段落を成形した。額や絵馬や絵の名数で、一向に興味がないし、労多くして益無しと断じ、気になった一箇所のみの他には注しないことにした。読みだけは検証して附した。悪しからず。]
○金龍山淺草寺境内彌惣左衞門稻荷の社頭に、寬永年中奉納せし繪馬あり。菱川某の繪にて、境町芝居の圖をゑがきたり。其頃の芝居の、但今(ただいま)、見るが如し。三階の棧敷(さじき)あり、戲者(ぎしや)の風俗も甚(はなはだ)古質(こしつ)なるもの也。此外に寶永の比の繪馬、社頭に多し、めづらしき觀物(みもの)也。
又、同所二王門外に「地主(ぢしゆ)の稻荷」といふ有(あり)。是(ここ)にも元祿年中の繪馬あり。力士一人、碁を圍みたる體(てい)にて、甚(はなはだ)猛勇にみゆ。側(かたはら)に少人(しやうにん)、麻上下(あさがみしも)にて傍觀の體(てい)をゑがけり。「駒形若者中奉納」としるし在(あり)。今時(こんじ)の無類(むるゐ)の者の物數寄(ものずき)とは、格別に變りたる事に覺ゆ。
また、本堂觀世音の階(きざはし)の上にかけたる額、華人の筆にて「觀音堂」と楷書し、左右に本朝の年號と、「福縣昌郡」の姓名をしるしたり。筆勢(ひつせい)、みつベき物也。
山門に「淺草寺」と、八分(はつぷん)にて書(かき)たるは、三國堂海堂といふ人の書たるよし。又、今時の物にあらず。
又、湯島靈雲寺本堂のうしろ成(なる)堂に、「寶瞳閣」(ほうどうかく)と楷書にて書たる額あり。華人の書なり。大字にて殊に組、妙、也。
又、神田聖堂の正面に「大成殿」(たいせいでん)とある額は、常憲院公方樣の御筆也。「仰高入德門杏檀」の額は、竹内殿筆蹟のよしを云(いふ)。
其外、東叡山護國院の額、音羽町護國寺の額、何れも、みつべし。護國寺地内、護持院諸堂の額は、みな、隆光僧正の筆也。是又、見るべきもの也。
又、品川東海寺の壁は、探幽法印、「加茂競馬」をゑがきたり。是は、「臺德院公方樣、御居間の繪のよし。」を云傳(いひつた)ふ。其外、張付板戶の畫、見所、おほし。諸堂の額は洋庵和尙の筆と云へり。
又、隅田川興福寺方丈に「獅子吼(ししく)」と書たる額あり。「興福寺開山の師匠の墨蹟にて、中華より書(かき)てこしたり。」と、いへり。此書、殊に天骨(てんこつ)を得たるもの也。同じ書院に明の趙瑞圖(ちやうずいづ)が、「西舍黃梁夜舂」と書たる懸物、在。又、見るべし。そのほか、本所囘向院の額、藏前閱魔王殿の額、みつべきものなり。
[やぶちゃん注:「八分」「八分體」(はっぷんたい)で、「書道専門店大阪教材社」の公式サイト内のこちらによれば、『隷書の書体の一つ』とあり、『素朴な要素を残す古隷から発展し、波磔』(はたく:波のようにうねって見える線を言う)『をもつ装飾的な要素が備わった書体で』、『横画を強調』し、『文字が横長という特徴があ』るとある。『名前の由来は諸説あ』るものの、『八の字を書くように横画の用筆で、逆入筆し、収筆で跳ね上げるところから』、『このように呼ばれてい』るとあった。]
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