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2023/03/25

「曾呂利物語」正規表現版 第三 二 離魂と云ふ病ひの事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]

 

     二 離魂(りこん)と云ふ病(わづら)ひの事

 

 何時(いつ)の頃にかありけん、出羽國(ではのくに)守護何某(なにがし)とかや、ある夜(よ)の事なるに、妻女、雪隱(せつちん)に行きけるに、稍(やゝ)ありて、歸り、戶をたてて、寢(い)ねけり。

 又、暫く、女の聲して、戶を開けて、内に入りぬ。

 彼(か)の何某、不思議に思ひ、夜(よ)明くるまで、守(まも)り明かして、彼の女を、二所(ふたところ)に分けて、色々、詮索しけれども、いづれに、疑はしき事、なかりしかば、

『如何(いかゞ)せん。』

と、案じ煩(わづら)ふところに、ある者、

「一人の女體(によたい)、疑はしき事、侍り。」

と、申しければ、猶、詮索致してより後(のち)、卽ち、頸(くび)をぞ、刎(は)ねてける。

 疑ふ所もなき、人間にてぞ、坐(おは)しける。

「今一人こそ、變化(へんげ)の物なるべし。」

とて、それをも、頓(やが)て切りたりけり。

 これも又、同じ人間にてぞ候ひける。

 扠(さて)、死骸を、數日(すじつ)、置きて見たれども、變はる事、なし。

 如何なる事とも、辨(わきま)へ兼ねたるが、或(ある)人の曰く、

「『離魂』と云ふ病(わづら)ひなり。」

と。

[やぶちゃん注:ここで言う「離魂病」とは、江戸時代になって一般的に「影の病ひ」などと呼称された、奇体な離人症(通常の精神疾患では自身の見当識があるにも拘わらず、自分にそっくりな人物を垣間見たり、その人物が自分の意志とは無関係に異なった行動をとったりするように見える視覚型の重い妄想を指すが、最近では、旧「多重人格」、「解離性同一性障害」の産物と見做すことが多いようである)である。芥川龍之介が自ら蒐集した怪奇談集「椒圖志異」にも、正篇の最後に引用している、

   *

      3 影の病

 

北勇治と云ひし人外より歸り來て我居間の戶を開き見れば机におしかゝりし人有り 誰ならむとしばし見居たるに髮の結ひ樣衣類帶に至る迄我が常につけし物にて、我後姿を見し事なけれど寸分たがはじと思はれたり 面見ばやとつかつかとあゆみよりしに あなたをむきたるまゝにて障子の細くあき間より椽先に走り出でしが 追かけて障子をひらきし時は既に何地ゆきけむ見えず、家内にその由を語りしが母は物をも云はず眉をひそめてありしとぞ それより勇治病みて其年のうちに死せり 是迄三代其身の姿を見れば必ず主死せしとなん

  奧州波奈志(唯野眞葛女著 仙台の醫工藤氏の女也)

   *

が、創作ではない貴重な「影の病ひ」=「離魂病」の事実(但し、聞き書きではある)記載である。私は真葛の「奥州ばなし」を「附・曲亭馬琴註 附・藪野直史注」を縦書ルビ附・PDF版で電子化しているが、その「二十一 影の病」(69コマ目)が、その引用元である。PDFが見られない方は、ブログ版「奥州ばなし 影の病」もある。近年はドイツ語由来の「ドッペルゲンガー」(Doppelgänger:「Doppel」(合成用語で名詞や形容詞を作り、英語の double と同語源。意味は「二重」「二倍」「写し」「コピー」の意)+「gänger」(「歩く人・行く者」))の方が一般化した。これは狭義には自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象を指す。しかし、本篇はそれを完全に突き抜けて、妻が二人に分離し、しかも、孰れも夫や家人にも見える状態にあるという点で、完全にブッ飛んでいる怪奇談で、さらに、結果的に、二人ともに夫が化け物と断じて、殺害してしまっている。しかも最後まで二体の死体には何らの変容もなく、二体ともに同じ妻の遺体なのである。これは最早、怪奇異というより、猟奇というべきスプラッター的死体変相的リアリズムの凄惨である。また、私には敬愛する芥川龍之介の向こうを張った怪奇蒐集「淵藪志異」があるが、その中の「十五」は、私が直に沖縄出身の女性から聴き取った二重身で、自身は風邪をひいて学校を休んだのに、同級生がその日、ガジュマルの上にいる彼女と話しをしたという驚愕のもので、沖縄では「生きまぶい」(生霊の分離出現)と呼ぶ現象である。彼女がユタから受けたそれを鎮める呪法も、簡単だが、記してある。未見の方は、是非、読まれたい。なお、芥川龍之介自身、自ら自分のドッペルゲンガーを見たと、晩年に証言している。これは、二年前にブログで『芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版)』として公開してある。これは、一つにネット上に、「芥川龍之介が自殺した原因は彼が自分のドッペルゲンガーを見たからである」などという、無責任極まりない非科学的な糞都市伝説が横行していることを正したいという思いから電子化したものであるが、未見の方は読まれたい。なお、「諸國百物語卷之一 十一 出羽の國杉山兵部が妻かげの煩の事」は本篇の転用である。因みに、近代幻想小説中で、離人症を扱った嚆矢は芥川龍之介が敬愛してやまなかった泉鏡花で、それは鎌倉を舞台とした「星あかり」(明治三一(一八九八)年八月発表)である(リンク先は昨年五月に公開した私の正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版である)。]

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