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2023/03/25

「曾呂利物語」正規表現版 第三 / 第三目録・一 いかなる化生の物も名作の物には怖るゝ事

「曾呂利物語」正規表現版 第三 一 いかなる化生の物も名作の物には怖るゝ事

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇には挿絵があるので、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどくみえにくくなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。

 

曾呂利物語卷第三目錄

 

 一 いかなる化生(けしやう)の物も名作の物には怖るゝ事

 二 離魂と云ふ病(わづら)ひの事

 三 蓮臺野にて化物(ばけもの)に遇ふ事

 四 色好みなる男見ぬ戀に手を執る事

 五 猫またの事

 六 をんじやくの事

 七 山居(さんきよ)の事

 

 

曾 呂 利 物 語 卷 第 三

 

     一 いかなる化生の物も名作の物には怖るゝ事

 

 ある座頭、都の者にておはしけるが、

「田舍へ下り侍る。」

とて、山里を通りしが、道に行き暮れて、とある辻堂にぞ泊りける。

 弟子一人を召し具しけるが、夜半ばかりに、女の聲して、

「こは。何處(いづく)よりの客人(きやくじん)にて、渡らせ給ふぞ。妾(わらは)が庵(いほ)、見苦しくは候へども、是れに御入り候はんよりは、一夜(や)を明し給へ。」

と云ふ。

 座頭、

「御志(おこゝろざし)は有り難(がた)う侍れども、旅の習ひにて候へば、是れとても、苦しからず。其の上、早(はや)、夜の程もなく候間、參るまじ。」

と云ふ。

「さあらば、此の子を少しの間、預け參らせ候べし。」

とてさし出す。

「いやいや盲目の事にて候へば、御子(みこ)など、えこそ預り候まじ。」

と云へば、

「それは、情なし。すこしの間にて候まゝ、平(ひら)に賴み奉る。」

とて、さし出せば、弟子なる座頭ぞ、あづかりける。

 師匠の座頭、

「沙汰の限りなること。」

と忿(いか)りければ、

「少しの程。よも、別の事は、あらじ。」

とて、懷に入れにけり。

 扠(さて)、彼(か)の女は何處(いづこ)ともなう歸りぬ。

 とかくする中(うち)に、

「此の子、少し大きになり候は、如何に。」

と云へば、

「さればこそ、無用の事を、しつる。」

と云ひも敢へぬに、十二、三、四程に、なりぬ。

 

Satoumeisakunitetasukarukoto

[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「めいさくのかたなにて命たすかる所」とある。]

 

 扠、座頭を頭(あたま)より喰(く)ひまはる程に、

「あら、悲しや、何(なに)となるべき。」

と、泣き悲しむ中(うち)に、はや、喰(く)ひ殺しぬ。

 斯かりけるところに、女、來り、

「何とてあの師匠の座頭は、喰はぬぞ。」

と云ひければ、「何としても、寄られ候はぬ。」

と云ふ。

 其の中(うち)に、座頭の家に傳はる三條の小鍛冶宗近(むねちか)を、琵琶箱より取り出して、

「何者なりとも、たゞ、一うちたるべし。」

とて、四方八方を、盲切りに、切り拂へば、あへて近づく者も、なし。

 しばらくあつて、彼の女は何處(いづく)ともなく、失せぬ。

 扠も、

『怖ろしき事にて、ありける物かな。』

と思ひて、猶も、脇差を離さで居(ゐ)たる中(うち)に、早、夜(よ)も明けぬ。

『さらば、立ち出でん。』

と思ひ、道にかゝりて、行く。

 又、女ありて、云ふやうは、

「座頭は何處(いづく)に泊られ候。」

と云へば、

「あれに候ひつる。」

と答ふ。

「それは。化物ありて、容易(たやす)く人の泊る所にては、なし。不思議の命、助かり給ふことから。此方(こなた)へ入らせ給へ。」

とて、吾が家(いへ)へ連れて行く。

 扠、

「彼(か)の脇差を、ちと、御見せあれ。」

と云ふ。

 座頭、分別して、

「此の脇差は、總別(そうべつ)、人に見せ候はず。」

とて、鎺元(はゞきもと)を拔きくつろげてぞ、ゐたりける。

 又、そばより云ふやう、

「見せずは、唯(たゞ)喰ひ殺せ。」

とて、數多(あまた)の聲こそ、したりけれ。

「扠は。化物、ついたり。」

と云ふ儘に、脇差を拔き、四方を拂へば、彼の者共、かゝり得ず。

 少時(しばし)、戰へば、眞(まこと)の夜(よ)こそ、明けにけれ。

 邊[やぶちゃん注:「あたり」。]を探れば、元の辻堂に、唯、一人ぞ、居たりける。

 それより、座頭、辛き命、助かりて、斯くぞ、語り侍るとぞ。

[やぶちゃん注:「諸國百物語卷之一 二 座頭旅にてばけ物にあひし事」は完全転用。

「夜の程もなく候間」「夜半」になっているから、「夜も程なく明くる頃合いで御座いますから」という謂いであろう。

「三條の小鍛冶宗近」は平安時代の刀工。当該ウィキによれば、『山城国京の三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある』。『古来、一条天皇の治世、永延頃』(九八七年~九八九年)『の刀工と伝える。観智院本』「銘尽」には、『「一条院御宇」の項に、「宗近 三条のこかちといふ、後とはのゐんの御つるきうきまるといふ太刀を作、少納言しんせいのこきつねおなし作也(三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり)」とある』。『日本刀が直刀から反りのある彎刀に変化した時期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている』。『実年代については、資料によって』十~十二世紀と『幅がある』。『現存する有銘の作刀は極めて少なく』、『「宗近銘」と「三条銘」とがある。代表作は、「天下五剣」の一つに数えられる、徳川将軍家伝来の国宝「三日月宗近」』であるとある。

「總別」副詞で「総じて・概して・およそ・だいたい」の意。

「鎺元(はゞきもと)」刀剣などの鍔元(つばもと)。鎺金(はばきがね:刀や薙刀などの刀身の区際(まちぎわ:刀剣の柄に出ている本体の刃と背の部分)に嵌めて、鍔(つば)の動きを止め、刀身が抜けないようにする、鞘口の形をした金具を指す語。]

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