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2023/03/12

西播怪談實記(恣意的正字化版) / 姬路外堀にて人を吞んとせし鯰の事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。挿絵は新底本のものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した(底本の挿絵については国立国会図書館本の落書が激しいため、東洋大学附属図書館本が使用されている)。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

 ○姬路外堀にて人を吞(のま)んとせし鯰(なまず)の事

 姬路元鹽(もとしほ)町の裏借家(うらしやくや)に、太郞兵衞といひて、其日暮(そのひぐらし)のもの在(あり)しが、其妻、洗濯ものをして、三左衞門殿堀(《さんざゑもんんどの》ほり)へ【是は、往昔《そのかみ》、池田家領地の時、輝政公、掘《ほら》せ給ふによつて、號す。】、すゝぎに行(ゆき)て、先へすゝぎしは、前なる石の上に置(おき)て、跡なるを、すゞき[やぶちゃん注:ママ。底本にママ注記がないのは不審。]居《をり》けるに、沖(おき)の方(かた)より、水波(みづなみ)、すさまじく立來(たちき)て、段々と、磯の方へ、寄來(よりく)る。

 

Onamazu

 

 女、初(はじめ)のほどは、

「獺(かはうそ)などの、魚(うを)を取(とる)にや。」

と、見ゐたりけるに、我(わが)前近く寄(よる)をみれば、何かはしらず、波の中に、大(おほき)なる口を明(あけ)、たゞ一吞(のみ)と、目懸(めがけ)し勢(いきほい)に、膽(きも)を潰し、何(なに)かを、捨置(すておき)、迯退(にげのき)て、跡をみれば、彼(かの)石の上に置(おき)たる、白き浴衣(ゆかた)を、引(ひつ)くはへて、沖の方へぞ、歸(かへり)ける。

 女、走歸(はしりかへり)て、夫に、

「かく。」

と告(つげ)れば、太郞兵衞、行(ゆき)て、捨置(すておき)たる洗濯もの・桶・酌(しやく)などを、取集(とりあつめ)て歸(かへり)しが、此事、專(もはら)、沙汰有(あり)けるに、或人の曰、

「是は三左衞門殿堀の主(ぬし)といひ傳へたるが、二間[やぶちゃん注:約三・六四メートル。]斗(ばかり)有(ある)、鯰なり。我も、去年(きよねん)、堀の邊(ほとり)へ凉(すゞみ)に行《ゆき》て、初《はじめ》て見たり。子どもなど、堀の邊へは、遣(つかはす)まじき事なり。」

と、いひしとかや。

「此事、正德年中の事也。」と、我(わが)知音(ちいん)の人の、物語せし趣を書つたふもの也。

[やぶちゃん注:「姬路元鹽(もとしほ)町」兵庫県姫路市元塩町(もとしおまち:グーグル・マップ・データ)。姫路城の南東直近。

「三左衞門殿堀(《さんざゑもんんどの》ほり)」「是は、往昔《そのかみ》、池田家領地の時、輝政公、掘《ほら》せ給ふによつて、號す。」既出既注だが、再掲しておく。現在、店名に「三左衛門堀」を冠した店がこの附近に集中している。姫路本町地区からは南南西二キロほど離れている。流石に姫路城の濠ではない。ここは実際に兵庫県姫路市三左衛門堀(さんざえもんほり)西の町(にしのまち)という地名である。池田輝政は姫路藩初代藩主。彼の別名は「三左衞門」であった。事績は当該ウィキを見られたい。ここでは「沖」と言い、「磯」と言っているからには、この堀(濠)は、江戸時代には、かなり広さのあるものであったようである。「ひなたGPS」の戦前の地図を見ても、東の市川の流れの半分から三分の一ほどの堀幅があることが判る。

「獺」日本人が滅ぼしてしまった食肉目イタチ科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon。博物誌は「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」を見られたい。なお、正しい歴史的仮名遣は「かはをそ」とされ、例えば、所持する大学以来の愛用の角川新版「古語辞典」(久松潜一・佐藤健三編・昭和五一(一九六六)年五十五版)の見出し語は「かはをそ」である。しかし、所持する小学館「日本国語大辞典」では、「かはをそ」を歴史的仮名遣の表記として載せていない。一般に、「かは」は「川」であるが、「をそ」或いは「おそ」の語源の方は実は不確かで、「恐ろしい」の意とも、人を騙(だま)して「襲う」妖獣であると考えられたことから、「襲ふ」の意とも、また、人を騙すことから、「嘘」や「嘯く」に由来するなど、諸説があり、未詳である。但し、これらの語源説は、「かはをそ」を正規の歴史的仮名遣とする根拠には、ならないので、私には不審ではある。

「鯰」本邦の代表種は条鰭綱新鰭亜綱骨鰾上目ナマズ目ナマズ科ナマズ属マナマズ(ナマズ)Silurus asotus でこれは東アジア広域に渡って分布し、本邦では現在では(益軒は箱根以東に棲息しないとするが)沖縄などの離島を除く全国各地の淡水・汽水域に広く分布している。但し、その体長は六十~七十センチメートル程までで、一メートルを超える個体自体、聴いたことがない。誤認とは言え、この話柄のそれはデカ過ぎる。淡水で、一メートル程度まで大きくなり、獰猛な種というと、外来種のスズキ目タイワンドジョウ亜目タイワンドジョウ科タイワンドジョウ属カムルチー Channa argus がおり、近年、江戸時代にも既に進入していたことが確認されているらしいから、水鳥を襲ったりするので、白い浴衣を噛んで引きずり込む辺りは、そっちの方が頗る相応しい気がする。なお、マナマズの他には、日本固有種である三種が棲息する。それらは私の「大和本草卷之十三 魚之上 鮧魚(なまづ) (ナマズ)」を参照されたい。

「正德年中」一七一一年から一七一六年まで。]

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