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2023/03/12

西播怪談實記(恣意的正字化版) / 殿町の醫師化物に逢し事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。]

 

 ○殿町(とのまち)の醫師(いし)化物(ばけもの)に逢(あい)し事

 佐用郡(さよごほり)殿町といへる所に、三村何某(みむらなにがし)といへる醫師、在(あり)。

 寶永年中の、ある卯月下旬の事なりしに、所用に付(つき)て金近(かねちか)村へ行《ゆき》しに、又、菴(いほり)村へ行て、内談せざれば、濟(すま)ざるによつて、直(すぐ)に、菴村へ山越(《やま》ごへ)をして行《ゆく》【其間、壱里。】。

 元來、此道は九折(つゞらをり)なるが、古木(こぼく)、生繁(はへしげり)て、いと心すごき所なり。前々より、

「化物、出《いづ》る。」

と、いひ傳へけれども、三村、血氣、盛なる比《ころ》なれば、敢(あへ)て恐(おそろ)しとも、おもはず、持(もち)し鐵炮に、火繩を取添(とりそへ)て立出(たちいで)、山路(《やま》ぢ)に懸る比は、申の刻[やぶちゃん注:午後四時前後。]斗《ばかり》なれば、

「菴村へは、暮(くる)るべし。」

と、指急(さしいそげ)共《ども》、新樹、蒼々(そうそう)として、空に覆(おゝひ)、朽殘(くちのこり)たる木(こ)の葉の、埋果(うづみはて)たる細道なれば、はかどらず。

『今は、半(なかば)も過(すぐ)べし。』

と思ふ時、日は、西の山の端に、入《いり》ぬ。

 かくて、何となく、物恐(ものおそろし)く成行(なりゆけ)ば、

『世上の噂の、化物、出《いづ》るにや。』

と、持たる火繩を、ほどきて、數多(あまた)に切(きり)わけ、十筋(とすじ)斗にして、火を移し【大切の場にて、火繩を數多にする事、嗜《たしなみ》也。】、

『出《いで》なば、鐵炮にて打《うた》むものを。』

と、しづしづと、あゆみ行《ゆく》。

 此勢(いきほひ)にや恐(おそれ)けん、何《なに》も目にはみへざりけるが、林の中にて

「アハ、アハ、」

と高わらひしたる聲、耳の底へぬけて、恐(おそろし)さ、いはん方なし。

 難なく、菴村へ着(つき)て、暫(しばし)は、物も、いはざりけるを、亭主、早く、さとりて、

「今日、御出の道は、名ある所なるが、何(なに)にも、逢(あい)給はざりけるや。」

と、念比(ねんごろ)にとふに付《つき》て、

「しかじか。」

のよしを語れば、亭主、聞《きき》て、

「されば、去々年(おとゝし)、我(わが)一家(いつけ)のもの、

『用事、有て、平福(ひらふく)へ行(ゆく)。』

とて、其妻にいふやうは、

『今日、用談、濟ざれば、滯留すべし。晚方、迎(むかい)を差越(さしこす)に及《およば》ず。』

と、いふて、平福へ行しに、先方(さきがた)、金近(かねちか)へ行(ゆき)て、留守成(なり)ければ、直(すぐ)に跡を追ふて、金近へ行、對談し、要用(ようやう)、濟(すみ)しかば、山越(やまこへ)に當村(とうむら)へ歸(かへる)に、ほどなく晚方(ばんかた)になりけるに、向(むかふ)より來(く)るもの、在(あり)。近寄(ちかより)てみれば、召遣(めしつかい)の牛飼(うしかい)にて、

『旦那樣、お迎(むかい)に參《まゐり》たり。』

といふ。

『大儀なり。』

と答て、

『我(われ)、此道、不案内(ぶあんない)也。其方(そのかた)は金近ものなれば、よく存(ぞんじ)たるべし。案内すべし。』

といふて、先に立行(たてゆき)、つくづくと思ふやう、

『我、今朝、出《いで》し時、迎(むかい)を指留置(さしとめをき)たり。其上、此道を歸(かへる)事は、平福にて、俄分別(にはかふんべつ)なれば、しるべきやう、なし。此奴(このやつ)、必定(ひつぢやう)、聞及(きゝおよび)し化物なるべし。近寄(ちかよつ)て、切(きる)べし。萬一、寔(まこと)の牛飼なれば、是非もなし。』

と、心中に一決して、折を窺(うかゞふ)に、とかく二間[やぶちゃん注:約三・六四メートル。]ほどづゝ、隔(へだゝ)て[やぶちゃん注:ママ。底本では「へだゝりて」の脱字とする。]、手寄(てより)ざりしを、透(すき)を見合(みあはせ)、走懸(はしりかゝり)て切付(きりつく)れば、

『きやつ、きやつ、』

と、いふて、林の中へ迯(にげ)こみぬ。脇差の切先(きつさき)に、少(すこし)、血、付(つき)たりけるが、難所の林の中なれば、尋(たづね)むやうもなく、當村(とうむら)へ歸(かへり)て、我に、始終を咄けるが、偖(さて)は、其節の疵、薄手にて、今日、又、其元(そこもと)を、おびやかせしよ。」

など、語けるよし。

 近比(ちかごろ)、右、三村氏に參會(さんくはい)せしに、右の始末を語(かたり)、

「今に、彼(かの)笑ひ聲、耳に止(とゞま)りて、思ひ出《いづ》るも、身の毛も、彌竪(よだつ)。」

と、きこへぬる趣を書つたふもの也。

[やぶちゃん注:「殿町(とのまち)」「ひなたGPS」の二画面画像で国土地理院図の地名に確認出来る(逆に戦前の地図には載らない)。

「寶永年中」一七〇四年から一七一一年まで。

「金近」同じく前の「ひなたGPS」を南東に動いた位置の尾根を越えた南部分に「奥金近」と、その西南に「口金近」と、現旧ともに地名で確認出来る。

「菴村」は「殿村」の北のここにある(同前)。金近から庵に至る山越えというのは、同前でこの戦前の地図の南北を越えて行くわけであるから、昼間ならまだしも、夕刻からは、甚だしんどいルートと思われる。なお、怪事の起こった場所は、その庵へ向かう北部分と限定出来るから、グーグル・マップ・データ航空写真のこの附近が怪異ロケーションと考えてよかろう。]

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