佐々木喜善「聽耳草紙」 四八番 トンゾウ
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。なお、本篇の附記は特異的に長く、類型話が紹介されているので、ポイント落ちはやめにして(底本では一行目のみ本文相当一字下げで、二行目以降は全体が二字下げである)、本文と同じポイントで頭の一字下げのみを再現し、後は行頭まで引き上げてある。]
四八番 トンゾウ
鼠入(ソニウ)川の館石の分家に、佐平殿(ドン)とて世の中のこともよく分つた、[やぶちゃん注:底本は句点だが、「ちくま文庫」版で読点に代えた。]衆人にすぐれて力も强いマタギがあつた。ある日の夕方宮ノ澤と云ふ所ヘオキジシに出かけたが、其の夜に限つてさつぱり鹿が寄らない。そのうちに、もう夜も明けて朝日も登らうとする頃、家に歸るベエと思つて、山を下つて來たら、傍らのムヅスから突然に眞黑いコテエのやうな大きな物が飛び出して來た。
[やぶちゃん注:「鼠入(ソニウ)川」現在の岩手県下閉伊郡岩泉町(いわいずみちょう)岩泉鼠入川(いわいずみそいりがわ)附近(グーグル・マップ・データ航空写真)。小本川(おもとがわ)に南から合流する川に「鼠入川」が確認出来る。
「館石」氏姓名か。「たていし」と仮に読んでおく。
「宮ノ澤」「ひなたGPS」の戦前の地図で鼠入川周辺を調べたが、見当たらなかった。
「オキジシ」不詳。探すのではなく、鹿の通る道筋で待ち伏せするか、「括り罠」を掛けて置く(後で「オキジシかけ」「オキを立てていたら」と出る)狩法か。
「ムヅス」不詳。叢(くさむら)或いは藪や低灌木のそれか。
「コテエ」最終段落に「コテエ(牡牛)」と出る。私自身、幾つかの古文資料や諸地方の民俗資料の中で、「牡牛」「特牛」を「こつとい」(こっとい)「こてい」と読むのを見た。山口県下関市豊北町大字神田上にある「道の駅 北浦街道 豊北 ほうほく」公式サイト内の中野氏の記事『「こっとい」の由来 (※諸説あり)』に、『① 「特牛」には 港がありますが、この「港」を型取る入江のことを「琴江=コトエ」とも呼ぶこと』、『② 「特牛」の周辺が古い時代から和牛の牧畜が盛んな地域で、「牡牛」を「コテイ」と呼んでいたこと』、『③ 重い荷物を背負って運ぶ強靭な牡牛を「こといの牛」「こって牛」などと呼んでいたこと』という『諸説ありますが、 これらの語呂が変化して「特牛」を「こっとい」と読むようになったといわれています』とあった。]
佐平殿はそれを見て魂消(タマゲ)てしまつた。鐵砲も何も向けられない程近づいたし、これア俺ア之れに取つて食はれて仕舞ふベエかと思つたら、急に怖(オツカナ)くなつて、腰の切刄(キリハ)に手をかけて後尻退(アトシザ)りしてゐた。ところが其のバケモンが人間のやうな大きな聲を出して、俺アトンゾウだ。貴樣俺を打つて見ろ、打つたもんなら握り潰して仕舞アベアと呶鳴つた。佐平殿はオツカナマギレに夢中で山から逃げて戾つた。さうして考へてみると、今まで獸が物云ふたのを聞いたことも見たこともない。どうも奇態なことだ。[やぶちゃん注:底本は行末で句読点はない。句点で応じた。「ちくま文庫」版は読点。]屹度(キツト)あれア化物(バケモノ)に相違ないと思つて居た。
暫日(シバラク)經つてからまた橫長嶺と云ふ所ヘオキジシかけに出かけた。長根の一本栗の樹のところで、オキを立てゝ居たら、大きな大きな地搖《ぢゆる》ぎをさせて、何處からかその栗の樹目がけて飛びついて來た物があつた。そして其の樹をブツコロバスほど搖《ゆす》りつけると、枝がばりばりとヘシ折れて下に落ちた。佐平がよく見るとそれは此の前の化物だから靑くなつてしまつた。トンゾウはまた大きな聲で、貴樣アよくもよくも先達中《せんだつてうち》から此の山を荒しやがるなア、これから來て見ろ、來たらば今度こそツカミ殺してくれツから、さう思へツと言つた。佐平は怖くて堪《たま》らない。これから以來來ねアすケ、勘忍してくだンせえと言つて、そのまま又家へ逃げ歸つたが、それから此の人は病みついて十日ばかり經つと死んだ。
トンゾウとは何物であるか、ただコテエ(牡牛)のやうなもので、そして飛ぶ化物だと云ひ傳はつて居るばかりである。
(陸中閉伊郡岩泉地方の話。野崎君子さんの御報告分の二。)
[やぶちゃん注:「橫長嶺」やはり、「ひなたGPS」の戦前の地図で鼠入川周辺を調べたが、見当たらなかった。]