佐々木喜善「聽耳草紙」 二九番 鬼の豆
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
二九番 鬼 の 豆
昔々、ずつと山の奧の方に鬼が住んでゐた。或る日鬼が山から出て來て、雫石《しづくいし》だと俺の家の樣な所さ來てダエラ姉捕(サラ)つて行つて妻(オガダ)にして居た。
したばウナの樣な弟は每日々々姉の所さ行つて、見たえてきかねエがつた。家の人達はそんだら行け只《ただ》鬼に喰ひ殺されないやうにして來いと言つた。するとおんぢは段々に山の方さ行つて漸く鬼の家さ辿り著いた。
姉はオンジ、オンジ、何しに來てや。此所は鬼の家で人間が來れば皆捕つて喰《く》はれる。早く氣附かれなえ内に家さ戾つて行げと言つた。弟は、俺アやんた、姉樣見たいと思つて玆《ここ》さ來ただす、戾らなえと言ふと、そんだら俺隱してけら、默つて居えやポ、じき鬼テデヤ來るこつた。
オンヂが默つて隱れてゐると、鬼テデは山から小山の樣に澤山の薪を取つて背負つて來てドサツと下ろして家の中さ這入《はい》つた。そしてあゝ人間臭い人匂(カマリ)す、あゝ人間臭い、人匂すと言つて鼻を動かして居た。誰か人間は來なかつたか、どうも人臭い人臭いと言つた。すると妻が一人の人間が來て居るには來て居るが、その人間と三つの賭《かけ》をして負けた方が殺されることだが、どうだと言つた。
鬼テデは人間を食ひたい一方だから、どんな賭でも自分が勝つものと思ひ込んで、其のオンジと賭をした。第一番は据風呂《すゑぶろ》を二つ出して、水を汲む事であつた。オンジの方は直きに水が一杯になつたが鬼テデの方はどうしても一杯にならなかつた。それは下の方に密かに穴が明けられてあつたからだ。鬼テデは負けてしまつた。第二番目は藁繩を絢《な》ふ事になつた。妻は二人に藁一把づつ與へたが、鬼テデの方は荒藁、弟の方は柔かく打つた藁であつたので、今度も弟の方はスルスルと早く絢つたし、鬼テデの方はいつまでも、ガサガサして居て絢えなかつたので、又負けた。そこで今度は三番目の勝負になつた。三番目の勝負は、互に煎豆一升を食ふことであつた。妻は鬼テデの方には眞黑になるまで煎つた豆をやり、弟の方へは恰度味のよい加減の豆をやつた。二人は豆を食ひ初めたが、鬼テデの豆は苦(ニガ)くてとても食はれず、弟の方は甘いから、どんどん食ひ進んで、見て居る間にペラリと食つてしまつた。そこで又鬼テデが負けた。さうして人間を喰ひ損ねた。
それから黑焦げになつて食はれない豆を、鬼の豆と言ふやうになつた。
(此の話の發端は、父親が自分の娘を、鬼にでも
攫《さら》はれて行けばよいと言つたので、鬼が
攫つて行つたのであつた。最後に鬼は謀られて殺
され、姉弟は寶物を持つて家に歸つて來る。)
(尙又結末の方でも、鬼テデはさらに三度目の勝
負を挑んで、弟と湯の呑み競べをする。姉の計ら
ひいで、弟のは口加減に合ひ、鬼テデの方は熱湯
を呑ませられて、腹が燒けて死んだ。そこで弟と
姉とは鬼の館の寶物をみんな持つて家に還つた。)
(又三度目の賭に、カクレカゴをする。鬼テデを
木の唐櫃に入れて葢《ふた》をして、葢に穴を開
けて其所から熱湯を注いで殺してしまつた。そし
て姉弟は里に還る。田中氏はかく思ひ出してくれ
た。同氏御報告の分の五。)
[やぶちゃん注:「雫石だと俺の家の樣な所さ來て」方言のせいか、この箇所、ちょっと意味が私にはとれない。「雫石」は現在の岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)のことであろうとは思う。
「田中氏」既出既注の田中喜多美。]
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