佐々木喜善「聽耳草紙」 五四番 蛇の聟
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
五四番 蛇の聟 (其の一)
或山里の家に一人の美しい娘があつた。齡頃《としごろ》になると每夜何處からとなく美しい若者が通ふて來るやうになつた。母親は其れに氣がついて心配して、每夜お前の室に話聲がして居るが、誰か來るのかと訊いた。娘は先達《せんだつて》から每夜何所の人だとも分らない人が來るが、名前も所もどうしても話さないますと言ふと、母親はそれでは今夜來たら、其男の衣物の襟に縫針を刺してミズ(糸)を長くつけて置けと敎へた。娘はその通りにした。
翌朝起きてみると、昨夜歸つて行つた男の衣物の襟に刺した針のミズが障子の穴から通ふて外へ引かれ、そして何所までも何所までもずつと長々と引かれてあつた。娘は怪しんで其のミズ糸の通りに何所までも何所までも其の跡を求めて行つて見た。
其糸は奧山の岩窟の中に引き入れられてあつた。その岩窟の入口には格子戶が立つて居て中々入れなかつた。中には何者かがうんうん苦しさうな唸り聲を出して居た。娘が、俺ア來あんしたと言つて訪れると、中からいつもの男の聲だけして、あゝお前が來たか、お前が來るべえと思つて居た。俺は今大變な負傷(ケガ)をして居るからお前に逢はれない。今日は默つて歸れ。そしてもう二度とお前には逢はれないスケこれが緣の切れ目だと言つた。娘は悲しくなつて、俺アどんなことアあつても魂消(タマゲ)なえシケ話すとがんせ。そしてもう一遍どうか顏見せてがんせと言ふと、男はどんな事アあつても魂消んなと言つて顏を出した。すると昨夜衣物《きもの》の襟だと思つて刺した縫針が、大蛇の眉間《みけん》に剌さつて顏が血みどろとなつて居た。大蛇は、俺は斯《こ》んなになつてしまつたが、一向お前を怨まない。それどころかお前の腹に宿つた子を大事にして生んでくれ。きつと偉い者になるべえシケにと言つて命(メ)を落した。
(昭和五年七月二日夜。野崎君子氏の談話の五。下閉
伊郡岩泉地方の譚。)
[やぶちゃん注:全国的にある蛇の異類婚姻譚の一つ。
「野崎君子」今までにこれを含めて四話の提供者である。
「下閉伊郡岩泉地方」現在の岩手県下閉伊郡岩泉町(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。]
(其の二)
昔、タカバタケと云ふ所に一軒家があつた。夫婦の中に美しい娘が一人あつた。或時兩親が親類のところに御法事があつて行つて居る留守の間に、娘がただ一人で麻糸(アサ)を紡《う》んで居ると、其所へ立派なお侍樣が、居たかと言つてひよツこらと入つて來た。そしてヂエヂエお娘と聲をかけて、笑ひ小立てゝ側へ寄つて來た。娘が返辭もしないで居ると、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]爐傍に上つて來て、娘の帶を解くべとした。娘は魂消《たまげ》たが、どうもそのお侍樣の樣子が變なので、ハリ(縫針)にミヅ(絲)を通してそつとお侍の氣のつかぬやうに袴の裾に、それを深く刺し通した。するとお侍は顏色を惡くして居たが、間もなく娘の側を放れて立ち去つた。
親類の法事から兩親が歸つて來ると、娘が靑い顏をして萎《しを》れていた。なにしたと訊くと、娘はお前たちの居ないところへ、何所かの立派なお侍樣が來たつた。それでおれが其人の袴の裾にミズを突剌《つつさ》してやつたと言つた。それで父親は翌朝、ミズ糸の通り何處までもとめて[やぶちゃん注:「とめて」は「尋(と)めて」。知られたカール・ブッセの「山のあなた」で使用されてある。]行つて見たら、裏の藪の中に大きな蛇が腦天に止目(トヾメ)を刺されて、轉び廻つて苦しがつて居たが、間もなく命を落した。
(タカバタケ、岩手郡西山村大字長山の殆《ほとんど》
中央部の野原で、今の小岩井農場の域内である。昭和二
年十月十六日。大坊直治御翁報告に據るもの一。)
[やぶちゃん注:「ヂエヂエ」今、再放送中の「あまちゃん」でブレイクした感動詞用法だが、私の知人で岩手出身の方(先日、亡くなられた)は、同ドラマの始まった頃、「驚く時にジェジェとは言わないよ」と不満げに仰っていた。「大修館書店 総合サイト」の「WEB国語教室」の竹田晃子氏の「第5回 東北北部の方言より ジェジェジェ! ジャジャジャ! ―― 驚くほどに繰り返す感動詞の世界」によれば(語形変化表・分布地図有り)、驚きを示す感動詞としての用法もあるが、『意味用法からみると、実は、「呼びかけ」の用例数が圧倒的に多く、「驚き」の意味で使われた用例はその半分以下で』あるとされ、『ここで言う「呼びかけ」とは、出会いや話題転換の場面で相手に話しかけるときに、挨拶や新しい話題内容などの表現と一緒に用いられる用法で』、『新しい話題内容の場合には、感動詞の後に、質問・依頼・勧誘・命令・謝罪のように相手に働きかける表現が続く例が多くでて』くる、とあった。まさにここは、その性的な誘いを促すための、始めの「呼びかけ」が相応しい。
「タカバタケ、岩手郡西山村大字長山の殆中央部の野原で、今の小岩井農場の域内」現在の小岩井農場のあるのは、岩手県岩手郡雫石町(しづくいしちょう)丸谷地(まるやち)附近であるが、「西山」「長山」の地名としては、少し雫石町長山西寄内(ながやまんしよりない)のこの附近に当たるようである。「ひなたGPS」の戦前の地図では、ここに「西山村」が確認でき(南北に広域であったようである)、ウィキの「西山村(岩手県)」に『現在の雫石町西根・長山にあたる』とあったので納得された。「タカバタケ」相当の地名は見出せなかったが、ちょっと目がとまったのは、「ひなたGPS」で見つけた「高八卦」(たかはっけ:現在もある)である。]
(其の三)
近年、遠野町の某《なにがし》と云ふ侍の家に美しい女房があつた。夫が江戶の方へ行つて留守のうちに、何處からか知らぬが、見たことのない美男が每夜通つて來た。その女房がよくよく考へてみると、どうも其男の通ふて來るのに戶障子を開け立てする樣子は少しもなかつた。ただ寢室から庭前に向つた椽側《えんがは》の障子の穴が濡れてゐるだけであつた。女房が每夜のやうに、お前樣は何所の人で、私の許に何所から忍び入つて來ると聞いても、なんとも返辭をしなかつた。その上に其男は每夜來て泊つても物一言も言はないのが不思議でならなかつた。
女房は兼て聞いて居たことがあるものだから、或時男の知らないやうに、その衣物の裾に縫針にミヅを通したのを突き通してやつた。すると其男はいつもの障子の穴から出てずつと庭前にその糸を引いて行つた。そして庭の片隅のマダノ木株の穴に入つて、中でウンウンと唸つて苦悶して居る樣子であつた。そして夕方にはその唸聲《うなりごゑ》も聞えなくなフた。掘つて見ると穴の中には大きな蛇が眼に針を突刺《つつさ》されて斃《たふ》れて居た。
後で氣がつくと、其蛇は、女房が每夜腰湯をつかつて、其盥《たらひ》の湯をこぼさないで椽側に置くのに體を浸して溫《ぬる》めてから入るのであつた。
(大正十四年の冬頃。遠野町、岩城氏談の中の一。)
[やぶちゃん注:「マダノ木株」「マダノキ」は日本固有種のアオイ目アオイ科 Tilioideae 亜科シナノキ(科の木・科(しなのき)・級の木・榀の木)属 Tilia(タイプ種はシナノキ Tilia japonica )の別名である。参照したウィキの「シナノキ」によれば、『樹皮は暗褐色から茶褐色で、表面は若木では滑らかで、成木では薄い鱗片状で縦に浅く裂ける』とあり、そちらの画像を見ても、木自体が蛇に、少し似ているようにも私には見える。なお、「マダノキ」というのは、調べて見ると、「シナノキ」と同じく語源は判らないようである。
「後で氣がつくと、其蛇は、女房が每夜腰湯をつかつて、其盥の湯をこぼさないで椽側に置くのに體を浸して溫《ぬる》めてから入るのであつた」というのは、時制を遡って、蛇が、女房に恋慕したきっかけを語り添えたものである。]
(其の四)
或所に美しい娘があつた。齡頃になると每夜何處からともなく名も知らぬ美男が通ふて來た。每晚娘の室から睦まじそうな話聲が洩れるので、兩親は心配して障子の𨻶穴《すきあな》から覘《のぞ》いて見ると、美しい若者が來て居るが、どうも樣子が變つて居た。そこで娘にこの次ぎに來たら何かで試してみろと言ひつけた。
その次ぎの夜、娘は爐《ひぼと》に鍋をかけて豆を炒つて居た。そこへ男が來たから、おれは裏さ行つて來るから、お前がちよつとこの豆を炒つて居てケてがんせと言つて、裏の方へ立つて行つた。さうして裏口の障子の破穴《やぶれあな》から覘いて見て居ると、其美男は一疋の蛇になつて、釣鈎(ツリカギ)にからまつて尾(ヲツペ)で鍋の中の豆をがらがらと搔き廻してゐた。娘はそれを見て魂消て母親に謂つて聞かせた。すると母親はそれではえゝから黍團子《きびだんご》をこしらへて食はせて見ろと言つた。娘は今夜はお前にご馳走するからと言つて、黍團子をこしらへて食はせた。すると男は食つて居《ゐ》たつたが[やぶちゃん注:ママ。「ゐ」は「ちくま文庫」版の『いたったが』を参考に振ったが、「をつたのだが」の方言だろうか。]、今夜は俺は急に腹が痛くなつたと言つて、泊らないで出て行つた。
その翌朝娘の父親は、はてあの蛇は何所に行つたべと思つて、家の周圍(グルリ)の土を見ると、土に何かのたうち廻つたやうな跡がついてゐた。それからずつと捧切《ぼうきれ》でも引張つたやうな跡がついてをつたから、それをとめて行くと、裏のマダノ木株の根もとの穴の中に大きな蛇がのたうち廻つて苦悶して居た。それを鎌でジタジタに切り裂いて殺した。それからは娘の許《もと》に美男が通つて來なくなつた。
(母の話。私の古い記臆。)
[やぶちゃん注:「糸」の「ミズ」と「ミヅ」の混淆はママ。]