佐々木喜善「聽耳草紙」 四七番 旗屋の鵺
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。なお、本篇の附記は特異的に長く、類型話が紹介されているので、ポイント落ちはやめにして(底本では一行目のみ本文相当一字下げで、二行目以降は全体が二字下げである)、本文と同じポイントで頭の一字下げのみを再現し、後は行頭まで引き上げてある。太字は底本では、傍点「﹅」。
標題の「鵺」は「ぬえ」と読む。但し、これは狩人(マタギ)の綽名であって、例の源三位頼政が退治した南殿(なでん)のハイブリッドの怪鳥「鵺」とは関係性は、ない。そちらの「鵺」は私の「柴田宵曲 續妖異博物館 化鳥退治」を、鳴き声のモデルの鳥については、「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵼(ぬえ) (怪獣/鳴き声のモデルはトラツグミ)」を、どうぞ。]
四七番 旗屋の鵺
昔、上鄕村字細越(ホソゴヘ[やぶちゃん注:ママ。])、旗屋(ハタヤ)といふ所に、鵺(ヌエ)と云ふ狩人(マタギ)の名人があつた。この狩人には一人の娘があつた。娘が或日家の窓際で機《はた》を織つていながら、時々機を打つ手を休めては、獨語《ひとりごと》を言つてケタケタと笑ひ獨語を言つてはケタケタと笑つて居た。父の鵺はそれを見てこれには何か譯があることと思つて、物蔭から窺つて見て居ると、一足[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」は『一疋』とする。誤植であろう。]の小蛇が窓際に絡《から》まつて居て、尾端《をはし》をプルプルと顫動(フリウゴ)かすと、その度每《たびごと》に娘が笑つたり囁《ささや》いたりした。鵺は彼奴《きやつ》の仕業だと思つて、直ぐに鐵砲を持つて來て射殺《うちころ》した。そして其屍《しかばね》を前の小川に投げ棄てた。
その翌年の雪消《ゆきげ》の頃になると、前の小川に今迄見たことの無い小魚が無數に群れ集まつた。あまりに珍しいので獲(ト)つたが、なんと云ふ魚だか名も知らないから、鵺は先祖から口傳へになつて居る呪《まじな》ひ事をして、それから茅の箸でガラガラと搔廻《かきまは》してみた。すると今迄魚とばかり見えて居たものが、盡《ことごと》く小蛇に化(ナ)つた。鵺は前の秋の事を思ひ出して、驚き恐れてそれを近くの野に持つて行つて棄てた。夏になると其の邊にまた異樣な草が生へてひどく繁茂(シゲ)つたが、その草を食つた牛馬は皆死んだ。
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鵺はある日山へ狩獵に行つた。そしてマタギの法のサンズ繩を張り、枯木を集めて焚火《たきび》をしてから鐵砲を枕にして寢て居た。すると夜半にぱツちりと目が覺めた。何氣《なにげ》なしに向ふを見ると、一疋の小蟲が自分の方に這ひ寄つて來るのを見付けた。そこで鵺が其蟲を取つて外へ投げると、又直ぐ這ひ寄つて來たが、最初よりは少し體《からだ》が大きくなつて居た。鵺がまた取つて外へ投げると、直ぐに引つ返して這ひ寄つて來た。その時にも先刻よりはずつと體が大きくなつて居た。斯《か》ういふことが五六度繰り返されると蟲の體はずんずん大きくなつて、既に手では取つて投げられない程になつた。
鵺も氣味が惡くなつたので起き上つて、其の蟲を足で踏み潰さうとしたが仲々《なかなか》潰れない。かへつて踏む度《たび》に體が大きく伸びて、しまひには一間[やぶちゃん注:約一・八二メートル。]餘りの奇怪な大蟲になつた。鵺もこれは大變だと思つて鐵砲を取つて擊(ウ)つたが、彈丸ははぢけて少しも通らなかつた。鵺は初めて恐しくなつて、急いで其所を立ち退いて、家へ歸らうとどんどん駈け出した。ところが元《もと》來た路も變り山のアンバイも別になつてゐてひどく深山《しんざん》の中に迷ひ込んでしまつた。仕方がないから、谷川に添ふて逃げ下《お》りたが、終《しま》ひには山が立締(タテシバ)つて來たから此邊《このあたり》で川を渡るべと思つて川に入ると水がひどく漲《みなぎ》つてどうしても涉《わた》れなかつた。さアどうしたらえゝかと思つてまた岸へ上つて無理矢理に步かれない所を步いて行くと、幸ひに大木《たいぼく》が倒れて川に橋渡しになつてゐるのを見つけた。それを渡る。不思議なことには其所に一匹の白馬(アシゲウマ)が、丁度自分を待つて居るやうに立つて居た。鵺はこれを幸ひと其の馬に乘つて家に歸つた。そして家の門口(カドグチ)で下りると其馬が忽ち飜《ひるがへ》つてもと來た方《はう》へ駈け戾つて行つた。
鵺は怪蟲におびやかされたのが口惜しくて、それから再三山に射止(シトメ)に行つたが、其の時の姿の山や川はもとより、自分が助けられた白馬にもとうとう[やぶちゃん注:ママ。後文も同じ。]出會はなかつた。
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鵺がある時狩山に行つて泊つて居た。すると近くの大きな樹から光が射(サ)して、其側に一人の女が糸車で糸を紡《つむ》つて居た。これはてツきり狐か狸の仕業だと思つて鐵砲で擊(ウ)つと、女はケタケタと笑つて動かなかつた。再三擊つても女はやツぱりケタケタと笑つてばかり居た。呆れて其夜は家に歸つた。
翌朝鵺が親父に昨日の夜山(ヨヤマ)の事を話すと、そんな物には普通の鐵の丸(タマ)で普通の射方《うちかた》では當らないもんだ。同じ鐵の丸(タマ)でも五月節句の蓬《よもぎ》、菖蒲《しやうぶ》にクルンデ込め、鐵砲の筒穴に草葉でも木の葉でも詰めて擊つとよく命中(アタ)るものだ。尙それでも魔物が平氣だら取置(トツト)きの黃金《きん》の丸(タマ)で打つより仕方がないと敎へた。その外種々《いろいろ》なことや祕傳を敎はつて、其夜復《また》その山へ行つた。するとやつぱり前夜と同樣に大木から光が射(サ)して、其側で女が糸車をくるくると廻して居た。父親から敎はつた通り五月節句の蓬、菖蒲にクルンダ彈丸(タマ)を込めて打つたが、其女は一寸顏を上げて此方《こちら》を見たばかりで、矢張りケタケタと笑つてばかり居た。斯うなつては仕方がないから思ひ切つて先祖傳來の祕藏の黃金の彈丸を込めて、しつかり狙ひを定めて火繩を切つた。すると女はギヤツと一聲銳く叫んで光も何もペサツと搔き消えてしまつた。
翌朝夜が明けてから血の引いた通りに探し求めて行くと、或る岩窟(ユワアナ[やぶちゃん注:ママ。])の中に見たことのない怪獸が斃《たふ》れて居た。それを背負つて來て父親に見せると、猿の經立(フツタチ)とはこれのことなんだと云つた。皮を殿樣に献上すると、ひどく褒められたあげくに、鵺といふ名前を其時與へられた。
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或夜鶴の夢枕に山ノ神樣が現はれて、これから東南(ヒガシミナミ)の深山に大樹があるが、その朽穴《くちあな》に恐しい毒蛇が棲んで居る。俺が力を貸すから明日雷が鳴り出すのを合圖に、機(トキ)を逸(ハズ)さぬやうに鐵砲で打つて殺せ、さうして其山は斯う謂ふアンバイの山で、かういふ風の樹木だと、その態(アリサマ)まで、まざまざと告げられた。[やぶちゃん注:ここは行末で句点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]鵺は不思議な事もあればあるものだと思つて、翌日夢の御告げのあつた方角の深山へ行くと、木も石も果して夢に見た通りであつた。その奧に恐しい大樹があつた。あの樹の中に居るなと思つて、物蔭に匿れて窺つて居ると、俄《にはか》に天が暗くなつて、ガラガラガラと雷が鳴り轟いた。すると大樹が二ツに裂けて靑い焰を吹き出すこと頻りであつた。雷樣《かみなりさま》が解(ト)けたな[やぶちゃん注:「収まったな]」。と思ふ間《ま》に、恐しい大蛇が朽穴から躍り出た。昨夜の山ノ神樣のお告げはこれだなと思つて、鐵砲を擊(ウ)つと、彈丸(タマ)は誤らないで大蛇の胴を貫いた。すると大蛇は猛《たけ》り狂つて、鵺をたゞの一呑みと躍りかゝつて來た。さすがの鵺もその勢ひに怖れて逃げると、大蛇は大口を開いて後からどんどん追(ボ)ツかけて來た。鵺はとうとう家まで逃げて來て門を締切ると、大蛇は垣根を乘越へて[やぶちゃん注:ママ。]内へ入らうとした。其の時玄關から黃金(キン)の丸(タマ)で大蛇の咽喉笛から頭を射貫《うちぬ》いて首尾よく射殺《うちころ》した。その大蛇のろくろ骨を玄關の踏臺にして遂《つ》ひ近年まで其家にあつた。
其山は今の氣仙郡の五葉山《ごえふざん》であるとも、また閉伊(ヘイ)の仙盤ケ嶽《せんばんがたけ》であるとも謂ふ。とにかく古來鬱氣《うつき》のために入つた人は橫死すると謂はれたこれらの山が、其後何事もなくなつたと村人は語る。
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鵺が或時、片羽山《かたばやま》の深澤の沼のほとりで狩獵をして居た。其日鵺は大きな十六肢[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版では『十六枝』となっており、鹿の角分岐したそのことと判るので、誤植であろう。]の白い鹿を射止めた。そこで皮を剝ぐと、片側剝げば片側が元のやうに癒着(クツツ)き、片方を剝ぐと片方が又元のやうな附着いた[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版では『元のようにくっついた』である。]。そして蘇生(イキカヘ)つて走《は》せた。鵺はそれを追ふて、今の死助(シスケ)權現の嶺まで追つかけて來て遂々《たうとう》斃した。其鹿の眼玉は如意の珠《たま》と謂ふ物であつた。手に取ると忽ちに其所に葦毛の駒が現はれたから、その背に乘つて家に歸つた。そして下りると又忽ちに其の駒は山の方へ駈けて行つて見えなくなつた。
鵺それからマタギの事は何でも意の如くになつた。この珠は代々この家の寶物であつたが、大正五年頃の火事の時、何處へか飛んで行つてしまつた。それからは矢張り家運が昔日《せきじつ》のようでないと村人は語る。
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鵺は仙盤ケ嶽に古鹿《ふるじか》が居ると云ふことを聞いて、喜び勇んで直ぐ山へ出掛けた。そして神樣に何卒此深山に居る古鹿を得させ給へと祈願して待つて居たが、鹿の姿は見えなかつた。仙盤ケ嶽の大石の上に登つて每日每夜待つて待つて、恰度九百九十九晚(バン)、その其石の上に居た。さうして恰《あたか》も千晚目の眞夜中頃に、えらい山鳴《やまなり》と共に現はれたのが、額に小松の生えたやうな十二枝の角(ツノ)のある大鹿であつた。
鵺が狙ひを定めて放つた彈丸はたしかに手答へがあつたが、鹿は倒れない、血を流しながら逃げた。鵺がその後を追ひかけて行くと、山を越え谷を渡つて、遂に一つの大きな嶺の頂上で倒れた。鹿が餘り大きなために皮だけを獲(ト)ろうと思つて、皮を剝ぎかけると、今迄死んで居たのが立ち上つてまた逃げ出した。
鵺はまた其の鹿を追ひ追ひ、今の笛吹峠の邊まで來ると、忽然として鹿の姿も足跡も搔き消すやうに見《みえ》なくなつた。それで、これは只の鹿ではないと思つて、其の山の頂上に祠《ほこら》を建てゝ祀つたのが、今の死助權現である。
そして千晚籠(コモ)つた放に其の山は千晚ケ岳、鹿の片羽(カタハ)を剝いだ山をば片葉山と稱して、土地でのいわゆる御山(オヤマ)である。三山共に權現を祭つた祠がある。
[やぶちゃん注:この山中の奇怪談は、後半が諸地名の由来譚となっており、それも面白い。
「上鄕村字細越(ホソゴヘ)、旗屋(ハタヤ)」ここは幾つかのネット記載から、現在の岩手県遠野市上郷町(かみごうちょう)細越三十五地割(グーグル・マップ・データ航空写真。以下、無指示は同じ)がそこである。マタギの住むだけあって、遠野市街区の南東の山間を入った山腹の斜面である。
「サンズ繩」『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 六〇~六二 山の怪』の「サンヅ繩」の注を参照されたい。
「猿の經立(フツタチ)」「二三番 樵夫の殿樣」で既出既注。
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「山ノ神樣が現はれて、これから東南(ヒガシミナミ)の深山に……」旧旗屋地区から東南を見ると、「山神宮」があり、そのさらに先に後で出る「五葉山」(ごようざん:標高千三百五十一メートル)がある。ウィキの「五葉山」によれば、『藩政時代は伊達藩直轄の山であり、火縄の材料となるヒノキ、ツガなどの林産資源が重要視されて「御用山」と呼ばれていた。後にこの山で多く見られるゴヨウマツ(五葉松)』(裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目マツ科マツ属ゴヨウマツ Pinus parviflora )『に因んで「五葉山」と呼ばれるようになった』とある。
「ろくろ骨」頭部と脊椎骨をジョイントする部分の太い頸骨か。
「氣仙郡の五葉山」現在の五葉山は岩手県気仙郡住田町と旧気仙郡の大船渡市及び釜石市の境に位置する。
「閉伊(ヘイ)の仙盤ケ嶽」これは「佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 三一~三五 山中の怪」の「三二」に酷似した白鹿と「片羽山」命名譚がある。そちらでは「千晚ケ嶽(センバガダケ)」であるが、これは現在の仙磐山(せんばんやま)。標高千十六・二メートル。この山は「仙葉山」「仙羽山」(せんばやま)とも呼ばれるようである。ここ。その西六キロメートル強の位置に「片羽山」がある(双子峰で北にある雄岳が最高標高点で千三百十三メートル。「ひなたGPS」の戦前の地図で確認出来る)。現地では「片葉山」と書くようである。登山記録記事を見たが、孰れも上級者向きのコースで、航空写真を見ても、この間の尾根と谷は見るからに難所という感じがする。ある方の仙磐山登山の記載では、まさに「鹿道」(ししみち:獣道)に入り込んで迷ったとさえあるのである。
「鬱氣《うつき》のために入つた人は橫死する」この謂いは、ちょっと解せない部分ある。憂鬱になって山に入るというのは、世を儚んで深山幽谷に入って遁世するということか? そんな気持ちで入山すると、瞬く間に、山の魔によって行路死亡人と化すというのか? そもそも隠遁の究極は行き倒れに尽きると思うから、この言いは警告とならないのでは? と私は思ったのである。
「片羽山の深澤の沼」上の「ひなたGPS」の戦前のそれで探してみたが、「深澤」の地名も沼らしいものも見当たらなかった。
「死助(シスケ)權現」やはり「佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 三一~三五 山中の怪」の「三二」に出る。そちらの注を参照されたい。但し、現在は別な場所にある。
「笛吹峠」ここ。]