佐々木喜善「聽耳草紙」 二三番 樵夫の殿樣
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
二三番 樵夫の殿樣
ある所に樵夫(キキリ)の父(トト)があつた。春の天氣のいゝ日に、山へ木伐りに行つて、日向ぼツこをしながら斧を磨いで居た。さうして磨ぎ上げて、さあこれから木でも伐ンベえと思つて、洞(ホラ)[やぶちゃん注:山の奥深い所。]へ行つて、木を伐りながら傍らを見ると、巨木の蔭に見慣れぬ穴があつた。父はハテ不思議だと思つて、其穴へ入つて見ると中は案外樂々と步けた。何處までも何處までも行つて見ると、餘程來たなと思ふ頃、ひよツと明るい所へ出た。其所は大變廣い野原であつた。父はその野原をまた何所までも何所までも行くと、或村里へ出た。父は不思議な國もあるものだと思つて、四方を眺めながら行くと、その村里の中程頃に立派な門構への館があつて、その家に出入りする多勢の人達が、みんな聲を立てゝ、おウいおウいと泣いて居るのであつた。
父は、しばらく立つて其樣子を見て居たが、それでも何が何だか解《わけ》が分らないから、其所へ來た婆樣に譯を訊いて見た。すると婆樣は、お前は何所から來た何處の人だか知らないが、今夜この館の一人娘が、この國の生神(イキガミ)樣に、人身御供(ヒトミゴクウ)に取られるので、村の人達は皆斯《か》うして泣いて居るのだと言つた。父はそれを聽いてそれはモジヨヤ(可愛想)な話だ。そんだら其娘を俺が助けてやりたい。俺はこの上の日本から來た者だと言つた。すると其婆樣はこれこれと叫んで館へ行つて、日本から斯《か》う謂ふ人が來たと言ふと、皆はひどく喜んで、どれどれと言つてぞろぞろと出迎へに出た。そしてまづまづ此方《こつち》へ上れと言はれ、立派な座敷に通さられて、大層御馳走になつた。
其夜、父は其娘の身代りになつて、白木の棺箱《かんば》[やぶちゃん注:後の本文でそうカタカナで振られる。]に入つて、里端《さとはづ》れの山の麓の御堂まで、村の人達に持ち搬《はこ》ばれて行つた。村の人達は父の入つた棺箱を御堂の緣の上に置くと、吾勝ちにと逃げ歸つた。父は其後で、今に何か出て來るかと思つて、じつとして待つて居た。すると眞夜半頃《まよはんごろ》になつた刻限ソヨソヨと腥風(ナマグサカゼ)が吹いて來ると、何物だかワリワリと林を打ち鳴らして來た者があつた。父はそれヤ來たなと思つて居ると、やがて御堂の緣側をみしりみしりと踏んで、段々と棺箱の方に近寄る物がある。よく見ると、總身《さうみ》に蓑を着たやうな、六尺豐《ろくしやくゆたか》もある猿の經立(フツタチ)であつた。それがいよいよ近寄つて來て棺箱(カンバ)の葢《ふた》を搔開《かきあ》けたから、父は己(オノレ)ツと叫んで、持つて居た斧で、經立(フツタチ)の眉間《みけん》をグチヤリと眞二つに斬割《きりわ》つた。
村の人達は、あの人ア今頃ア、生神樣に食ひ殺されて、髮の毛筋も殘つては居まいと言ひ合つて、翌朝未明に麓の御堂へ行つて見ると、父は斧を持つて彼方此方《あちらこちら》を步き廻つて居た。そして恠物《かいぶつ》はしつかり退治したから安心し申さいと言つた。見ると、見たことも聞いた事もないやうな怖(オツカナ)い怪物が頭を眞二つに斬割られて死んで居た。これだこれだ每年此の國の娘を取つて食つた物ア、去年は俺の娘を取つて食つた、一昨年は俺の妹を取つて食つたと口々に罵つて、各々に、斧や鍬で其怪物をさんざんに斬つたり撲《ぶ》つたりした。其あげくに彼方此方から薪木を持集《もちあつ》めて來て其屍《しかばね》を燃してしまつた。
それから村の人達は、お前樣こそ眞實(ホントウ[やぶちゃん注:ママ。])の生神樣だ。此國の助神樣《すけがみさま》だと言つて、手車《てぐるま》をして父を館まで連れて還つた。そして一同で願つて、其館の一人娘の聟殿になつて貰つて、七日七夜の祝ひの酒盛をした。
(祖父の好く話した話。古い記憶。)
[やぶちゃん注:妖猿への人身御供譚は、古く「今昔物語集」にまで遡ることが出来る。「卷第二十六 本朝付宿報」の「美作國神依獵師謀止生贄語 第七」(美作(みまさか)の國の神、獵師の謀(はかりごと)に依りて生贄を止めし語(こと) 第七(しち))と「飛驒國猿神止生贄語 第八」(飛驒の國の猿神(さるがみ)、生贄を止(とど)めたる語 第八)で、これは「柴田宵曲 妖異博物館 人身御供」の私の注で電子化してあるので、柴田の本文とともに見られたい。
「猿の經立(フツタチ)」「經立(フツタチ)」は現代仮名遣「ふったち」で「年(とし)經(ふ)りて立つ」、ある生き物が歳を永く「經」(へ)て異形ののものとして「立」(た)った(或いは長年月を「経立(へだ)たって」変じた)ものの意であろう。千葉幹夫氏の「全国妖怪語辞典」(一九八八年三一書房刊「日本民俗文化資料集成」第八巻所収)には青森では「ヘェサン」「フッタチ」とし、『動物が年老いて霊力を備えたものをいう』とあり、ウィキの「経立」には、『青森県、岩手県に存在すると言われる妖怪あるいは魔物。生物学的な常識の範囲をはるかに越える年齢を重ねたサルやニワトリといった動物が変化したものとされる』。『民俗学者・柳田國男の著書『遠野物語』の中にも、岩手県上閉伊郡栗橋村(現・釜石市)などでのサルの経立についての記述がみられる。サルの経立は体毛を松脂と砂で鎧のように固めているために銃弾も通じず、人間の女性を好んで人里から盗み去るとされている。この伝承のある地方では、「サルの経立が来る」という言い回しが子供を脅すために用いられたという』。『また』、『國學院大學説話研究会の調査による岩手県の説話では、下閉伊郡安家村(現・岩泉町)で昔、雌のニワトリが経立となり、自分の卵を人間たちに食べられることを怨んで、自分を飼っていた家で生まれた子供を次々に取り殺したという』。『同じく安家村では、魚が経立となった話もある。昔』、『ある家の娘のもとに、毎晩のように男が通って来ていたが、あまりに美男子なので周りの人々は怪しみ、化物ではないかと疑った。人々は娘に、小豆を煮た湯で男の足を洗うように言い、娘がそのようにしたところ、急に男は気分が悪くなって帰ってしまった。翌朝に娘が海辺へ行くと、大きなタラが死んでおり、あの男はタラの経立といわれたという』とある。猿のそれは、私の『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 四四~四九 猿の怪』を参照されたい。
「手車」二人以上の者が、両手を差し違えに組んで、その上に跨らせて運ぶこと。]
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