佐々木喜善「聽耳草紙」 三四番 大工と鬼六
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
三四番 大工と鬼六
或所に大變流れの速い大川があつた。なんぼ橋を架けても忽ち流されるので、村の人達も困つて居た。いろいろ寄合ひで協議をしたあげく、近鄕で一番名高い大工に橋架けを賴むことにした。
その犬工は腕前がよかつたから、ウンと返辭をしたが、内々心配でたまらなかつた。それで橋を架ける場所の淵の岸へ行つて、つツつくぼ(うずくまつて)してじつと流れる水を見て居た。すると水面に泡がブクブクと浮んで、ブツクリと大きな鬼が現はれた。そして、この邊での名高い大工どん、お前は何を考へて居れアと言つた。大工は、俺は今度ここへ橋架けを賴まれたから、それでどうかして立派な橋を架けたいものだと思つて、こうして考へて居ると云ふと、鬼は笑つて、お前がいくら上手な大工でも此所サ橋は架けられない。けれどもお前の眼玉をよこしたら、俺がお前に代つてその橋を架けてやつてもいゝと言つた。大工は俺はどうでもよいと云つて、その日は鬼に別れて家に歸つた。
大工が次ぎの日《ひ》川へ行つて見ると、橋が半分架つてゐた。またその次ぎの日行つて見れば橋がもはやちやんと立派に架け上つてゐた。魂消《たまげ》て見て居ると、其所へ鬼が出て來て、サア眼玉アよこせツと言つた。大工は待つてケロと云つて宛(アテ)もなく山の方サ逃げて行つた。そして彼方此方《あちらこちら》と步いて居ると、遠くの方から童(ワラシ)衆ドの唄を歌ふ聲が聞えて來た。
早く鬼六ア
眼玉ア
持つて來ばア
ええなアー
大工はそれを聞いて、本性《ほんしやう》に返つて家へ還つて寢た。その次ぎの日大工が川へ行くと、鬼が出て來て早く眼玉アよこせツと言つた。大工がもう少し待つてケロと言ふと、鬼は、お前がそれ程俺に眼玉をよこすのが厭《いや》だら、俺の名をアテてみろと言つた。大工はよしきたお前の名前はナニソレだと、わざと出まかせを云ふと、鬼は喜んで、そんでア無い、なかなか鬼の名前が言ひアテられるもんぢやないと言つて笑つた。大工は又ナニソレだツと言つた。ウンニヤ違ふと鬼は言つた。大工は又ナニソレだツと言つた。鬼はウンニヤ違ふ違ふと言つた。大工は一番おしまひにえらく大きな聲で、
鬼六ツ
と叫んだ。そうしたら鬼はポツカツと消えて失《な》くなつた。
(膽澤《いさは》郡金ケ崎《かねがさき》の老婦の話を
小山《おやま》村の織田秀雄氏が聽いて知らしてくれた
ものの一、昭和三年の冬の分。)
[やぶちゃん注:「鬼六ツ」の四字下げはママ。なお、「盛岡市上下水道局」公式サイト内に「盛岡弁で聞く水にまつわる岩手の民話 ~水と私たちの今、昔~」があり、畑中美耶子さんの朗読になる、本話の話が「2」の「大工と鬼六」で聴ける。是非、お聴きあれかし!
「膽澤郡金ケ崎」現在の岩手県胆沢郡金ケ崎町(グーグル・マップ・データ)。
「小山村」現在の奥州市胆沢小山(同前)。]
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