佐々木喜善「聽耳草紙」 三五番 癩病
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
三五番 癩 病
飛驒の工匠《たくみ》は偉《えれ》え人であつた。一日に七ツの觀音堂を作りにとりかゝつた。するとその偉さにドンコロ(木の切端)が弟子入りをした。又それよりも小さな切端はその又弟子に、弟子ア弟子イ弟子ア弟子イと順々に次から次へと鋸屑《のこくづ》の果てまで弟子入りをして一生懸命に働いた。それでたつた、一日に御堂の七ツも作れたのであつた。
最後の御堂を建てる時であつた。今まで人間の姿になつて働いて居たドンコロや鋸屑の魂《たましひ》を下げてからぶツつけやう[やぶちゃん注:ママ。]と思つて、一枚の板を打ち付けずに置いて、弟子どもの數を檢べて居たが、そのうちに鷄が鳴いた。それでドンコロや鋸屑等はどうぞこのまゝ人間にして置いて下さいと再三歎願した。工匠も終《つひ》に斷りきれず、お前たちは元々木である。お前たちは何時かは腐るものである。もしそのまゝ人間の形をしていても腐る病《やまひ》にとりつかれる。その病ひはドス(癩病)といつて自分から他人にウツルものではない。自分から出て自分で腐る。お前たちはお前たちで一緖に廻してやる。斯《か》う云ひ置いてから工匠は雲に乘つて(天へ?)行つた。最後の一枚は打ち殘したまゝであるが、殘された板はその後《のち》誰が打つてもハマらなかつた。
この時から癩病と云ふ病氣が出來た。そして又マギといふ、その病ひの出來る家筋《いへすぢ》も出來た。
それに續く話がもう一つ。ドス病ひには土《つち》ドスと云ふのがある。それはその時鋸屑に土が混つて居たのを人數が足りないと思つて魂を吹ツ込んで働かした。それでこの分のドスは體が土色に腐つて死ぬ。
飛驒の工匠ほどの偉さでも、一人では一日に七堂も作れぬので、そんな物にまで魂を吹ツ込んで手傳《てつだ》はしたのである。
(陸奧、八戶の奧南新報に載つた村の話の中から
の摘要。昭和四年十月十六日の分。又陸中岩泉地
方でも同樣の話を聽いたので集錄した。昭和五年
九月二日の分。)
[やぶちゃん注:疾患起源伝承の一つ。工人が木偶(でく)に魂を入れて使役したという伝承も汎世界的にある伝説である。「癩病」は誤った甚だしい差別観念を纏っているので、現在は使ってはならない。「ハンセン病」である。にも拘らず、その病原菌を「らい菌」と今も呼び続けているのは、私には納得できないでいる。「ハンセン病菌」とすべきである。同疾患とその差別史については、繰り返し、注を附してきたが、一番新しい『鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三 起請文の罰の事」』の『「白癩黑癩(びやくらいこくらい)」の文(もん)を書入れたり』の私の注を、必ず、参照されたい。
「ドス(癩病)」ウィキの「ハンセン病」の「日本の古い呼称」の項に、『奈良時代に成立した』「日本書紀」や「令義解」(りょうのぎげ)には、『それぞれ「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」という言葉が出ており、現在のハンセン病ではないかとされている』。『「令義解」には「悪疾所謂白癩、此病有虫食五臓。或眉睫堕落或鼻柱崩壊、或語声嘶変或支節解落也、亦能注染於傍人。故不可与人同床也。」と極めて具体的な症状が書かれており、これが解釈の根拠になっている。この解釈が正しいとすると、これが世界最古の感染症に関する記述となる。ただし、ハンセン病以外の皮膚病を含んでいるという可能性も指摘されている』。『鎌倉時代になると、漢語由来の「癩(らい)」や「癩病」が使われるようになった』。『江戸時代になると、やまとことばで「乞食」を意味する「かったい(かたい)」という言葉も使用されるようになった。この言葉は、一般には江戸時代まで使われたが、第二次世界大戦後まで使用された地域もあった。方言としては「ドス」』(☜)、『「ナリ」、「クサレ」、「ヤブ」などの蔑称も使用された。沖縄において』は、『ハンセン病、或いは患者は』、『「クンキャ」と呼ばれ、忌避される存在だった』とある。
「マギ」これは、小学館「日本国語大辞典」にも載るが、小学館「日本大百科全書」の「まき」がその語源(特定の集団を名指す限定使用として)であろう。則ち、『同じ村内の本家分家仲間(同族団)の呼び名』で、『エドウシ、イッケ、ウチワ、イットウ、カブウチ、ジルイなど同姓・同系の家仲間の方言の代表名として、現在は』、半ば『学術語にもなっている。しかし』、『マキを広く血筋につながる親族の範囲に用いる地方もあって、かならずしも実際の用例は「同族(本家分家仲間)」に限られてはいない。東日本一帯に広く分布する親族関係用語で、おそらくは「まとまり」を意味する古語に源流するところであろうが、広く血筋、血統、血縁による仲間を意味したり、あるいは同一村内の同系出自の家々(同族)の仲間だけに限定するのは、それぞれの地方の実態に即して、のちに分化したのであろう。マケ、マギ』(☜)、『マゲともいうが、その語源は明確ではない』とあった。ともかくも、この記載によって、既に古くから、「ハンセン病の血筋というものがある」という誤った差別風説が存在したことが判る。また、明治初期、西洋医学の流入に伴い、半可通の者が、「ハンセン病が遺伝する」という、とんでもない非科学的な流言をも作り出したりもしたのである。
「陸中岩泉地方」現在の岩手県下閉伊郡岩泉町(グーグル・マップ・データ)。龍泉洞で知られる。釜利谷の男子クラスの教え子たちよ、二年生の時、担任として、一緒に行ったのを覚えてるかい?……あの時は、ほんに、楽しかったなぁ!……。]