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2023/04/22

大手拓次 「『惡の華』の詩人ヘ」

 

[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。

 以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。なお、本篇を以って、「藍色の蟇」に所収しない同パートの詩篇は終わりである。]

 

 『惡の華』の詩人ヘ

 

    

 

たそがれの色はせまり、

紅貝(べにがひ)のやうなおまへの爪はやはらかい葡萄色になみだぐむ。

おまへの手は空をさし、

おまへの足は地をいだき、

おまへのからだは野の牝兎(めうさぎ)のやうにくらがりの韻をはらむ。

さて、わたしは眼のなかにひとつの手斧をもち、

このからだを、このたましひを、

みづから斷頭臺のそよぎのうへにはこぶ。

斷頭臺はゆれてはためき、血の噴水をみなぎらし、

亡靈のやうに死のおびきをしめすとき、

わたしの生命(いのち)鳥のやうにまひたつてとびかかりながら、

地の底にねむる母體の神性をよびさますのである。

無言の神性はますますはびこつて蔓草(つるくさ)となり、水となり、霧となり、

大空の凝視となつてあゐ色のゆたかなる微笑にふけつてゐる。

なつかしいひとりの友ボオドレエルよ、

わたしはおまへの幻怪のなかに床をとつてねてゐる。

おまへの手づくりの香のふしぎに醉(ゑ)うてゐる。

おまへはそのながくのびたうつくしい爪をだして美女の肢體をひきかく。

とび色のおまへの眼はつねに泉のごとく女のうしろ姿を創造する。

神話的なおまへの鼻はいろいろのお伽噺をかぎわけ、

あるひは、巢のなかでかへる卵の牝牡(めすをす)をききしる。

年とつた鷺のことく、またわかい小猿のごとく路ばたにころびねをして、

神神の手にいだかれておこされる。

わたしの魂にあやしい美酒をつぐボオドレエルよ、

おまへのうしろには醜い罪の乳房が鳴り、

暗綠色の乳液がながれてゐる。

けれどもそれは、まことに地上に悲しい奇蹟の道化をうんだ胎盤である。

 

    

 

ボオドレエルよ、

わたしはEmile de Royのかいたおまへの畫をみてはあこがれてゐた。

白茶色のかりとぢのLes fleurs du malをかたときもはなしたことはない。

さうして酒のみが酒をのむやうに、

また男がうつくしい女のからだをだくやうに、

おまへの思想をむさぼりくつてゐる。

はてはつれづれのあまりに、

紙のにほひをかぎしめて思ひをやり、

ひとつひとつ活字の星からでる光りをあぢはふ。

夜ねむるときLes neurs du malはわたしの枕べにあり、

ひるは香爐のやうに机のすみにおかれてある。

旅するときLes neurs du malと字引とはいつもわたしのふところにはひつてゐる。

 

    

 

靑灰色の昆蟲、

銀と緋色の生物、

鴉と猫とのはらみ子、

大僧正の臨終にけむりのごとくたちのぼる破戒の妖氣、

雨ごとにおひたつ畑の野菜はめづらしい痼疾をもつてゐる。

 

[やぶちゃん注:「紅貝(べにがひ)」標準和名のそれは、斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目ニッコウガイ超科ニッコウガイ科ベニガイ属ベニガイ Pharaonella sieboldii『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 巻絹(マキギヌ・キヌタ) / ベニガイ』を参照されたい。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。……この貝は私の遠い二十歳の時の淡い思い出でと繋がる……

「とび色」鳶色。猛禽のトビ(タカ目タカ科トビ亜科トビ属トビ亜種トビ Milvus migrans lineatus。属名の「ミルウス」は「猛禽」の意のラテン語で、和名は一説では、「遠く高く飛ぶ」の意の古語「遠(とほ)く沖(ひひ)る」(とおくひいる:「沖」(「冲」とも書く)は「広々とした海や田畑・野原の遠い所」の転訛とも言う)の羽毛の色のような赤暗い茶褐色。江戸初期より「茶色」を代表する色として、男性を中心に愛用されてきたが、実際のトビの羽色より、少し赤みが強い。参照した「伝統色のいろは」の「鳶色」のページに拠った。

Emile de Roy」エミール・ドロイ(Émile Deroy 一八二〇年~一八四六年)はパリ生まれの画家。十九世紀フランスのロマン主義を代表する画家フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix 一七九八年~一八六三年)の弟子で、多くの肖像画で知られる。ボードレールの友人でもあった。二十六歳で早逝した。ここで言うボードレール(当年満二十三歳。ドロイは二十四歳)の肖像画は一八四四年に描かれた‘Portrait de Charles Baudelaire’ を指す。フランス語の彼のウィキのこちらで当該原画画像(ベルサイユのフランス歴史博物館蔵)を見ることが出来る。

Les fleurs du mal」シャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire 一八二一年~一八六七年)の名詩集「悪の華」。一八五七年初版刊行。私はフランスで一九三六年に限定版(1637印記番本)で刊行されたカラー挿絵入りで、個人が装幀をした一冊(四十年前に三万六千円で古書店で購入)と、翻訳本は四種を所持する程度にはフリークである。]

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