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2023/04/11

佐々木喜善「聽耳草紙」 三六番 油採り

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      三六番 油 採 り

 

 或所にひとりの體位(カラナキ)(怠者《なまけもの》)[やぶちゃん注:前がルビで、後は本文。]があつた。甘い物を食つて、ただ遊んで居たいと思つて、觀音樣に行つて願をかけた。そして七日七夜の夜籠《よごもり》をして愈々滿願の日の前夜、觀音樣が夢枕に立つて、お前の願(ガン[やぶちゃん注:ママ。])は承知した。明日の朝起きたら前の野原を、どこまでもどこまでも眞直ぐに行つてみろと言はれた。これはしめたと思つて、其の男は翌朝いつもよりは早目に起き出して、觀音堂の前の野原の一本道を何所までも何所までも步いて行つた。行つたば行つたばと遂々(トウトウ[やぶちゃん注:ママ。])海の邊(ホトリ)へ出た。其所にエエザマナ(見窄《みすぼ》らしい)一軒家があつた。男が其所へ立寄つて見ると、白髮《しらが》ぼツけの婆樣が一人《ひとり》爐《ひぼと》にあたつて居た。男は婆樣々々、此邊に甘い物を食つて、ただ遊んで居る所はなかべかな申シと訊いた。すると婆樣は、在(アン)ます在(アン)ます。今直きにさういふ島さ渡る船が立つところだから、あの船に乘つてゲと言つた。見るとほんとに渚に一艘の船が繫がつてゐた。婆樣は爐から立上つて、ざいざい船頭々々と呼ぶと、船の中から船方が出て來た。そしてお客は此人か、さあさあ早く船サ乘つた乘つたと言つた。男が船に乘ると直ぐさま矢のように走つてある島に渡つた。[やぶちゃん注:「ざいざい」意味不明。岩手県内陸部で「サイサイ」があるが、「しまった!」の意なので、違う。一種の呼びかけの感動詞か?]

 島の上には、鐵の門に鐵の塀垣を廻(メグ)らした大きな構への館があつた。その門前に船が着くと中から人が出て來て、よく來てくれた、よく來てくれたと繰返しながら、館の内へ連れ込んだ。そしてその晚はそれこそ山海の珍味を並べ立てて御馳走をしたり、絹の布團を敷いて寢かせたり、下にも置かぬ饗應(モテナシ)をした。男はいい氣持ちになつて、いつまでも其所に泊つて居た。

 ところが或夜、隣室(トナリベヤ)で人間の唸き聲がするので、夜半に目を覺して、襖(フスマ)の𨻶から覘《のぞ》いて見ると、一人の男が桁《けた》から倒《さか》さまに釣るし下げられて、其の下には炭火がカンカンと燃えおこつてゐた。そしてその傍には恐ろしい形相をした男が、大きな皿を差しのべて、その倒《さかさ》づりになつた男の目鼻耳口から滴(タ)れる人油《じんゆ》を採つて居た。釣《つる》された男はハア(もう)靑黑くなつて死ぬばかりになつて居た。油取の男は、ああ隣室の男もよい加減に油が乘つた時分だから、明晚は彼《あ》の男の番にするベアと獨言《ひとりごと》を言つた。そのことを聞いた男は、これは大變だと膽を潰して、その夜あわてて館から遁げ出した。[やぶちゃん注:「人油」小学館「日本国語大辞典」に「じんゆ」で項立てされてあり、『人体のあぶら』として、例文を浮世草子の「本朝二十不孝」(一六八六)年の二から引き、『逆倒(さかさま)に釣揚』、『手足の筋をとりて、人油(じんユ)を絞られしは』、『生(しゃう)をかへずに地獄の責にあひぬ』とあった。]

 その物音に、館中の男どもは氣がつき、五六人して男を追(ボツ)かけて來た。男はまるで狢(クサイ)のやうに土を這つて逃げた。そして渚邊《なぎさのほとり》へ來て見ると幸ひに船が繫がつてをつたから、それに飛び乘つた。綱を解いて沖へずつと押出《おしだ》して、漕ぐが漕ぐが、漕いで漕いでやつと對岸(ムカウギシ)の渡場《わたしば》まで漕ぎ着けた。そして先の一軒屋へ駈込《かけこ》んで、爐傍《いろりばた》にいた婆樣に譯を話し、どうぞ何所でもいいから俺を匿まつてくれろと言ふと、婆樣は、それはならぬ。實はこの婆々は彼《あ》の人買島《ひとかひじま》の人達のお蔭げで、斯《か》うして其の日の暮しをして居るのだから、お前一人を助けることはなり申さないと言つた。けれども男が强《た》つて泣きながら賴むと、婆樣はそんだら此の火棚《ひだな》の上の橡俵(トチダラ)の中サでも入つて居《を》れやと言つた。そこで男は大急ぎで火棚の上の橡俵の中に入つて匿れた。[やぶちゃん注:「狢(クサイ)」小学館「日本国語大辞典」に「日本国語大辞典』「くさいなぎ」の項があり、『野猪』を漢字で当てて、『「いのしし(猪)」の古名。一説に、「たぬき(狸)」の古名ともいう』とあった。ここはタヌキの意であろう。調べたところ、公的な方言資料に、岩手県大槌町(おおつちちょう:グーグル・マップ・データ)の方言で「狸」を「くさい」と呼ぶことが判った。ここは東部が太平洋に接しており、本篇のロケーションとしても、ぴったりくる。「火棚」囲炉裏の上に天井から吊るした棚。「天棚(あまだな)」「天皿(あまざら)」「火天(ひあま)」「あまだ」などとも呼ぶ。「橡俵」実を灰汁抜きして食用にするムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus turbinata を保存する俵。以下で判る。]

 男が橡俵の中に入つて匿れるか匿れぬかの中《うち》に、追手の者どもがどやどやと精(セ)きらして駈込んで來た。そして婆々(バアバア)此所さ男が逃げて來たべ、あの體泣(カラナキ)男が、たしかに此所さ逃げ込んだのを俺らア見かけて來た。さあ出せ出せと大きな聲で言つた。けれども婆樣は俺はそんな者は見なかつたと言つた。すると又荒くれ男どもが、何吐(コ)きやがるこの糞垂(クソタレ)婆々が、あの體泣男を出さなかつたら其分にはして置かねえぞと言つた。さう言ふ聲が餘り大きく恐しいので、一體どんな奴等が來て居るべと思つて男が橡俵を少し押開《おしあ》けて見るべとすると、何しろ橡の實があんな丸いころころしたものだから、ポロリと一つ落ちて行つて、下で今怒鳴(ドナ)り散らして居る男の額頭(ヒタヒカシラ)にコチンと當つた。これヤと言つて上を見上げると、ハツタリと俵の中の男と顏を見合せた。あれヤ何でアと言ひしな、男は顏を引ツ込ませる隙《ひま》もなく火棚から引きずり落された。

 ……と思つて體泣男は夢からはツと覺《さ》めたとさ。すると自分が夜籠をして居た觀音堂の高緣から眞倒(マツサカ)さまに轉び落ちたところであつたと。ドツトハラヒ。

  (橡でも何でもなくただの古俵とも言い、又古俵から
  煤《すす》がこぼれ落ちて追手の男の眼に入つた
  シヲに見付けられたと謂ふやうにも話されてゐる。)

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