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2023/04/16

蒲松齡「聊齋志異」 柴田天馬訳註「禽俠」

 

[やぶちゃん注:現在進行中の南方熊楠「續南方隨筆」の「鴻の巢」の電子化注に急遽必要になったので、電子化する(実は、昨日、半分まで注を附したところで、ひと眠りした後、本未明午前二時半に起き、八時間半ぶっ続けでやったのだが、まだ注が終わらない。その殆んど最後の作業が、これからやる、これを含めて五つの電子化が相当するのである)。熊楠の論考中には、返り点附き原文が載り、私の訓読文も載せてあるので、それらは省略する。今まで通り、柴田氏の快刀乱麻のルビは総て再現する。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の柴田天馬訳「定本 聊齋志異」巻四(昭和四二(一九六七)年修道社刊)の当該部のここからのそれを視認した。但し、同じ柴田氏訳の角川文庫版「完訳 聊齋志異」第三巻所収の別訳(昭和五一(一九七六)年第五版)をOCRで読み込み、加工データとして使用した。何故、以上の底本に拘るのかと言えば、正字正仮名版だからである。踊り字「〱」「ぐ」は生理的に嫌いなので正字化した。一箇所、誤植と断じ得るものがあったが、たまたま同じ表現になっている角川版の箇所で訂した。特に指示しない。「註」は全体が二字下げで、「註」以外はポイント落ちで、二行に渡る場合は四字下げであるが、総て引き上げポイントも同じとした。なお、「こうのとり」の正しい歴史的仮名遣は「こふのとり」である。]

 

禽 俠(きんけふ)

 

 天津の、某(ある)お寺の屋根の鴟尾(しやちほこ)(一)のそばに、鸛鳥(こうのとり)が巢をつくつた。

 お堂(だう)の承塵(ひさし)の上に盆のやうな大蛇が藏(かく)れてゐて、いつも、鸛(こう)の雛が、團翼(かたま)つてゐるのをみては、出て來て、淨(きれい)に呑食う(のみ)盡くすので、鸛は悲しさうに鳴きながら、幾日(いくにち)かして、去(い)つてしまふのだつた。

 そんなことが三年つゞいた。

 群(みんな)は必(きつ)と復(も)う其の鳥はこないだらうと料(おも)つてゐたが、次の年も、故(もと)のやうに巢をつくり、雛が、ほゞ長成(そだ)つたころになつてから、忽(たちま)ち、どこへか去(い)つて、三日めに、始(やつ)と歸つてくると、巢に入つて、啞々(くうくう)いひながら、初(まへ)のやうに、子(こども)を、哺(はぐ)くみそだてるのだつた。

 蛇が又蜿蜒(うね)りながら上つて來て、巢に近づくと、二羽の鸛(こう)は驚いて、哀しさうに鳴き急(さわ)ぎつゝ直上靑(あをぞら)冥(たか)く飛んでいつた。

 そのとき、俄かに蓬々(ざあつ)(二)といふものすごい聲(おと)が聞えて、一瞬間(たちまち)天地が晦(やみ)のやうにくらくなつた。みんなは駭き異(あやし)んで、共にかなたを視あげると、大きな鳥が翼で天日を覆ひ、風雨のやうな驟(はや)さで、疾(さつと空からまひ下り爪ではつしと蛇を擊つた。蛇の首は立ちどころに堕(お)ちてしまひ、その連(はづみ)でお堂(だう)の角(すみ)が、何尺も摧(くだ)けた。

 大きな鳥は翼を振つて去(かへ)つていつた。鸛(こう)はそれを送るかのやうに、其の後についてとんでいつた。

 巢が傾いたので、二羽の雛が落ちたが、みると一つは生き一つは死んでゐた。僧(ばう)さんは生きてるのを取りあげて、鐘樓の上に置いてやつた。

 しばらくすると鸛は返つてきて仍(もと)のやうに巢に就いて、之(それ)を、哺(はぐ)くみ、翼が成(で)きあがつてから去(い)つてしまつた。

 

 濟南のある營兵が、鸛(こう)のとりのとんで過(ゆく)のを見て、之(それ)を射ると、弦おとと應(とも)に落ちてきたが、喙中(くち)に魚を銜(ふく)んでゐるのは、子(こども)に哺(はぐ)くまうとしてゐたのであらう。或人が、矢を技いて放してやれと勸めたが、營卒は聽かなかつた。

 しばらくすると、鸛は矢を帶びたまゝで飛び去つたが、その後二年餘りも、故(もと)のやうに矢に貫かれながら、近郭間(しろのちかま)を往つたり來たりするのを見かけた。

 ある日營卒が轅門(おもてもん)(三)のところに坐つてゐると、鸛のとりが其の上を飛んでいつた。そして帶びてゐた矢を地に堕した。

 營卒はそれを拾つて眺めながら、

 「この矢も固無恙無哉(ぶじだつたな)!」

 とじやうだんを曰つた。そのとき急に耳が癢(かゆ)くなつたので、矢を耳搔の代りにしてゐると、だしぬけに大風が吹いて門を摧(あふ)り、門が驟(いきな)り闔(しま)つて矢に觸れたため、矢が腦(あたま)にさゝつて死んでしまつた。

 

       註 

(一) 鴟尾又はの鴟吻ともいふ。本當は魚尾といふので、屋上の棟の兩端の裝飾である。漢武の柏梁殿が火災に罹つた時、術者が上奏して、天上に魚尾星がある、其の形をとつて屋上に冠し、火除けのまじなひにしたらよいと曰つたので、屋根に魚尾をつくつたといふ。こゝでは鯱鉾と譯しておく。

(二) 盛んなるかたちである。詩に、其葉蓬々とある。こゝでは、ざあつと、と譯しておく。

(三) 車をおりる官衙の外門である。

 

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