「曾呂利物語」正規表現版 第四 / 十 怖ろしくあいなき事 / 第四~了
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここ。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。
なお、「あいなき事」は「気に入らない不快なこと」の意。この語は、中古以来、「あいなし」・「あひなし」の二様の表記がある。]
十 怖ろしくあいなき事
陸奧(みちのく)、小野寺と云ふ山寺あり。
その所に、化物(ばけもの)ありて、家どうじなき家、侍る。[やぶちゃん注:「家どうじなき家」岩波文庫の高田氏の注に、『「家刀自なき家」か。女主人のいない空家、の意』とある。]
爰に、都より下りたる旅人、其の里に泊まりけるが、亭主、さまざまに歡待し、四方山の物語の序に、彼(か)の化け物の樣子を細々(こまごま)と語り侍る。
旅人は、
「左樣の事を見置(みお)きて、故鄕の物語にもなるべし。」
とて、其の夜、
「彼の家に、行かん。」
と云へば、亭主、色々に止めけれども、用意す。
夜半ばかりに、彼の家に行き、奧の間にたて籠り、内より、掛け金をかけ、用心して、化物の虛實(きょじつ)をぞ、聞き居たる。
如何にも茂りたる森、有りけるが、寅の刻[やぶちゃん注:午前四時前後。]と覺しき時、森の方(かた)より、電(いなづま)の樣なる光り物、
「ちら」
と見えけるほどに、彼の男、
『すはや。』
と思ひ、腰の刀を拔きかけてぞ、待ちかけたり。
稍(やゝ)少時(しばらく)ありて、前の如くに、光り物、座敷の内外(うちそと)、明らかに見えける。[やぶちゃん注:座敷の内外をはっきりと照らすほど、強力な光を発していたのである。]
五丈餘り[やぶちゃん注:十五メートル超。]なる男の、色、靑く、如何にも瘦せ衰へたるが、妻戶に取り付き、大息、つき、少時内なる男を守り居たり、怖ろしとも云はん方なし。[やぶちゃん注:「妻戶」ここは建物の四隅に設けた外側に開く両開きの板戸。掛け金で留める仕組みになっている。シチュエーションは、既に空家であるから、そこここが損壊して、壁の隙間等から、外が覗けるのであろう。であればこそ、映像的にも、座敷の内外まで光が射すのが納得出来るし、その化け物の出来(しゅったい)を、かく描写し得るからである。]
されども、不敵なる者なれば、動ぜず。
『かからば、切らん。』
と思ふ。
彼のもの、
「爰には、口、無し。さらば、臺所へ參り候はん。」
とて、臺所の方(かた)へ行き、二重三重、鎖(とざ)したる戶を、易々と蹴放(けはな)し、奧の間へ這入(はひ)りければ、彼の男、思ふは、
『變化(へんげ)の物ならば、切りたりとも、切り止めじ。』
と思案して、刀(かたな)を捨てて、走りかゝり、
「犇(ひし)」
と抱き付くを、化物に、胸を、
「はた」
と蹴られて倒(たふ)れて、其の儘、消え入りにけり。[やぶちゃん注:気絶・失神してしまった。後の「死に入りてぞ、居たり」も同じ。]
明くる日、臺所の者共、
「夕(ゆふべ)の旅人は、いかなりつらん。」
と、行きて見れば、死に入りてぞ、居たりけれ。
やうやう、氣を付けければ、息、出でて、有りし事ども、細々(こまごま)と語りける。
其の後(のち)は、いよいよ、其の家には、人も住まずなりにけるとぞ。
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