大手拓次 「ヘリオトロピンの香料」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅱ(大正後期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正七(一九一八)年から大正一五(一九二六)年までの数えで『拓次三一歳から三九歳の作品、三四一篇中の四七篇』を選ばれたものとある。そこから詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。同時期の拓次の様子は、先の回の冒頭の私注を参照されたい。]
ヘリオトロピンの香料
銀の鐘をうちたたく音(おと)、
銀の匙(さじ)で白い砂糖をかきまはす心地、
銀の小皿に白葡萄をのせた趣き、
ばうばうとむらがりとぶパンヤの實、
つつましく顛巾をかぶる冬の夜の女の顏。
[やぶちゃん注:「ヘリオトロピン」フランス語“héliotropine”(音写「エリォトロピン」)は香料名ヘリオトロピン。現行のヘリオトロピン(英語: heliotropine)は、当該ウィキによれば、『有機化合物の一種でピペロナール』( piperonal)『とも呼ばれ』、『フローラル系調合香料の保留剤として広く用いられるほか、フレーバーとしても』『使用され』、『向精神薬の』『原料ともなる。工業的』な『還元分解による製造が主である』とあり、『天然にはバニラ』単子葉植物綱キジカクシ目ラン科バニラ属バニラ Vanilla planifoliaの果実や『セイヨウナツユキソウ』(双子葉植物綱バラ目バラ科バラ亜科シモツケソウ属セイヨウナツユキソウ Filipendula ulmaria )『の花、ニセアカシア』(マメ目マメ科マメ亜科ハリエンジュ属ハリエンジュ Robinia pseudoacacia )『の精油に存在する』とあった。但し、本来は、双子葉植物綱ムラサキ目ムラサキ科キダチルリソウ属キダチルリソウ(ヘリオトロープ) Heliotropium arborescens (フランス語で“héliotrope” 。音写「エリオトロップ」)の花由来の香水であった。ウィキの「ヘリオトロープ」(英語:Heliotrope。Cherry-pie とも呼ぶ)そのリンク先等によれば、『ペルー原産』で、フランスの植物学『ジョゼフ・ド・ジュシュー』(Joseph de Jussieu 一七〇四年~一七七九年) 『によって初めてパリに種子がもたらされた。その後』、一七五七『年の報告に基づき』、一七五九『年にリンネが記載』し、『ヨーロッパほか』、『世界各国に広まった。日本には明治時代に伝わり、今も栽培されている』。『日本語で「香水草」「匂ひ紫」、フランス語で「恋の花」などの別名がある』。『バニラのような甘い香りがするが』、『その度合いは品種によって異なる』。『花の咲き始めの時期に香り、開花後は、香りが薄くなってしまう特徴がある』とあり、フランスの香水メーカー「ロジェ・ガレ社」(ROGER & GALLET)製の“Heliotrope Blanc”(「白いヘリオトロープ」。フランスでは一八九二年(明治二十五年相当)に発売)は、『日本に輸入されて初めて市販された香水といわれている』とある(下線太字は私が附した)。『大昔は南フランスなどで栽培されており、天然の精油を採油していた』が、『収油率の低さ、香りの揮発性の高さというデメリットから、合成香料で代用して香水が作られるようにな』り、それが先に示した『有機化合物』としての『ヘリオトロピン』で、同薬物が『ヘリオトロープの花の香りがすることが』一八八五年(明治十八年相当)『に判明し、それを天然香料の代用として普及した』とある。なお、夏目漱石の「三四郎」(明治四一(一九〇八)年発表)に『ヘリオトロープの香水が登場する』ことはよく知られる。ともかくも、本詩篇当時に拓次が嗅いだことがある「香水」であるとすれば、既にして、以上の合成されたそれであることにはなる。しかし、拓次が既に日本に移入されて栽培されたヘリオトロープ=キダチルリソウ=木立瑠璃草の実花を嗅いで幻想した「ヘリオトロピン」詩篇であるとするなら、同種の花が詩想の元であろうと推定し得るし、そう私はとりたい気がする。病気がちで、しかも安月給の困窮に喘いでいた彼が、容易に親しく“Heliotrope Blanc”の香りを「聞き」得たとはちょっと思われないからである。]