大手拓次 「陰鬱な羽根をひろげた烏蛇」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』以後(昭和期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正一五・昭和元(一九二六)年から昭和八(一九三三)年までの、数えで『拓次三九歳から死の前年、すなわち四六歳までの作品、四九四篇中の五六篇』を選ばれたものとある。そこから原則(最後に例外有り)、詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。この時期については、本パートの初回の私の冒頭注を参照されたい。]
陰鬱な羽根をひろげた烏蛇
なんといふこともない この怖ろしい戰慄のおとづれは
三つも四つもの眼(め)をもつた ある動物の肉體の襲擊のやうに
ひどく おしかぶさる重量を感じる。
咆哮してゐる夜陰の妖精どもをかりあつめて
一枚の翅のしたにしのばせ、
幻覺の太陽のやうに嫋嫋(でうでう)と口笛をひらく 鳥蛇の匍匐(ほふく)が
死の國の 白い音信(いんしん)をつたへてくる。
烏蛇の羽は未然の殺戮に醉(よ)つて轟轟(がうがう)とそよいでゐる。
[やぶちゃん注:「烏蛇」これはアオダイショウ(青大将:ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora )、及び、シマヘビ(ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata 。本種は普通は淡黄色の体色に四本の黒い縦縞模様が入る)種小名「 quadrivirgata 」は「四本の縞」の意)が、縞が全くない個体や頤の辺りが黄色い個体もおり、腹板が目立つ模様はなく、クリーム色・黄色・淡紅色を呈することもある]、或いはニホンマムシ(クサリヘビ(鎖蛇)科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii 。「マムシ」は恐らく有毒の広義の一部獣類を含む「蟲類」の強毒のチャンピオンという意味の「眞蟲」が語源と推定される)の孰れかを指す広汎な地方名である。「カラスヘビ」は文字通り、烏のように「黒い蛇」を通称総称するものであり、種名ではない。ここは私は毒蛇のニホンマムシをモデルにしつつ、羽を持った幻蛇としておく。メキシコ中央高原に栄えたトルテカ・アステカ両文明で信じられたハイブリッドの蛇神「ケツァルコアトル」(アステカ(ナワトル)語で「ケツァル鳥の羽を持つ蛇」。ケツァル(英語・スペイン語: quetzal)はメキシコ南部からパナマにかけての山岳地帯の森林に棲息し、鮮やかな色彩をもつ美しい鳥として知られるキヌバネドリ目或いはブッポウソウ目キヌバネドリ科ケツァール属ケツァール Pharomachrus mocinno :全長九十~百二十センチメートルにもなる大型の鳥で、頭から背にかけてが光沢のある濃緑色、腹部が鮮やかな赤色を呈する)や、中世ヨーロッパ(イギリスでは紋章の図柄とされた)の狂暴な幻獣「翼を持った蛇(ドラゴン)」「アムフィプテーレ(アンピプテラ:Amphiptere)がイメージとしてあるのだろう。
「嫋嫋」現代仮名遣「じょうじょう」。「裊裊」とも書く。①風がそよそよと吹くさま。②長くしなやかなさま。③ 音声が細く長く、尾を引くように響くさま。ここは、③の意が表で、裏で、「烏蛇」で②を、「口笛」「音信」で③を嗅がせた多重な形容表現である。]