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« 只野真葛 むかしばなし (60) | トップページ | 大手拓次 「野を匍ひ步く耳」 »

2023/04/29

只野真葛 むかしばなし (61)

 

一、父樣、年わかの時分、專ら、師の如く被ㇾ成て、醫術御學被ㇾ成し人に、遠藤三省と云し町醫、有(あり)き。

 ある時、「病氣」のよし、引込(ひきこみ)ゐしを、尋られしに、三省、近くよび、聲をひそめ、いふ、

「此ほど、大きに仕(し)そこねし事、ありし。去(さる)かたの病人に、附子(ぶし)、少(すこし)、用ひ見たく思ひし故、生附子(せいぶし)を三分(ぶ)[やぶちゃん注:「一分」は〇・三八グラム。]、粉にして持行(もちゆき)、一分、試に吞(のま)せしに、其病人、卽死なり。家内、おどろき、疑ひ、『毒藥を飮せしならん。』と恨(うらみ)かゝりし故、其うたがひをなだめん爲、『全く、毒に非ず。いひわけのため、見る前にて吞てみするぞ。』と云(いひ)さま、はたきのみて、立(たち)しが、門を出(いづ)る比より、其腹痛、事、こらい[やぶちゃん注:ママ。]がたく、やうやう、床へはひ入(いり)しが、如ㇾ此(かくのごと)し。わづかの附子の爲、すでに死んとせしなり。必々(かならずかならず)、附子と云(いふ)もの、おろそかに思ふべからず。是は、醫のはづる事故、他言無用なり。」

と、をしへかたりしとぞ。

 とかくする内、外より、人音(ひとおと)して、

「御不快のよし、御見舞申(まうす)。」

とて、入來(いりき)たるは、兼て懇意にせし老醫なりし。

 一卜間へ通り、容子、見て、藥法を聞(きき)、

「それでは、行(ゆく)まへ[やぶちゃん注:ママ。]。附子さ、附子さ。」

と云を聞(きき)、

「アヽ、附子は、いやだ。」

と、病人、小聲にいひしを、父樣、きゝし時、

「をかしさ、こらへられざりし。」

と被ㇾ仰し。

 此人は、元來、堀田相模守樣の百姓にて、數代(すだい)、富家なりしを、三省、書學に達し、醫を好(このみ)て、百姓の人別(にんべつ)をも拔けずに、髮をそり、江戶に出張して、樂に醫をせし人なりしが、いかゞしてか、地頭に深く、にくまれて、沙汰なしに、三省が持山(もちやま)を伐りあらされしとぞ。

[やぶちゃん注:「堀田相模守」堀田正亮(正徳二(一七一二)年~宝暦一一(一七六一)年)。老中首座(寛延二(一七四九)年就任)。出羽国山形藩三代藩主・下総国佐倉藩初代藩主。因みに真葛の父工藤平助は享保一九(一七三四)年生まれで、宝暦四(一七五四)年、二十一歳で工藤家の家督を継ぐと、その頃から医師となっていた。]

 妻子、あわてゝ、此由(このよし)、三省につげしかば、いそぎ、下りて、さまざま申上しかども、取上(とりあげ)なかりしとぞ。

 其内に、江戶より、病用、しきりに申來りし故、先(まづ)、そのまゝにして、江戶へ行し跡にて、此度(このたび)は、先祖よりある墓所を、ほり穿(うが)ち、石碑を打碎(うちくだ)きなどして、傍若無人の振舞なりしとぞ。

 妻子、又、この由を、つげしかば、

「最早、堪忍成難(なりがた)し。めざす敵(かたき)は相模殿よ。」

と、いきどほり、公儀へ、其由、訴へ申上(まふしあげ)しとぞ。

 かくと聞(きく)より、堀田屋敷には、とりかたを差(さし)むけて、三省を召捕(めしとり)しとぞ。

 公儀よりは、

「三省は、一度、公儀へ願(ねがひ)申上しものなれば、このかた御牢入(ごらういり)と成(なる)、しかるべし。」

と被ㇾ仰しを、相模樣にては、

「大切の召人(めしうど)、もし、御取(おとり)にがし有(あり)ては、ならず。」

とて出されざりしを、重(かさね)て公儀より申來る。

「それは、過言なるべし。公儀御牢、何の麁略(そりやく)の有べき。」

と、いはれし故、差出(さしいだ)され、三省、公儀牢入と成しとぞ。

 公儀の御吟味は、

「三省が申上るは、一々、尤なり。地頭は、むたいなり。さる故、地頭の手にあらば、三省、不慮の死も、せんか。」

と、かくべつの御いたわり[やぶちゃん注:ママ。]にて、公儀へ取上られしなり。

 此あたり、金森樣といふ十萬石の大名、同じ百姓さわぎにて、つぶれし故、いかに尤の筋にても、何(なにがし)の守(かみ)の勤られし時、十萬石の大名、幾けん潰れしと、いはるゝ事を、其世(そのせい)の老中方(がた)、遠慮、有(あり)て、三省、勝(かち)には、なされ難く、しばらく御吟味の事なりしに、三省、御牢入の日より、水瀉(すいしや)、絕食にて、大病なり。日をヘて、よわるに付(つき)、保養のため、下宿させられしとぞ。

[やぶちゃん注:「水瀉」水様性の激烈な下痢をすること。]

 父樣は、師の如く被ㇾ成し人故、下宿まで御尋被ㇾ成しに、

「肉の落し事、人無(ひとなき)床(とこ)の如く、重病のていなりし。」

とぞ。

「いかゞしたる。」

と御尋有しに、

「扨(さて)、ふしぎなる事、あり。先達(せんだつ)て、附子、わづか、用(もちひ)て、已に死(しぬ)べく思ひし故、『命を絕(たた)んに、宜しきもの。』と、おもひて有しほどに、捕方(とりかた)來りし時、附子の粉を、壱包、下帶にはさみて出(いで)しに、牢入後、吞(のみ)たりしに、只、一通の水瀉に成(なり)て、少しも、腹中にとゞまらず、其後(のち)、食をたちて、病氣のていにもてなせども、心中、恙(つつが)なし。いまだ、人の試みぬ事を、我、試みたり。年わかき人の修行の爲、傳(つたへ)たく思(おもひ)しに、能(よく)も尋ねたり。」

とて、悅(よろこび)しとぞ。

「少しなれば、あたり多ければ、さわらぬ所、よく工夫、有べし。」

とて別れし後、大病人とおもひ、番人の、心ゆるせしを見すまして、夜中、ひそかにおき出、墨、くろぐろと、押(おし)すり、枕上の障子に、

  大家さんわしや遠藤へ行程に跡をゆるりと尋三省(たづねさんせい)

と、書(かき)て、行衞なく成しとぞ。

 相模樣よりは、

「それ見たか。申せしが、たがわず、取にがされたり。早速、尋ねいださるゝか、又、御役(おやく)退(しりぞ)くか、ニッ壹ッたるべし。」

と、火の付(つく)よふに[やぶちゃん注:ママ、]、催促なり。

 町奉行衆、當惑にて、草を分(わけ)て御せんぎ嚴しかりしが、終(つひ)に、行衞は、知れざりし、となり。

 三省が弟子に、よほど名有(なある)町醫、有(あり)しを、奉行所へ召(めし)て、三省が事、御尋ねありしに、少しもおくれたる色なく、詳(つまびらか)に申上たりしとぞ。

「其方宅へは、立(たち)よらざりしや。」

と被ㇾ仰しに、

「私事(わたくしこと)は、市中に住居仕(すまゐつかまつり)候へば、左樣の忍(しのび)もの、立よるべくも候はず。」

「いづくにむきて、行(ゆき)しや。」

と有しに、

「八王寺[やぶちゃん注:ママ。]に享宇と申(まうす)弟子御座候間、山を越、是が方(かた)をさして參りしならん。同人事は、老母御坐候が、孝子にて候得(さうらえ)ば、内へは入申(いりまうす)まじ。されど、師弟のよしみを以て、門口にて、茶漬めしをふるまふほどの事は致し申べし。それより三里ばかりへだちて、弟子の候が、金持にて、小馬鹿なる者に候へば、是が方に、四、五日、滯留、身體を養ひて、金にても借り候はゞ、乍ㇾ憚(はばかりながら)、御手には入申(いりまうす)まじ。」

と申上しが、後、御たゞし有しに、申上候に、少しも、たがはざりしとぞ。

「かほどに口聞(くちきく)町醫も、今は、なし。」

と被ㇾ仰し。

 父樣にも、下宿迄、御尋被ㇾ成し故、御疑(おうたがひ)かゝりしなるべし。其比、折々、おもてより、ふと、人の入來(いりきたり)ては、下男・下女の宿を聞(きき)し、となり。誰(たれ)も誠(まこと)の事をいひ聞(きこへ)しものもなかりしが、壱人、りちぎの女有て、誠にかたりしに、翌日、

「母、病氣の由、三、四日、御暇(おいとま)いたゞきたし。」

とて、願來(ねがひきた)りし故、つかはされしに、其女、歸りきて、母、病氣と申(まうす)は、僞(いつはり)、まことは、此間かけ落(おち)せし三省とやらいふ人の事、

「知りたるか。」

と御尋ねの爲、町奉行所へ出(だ)されしなりし。

「あらおそろし、おそろし。」

とて、色も靑く成りてゐたりしとぞ。

 外の者も、顏、見合(みあはせ)、

「能(よく)ぞ、宿をかたらざりし。」

と云合(いひあ)ひしとぞ。

[やぶちゃん注:「遠藤三省」不詳。ただ、幕末から明治初期の蘭方医で、医学塾「順天堂」第二代堂主で、大学東校(東大医学部の前身)初代校長などを歴任した佐藤尚中(しょうちゅう 文政一〇(一八二七)年~明治一五(一八八二)年)の顕彰碑(都立谷中霊園にある)のサイトの「碑石の裏面(建碑寄付者、発起人、幹事氏名)」のリストに、「遠藤三省」の名が見える。医名を継いだ後代の弟子か?

「附子」モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum のトリカブト類。「ぶす」でもよいが、通常は生薬ではなく、毒物としてのそれを指す場合に「ぶす」と呼ぶので、ここは「ぶし」と読んでおくべきであろう。本邦には約三十種が自生する。漢方ではトリカブト属の塊根を「附子」(ぶし)と称して薬用にする。本来は、塊根の子根(しこん)を「附子」と称するほか、「親」の部分は「烏頭」(うず)、また、子根の付かない単体の塊根を「天雄」(てんゆう)と称し、それぞれ。運用法が違う。強心作用・鎮痛作用があり、他に皮膚温上昇作用・末梢血管拡張作用による血液循環改善作用を持つ。しかし、毒性が強いため(主成分はアコニチン(aconitine)で、経口から摂取後数分で死亡する即効性があり、解毒剤はない)、附子をそのまま生薬として用いることは殆んどなく、「修治」と呼ばれる弱毒化処理が行われる。]

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