大手拓次 「リラの香料」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅱ(大正後期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正七(一九一八)年から大正一五(一九二六)年までの数えで『拓次三一歳から三九歳の作品、三四一篇中の四七篇』を選ばれたものとある。そこから詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。同時期の拓次の様子は、先の回の冒頭の私注を参照されたい。]
リ ラ の 香 料
小徑(こみち)をはしりゆく金色のいたちの眼、
ほそい松の葉のいきいきした眼、
物のながれをとどめ、
やさしく明るみへみちびいてゆく。
タンバールの打ちだす
古風な、そしてしづかな騷擾のやうに、
わたしの胸をなみだたせる。
[やぶちゃん注:「リラ」モクセイ目モクセイ科ハシドイ属ムラサキハシドイ(紫丁香花)Syringa vulgaris 。標準和名よりも英語のライラック(Lilac)で呼ばれることが多い。リラ(Lilas)はフランス語での呼称。当該ウィキ(「ライラック」である)によれば、『ヨーロッパ原産。春』『に紫色・白色などの花を咲かせ、香りがよく、香水の原料ともされる。香気成分の中からライラックアルコール』Lilac alcohol『という新化合物が発見された』。『耐寒性が強く』、『花期が長いため、冷涼な地域の代表的な庭園木である』。『花冠の先は普通』四『つに裂けているが、まれに』五『つに裂けているものがあり、これは「ラッキーライラック」と呼ばれ、恋のまじないに使われる』。『日本には近縁種ハシドイ Syringa reticulata が野生する。開花はライラックより遅く』六~七『月に花が咲く。ハシドイは、俗称としてドスナラ(癩楢、材としてはナラより役に立ちにくい意味)とも呼ばれることがある』。『ハシドイの名は、木曽方言に由来する』ともされるらしい。『属の学名 Syringa は笛の意で、この木の材で笛を作ったことによるという』とあった。
「いたち」食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属ニホンイタチ(イタチ)Mustela itatsi 以下の四種七亜種ほどが自生棲息する。詳しい博物誌は、私の「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」を見られたい。なお、寺島長安はイタチを鼠類に入れているのは、見た目から判らぬではない。そちらでも書いたが、近代まで、鼬(いたち)は狐狸同様、人を騙す妖怪獣として捉えられてきた経緯がある。特に、チョウセンイタチ亜種ニホンイイズナ Mustela itatsi namiyei (青森県・岩手県・山形県(?):日本固有亜種。キタイイズナより小型で、日本最小の食肉類とされる)は古くは最強の呪的生物であった。ウィキの「イイズナ」によれば、『東北地方や信州では「飯綱(いづな、イイズナ)使い」「狐持ち」として管狐(くだぎつね)を駆使する術を使う家系があると信じられていた。長野県飯綱(いいづな)山の神からその術を会得する故の名とされる』。『民俗学者武藤鉄城は「秋田県仙北地方ではイヅナと称し』、『それを使う巫女(エチコ)〔イタコ〕も」いるとする』。『また』、『北秋田郡地方では、モウスケ(猛助)とよばれ、妖怪としての狐よりも恐れられていた』とある。拓次の意識の底には、そうした民俗社会的ニュアンスが感じられるように思う。
「タンバール」フランス語“timbales”の音写。打楽器のティンパニ(timpani)のこと。]