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2023/05/01

ブログ1,950,000アクセス突破記念 梅崎春生 文芸時評 昭和三十年一月

 

 [やぶちゃん注:本評論は底本(後述)の解題によれば、『東京新聞』昭和二十九年十二月二十八日附・二十九日附・三十日附に掲載されたとある。しかし、う~ん、だとすると、内容は、時制的には――昭和二九(一九五四)年十二月――なんだな。まあ、冒頭に昭和三〇(一九五五)年の九種の文芸雑誌・総合雑誌の新年号を読んで書いたというのだから、しょうがないか。実際、読まれて、評価が定まるであろう事態は翌年に入ってからだからね。

 私は梅崎春生と同時代のここに挙げられる作家の作品はあまり読んだことがない。私は近現代の作家については、死んでいない人物に対しては冷淡で、共時的に読むことはなかった(現在でも特定の作家を除き、概ね同じである。梅崎春生が亡くなったのは小学校三年生で梅崎春生は知らなかった。但し、私は三~六歳の時期、大泉学園に住んでおり、梅崎春生の家はかなり近くにあったことを後年知った。梅崎との最初の出会いは一九七一年八月七日のNHKドラマ「幻化」で、中学三年の時であった)、従って、注は語句や、特に私がよく知らない作家については、高校の「現代文」(ちょっと以前は「現代国語」と称した)の私の嫌悪する注のような、生年月日の毛の生えた程度の注をするしかないからやりたくないし、私の知っている作家の場合は、没年を示す必要があると考えた場合等を除いて、原則、注しない。悪しからず。

 底本は昭和六〇(一九八五)年四月発行の沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

 太字は底本では傍点「﹅」。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、昨日深更、1,950,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二三年五月一日 藪野直史】]

 

   昭和三十年一月

 

 九つの新年号の文芸詰・総合誌の小説は、「群像」の二十二編を筆頭に、総計すると実に六十七編という数に上った。壮観と言えば壮観である。それがずらずらと押し並んでいるありさまは、さながら重箱にぎっしり詰められた正月料理、カズノコやクロマメやゴマメのたぐいを思わせる。目次をながめただけで、おめでたいような、うんざりしたような気分にさせられる。

 私の作品もゴマメ然として、その中に小さくなってはさまっているのだが、六十七編なんていくらなんでも、少々多過ぎるように思う。

[やぶちゃん注:因みに、梅崎春生の新年号発表作は、中井正義氏の「梅崎春生――「桜島」から「幻化」への道程」の年譜によれば、「古呂小父さん」(『新潮』)、「風媒花」(『小説新潮』)、「老嬢」(『小説公園』)である(後の二篇の小説は沖積舎版全集(第一期)には収録されていない)。

 以下の一行空けは底本のママ。]

 

 私はこの二日間、かかりきりで読むことに没頭したが、全部を読み終えるというわけにはとても行かなかった。つまみ食い式にしか読めなかった。読み過ぎるということは、食べ過ぎと同じ程度に苦しい。食べ過ぎには消化剤というものがある。私も小説読みがもたれてくると、ぺージをくって座談会を読み、随筆雑文を読み、文学文芸講座のたぐいを読んだ。

 新年号からの企画として、連載講座が二つ始まっている。「文芸」の「文芸講座」と「文学界」の「現代文学講座」。後者は第一回として「文壇とジャーナリズム論」と言って、伊藤整のものを読むと日本文壇の現状が判り、荒正人のを読むと文芸雑誌ジャーナリズムなるものが理解出来、河盛好蔵を読んで読者とはどうあるべきかということが教えられる。そういう仕組みになっている。

 読者は文学そのものを教わるかわりに、文壇の生態やジャーナリズムの機構などを教えられるのである。

 

 そのことが良いことか悪いことであるかは別として、敏感な編集者がそういう企画を立てたのは、そういうものを読者が知りたがっていると察知したためだろう。文芸雑誌がそういう読者によって支えられている。そう考えると、私はなんだか背筋がむずむずするような気分になる。

「文学界」にはそれに加うるに、丹羽文雄の「小説作法」実践編という連載ものがある。素人の小説の例をとって、くわしく小説の技術やつくり方を説いたものであって、なみいる小説よりもある意味において、私はこれがはるかに面白かった。しかしこんなに楽屋裏をさらけ出して、読者に小説作法を伝授していいのだろうか。

 熱心な読者が続々と丹羽作法の免許皆伝を取り、丹羽以上の小説を続々書かれては、困りはしないか。師匠までが文壇から押し出されるような事態が来ないとは、だれも保証出来ない。

 昔日の芸術家や職人は、自分の技術の秘密をかたくなに守った。ある刀匠のところに、そのつくり方の秘密をぬすみに、弟子入りをした男がいる。その肝心の秘密は使用する湯の温度にあるとにらみ、刀匠が向うをむいている時、すばやくちょっと指を湯につっ込んだ。間髪を入れず師匠はふりかえり、手にした刀で、その男の手首をすぽりと切り落したという。

 湯につっこんだ指はその手首についていたのだから、湯の温度の秘密は守られたというわけだ。

 

 現代でも原則的にはこうあるべきだろうと思い、念のために「小説作法」を読み返してみたら、刀匠の湯加減に相当する小説の秘密は、ここでもちゃんとかくされていることを発見した。連載中だから断定は出来ないが、ここに書かれているものは、大体につちのふるい方だとかふいごの使い方のような末端の技術であって、大元の性根のところは完全に省略されている。読者がこれを熟読玩味、再読三読しようとも、それでもって直ちに良質の作品をつくり出すというわけには行かないだろう。

 その意味においてこの「小説作法」は、読物としてはいざ知らず、技術論ないし芸術論としては、不毛の文章であると私は思う。読者は実体をつかんだつもりで、実は影をしかつかめないのだ。

 

 新年号作品六十七編と言ってもゴマメ級の短編ばかりでなく、百枚の中編が三四本ある。

 小島信夫の「犬」(文芸)はそのひとつであるが、これを読了して、私はある当惑と混乱と危惧とを感じた。ここに描かれているものは、犬のコンクールをめぐる人々や犬たちの動きなのであるが、ここに出てくる畜犬振興会というのは日本文学振興会であり、O賞とは芥川賞であり、したがって飼主と畜犬の関係は候補作家と候補作の関係である。うつし絵でもするように、作者は芥川賞をめぐる現実を、そのまま畜犬コンクール風景に引きうつしている。

 そして犬の世界に引きうつしたことから生ずる末端の矛盾をつじつま合わせるために、文章だの構成はかなり混乱している。

 

 私が感じた当惑とは、何故芥川賞をめぐるいきさつを、こんなに代置された形で読まされねばならぬのか、その点である。たとえば火野葦平の「淋しきヨーロッパの女王」は、同じく百枚の力作で、真杉静枝女史そのものずばりを語っているが、小島信夫はそういう形では語れなかったのか。代置せねばならぬ必然性はどこにあるのか。

 この作品から、代置するという作業をとりのぞいたら、あとに何が残るのか。

 この作品にそそがれた努力の大部分は、その代置作業についやされている。それで自足しているように見える。その点において私は小島信夫に危惧を感じる。ひとごとでない危惧を感じる。それに代置という作業は、さほど高級な才能を必要としないのだ。

 小島信夫は先日の朝日新聞に、第三の新人と分類されることに反撥の気配を示し、「ぼくは戦争直後から『諷刺文学』というものをいつも念頭に置いてきた」と書いている。とすればこの「犬」も風剌文学として書かれたのであろう。しかしこれは風刺文学としての観点からも失敗作である

[やぶちゃん注:芥川賞に触れているので一言言っておくと、梅崎春生は、この年(昭和二十九年)の八月に『新潮』に発表した「ボロ家の春秋」(リンク先は「青空文庫」。「蜆」に次いで、先に電子化されてしまって内心甚だ悔しいものである)で、この記事を書いた一月余り後に、昭和三十年二月に第三十二回直木賞を受賞したが、知る人ぞ知る、梅崎春生は、自身、芥川賞を受けるべき作家として自認しており、直木賞受賞を断ろうとし、相当にナーバスになったのであった。

 

 この作と反対の火野の「淋しきヨーロッパの女王」こそ、代置の必要のある作品ではないかと私は思う。ヨーロッパにおける一日本人女流作家の異常な心理と行動、それはいろんな点や角度においていろんな問題をふくみ、いろんな問題にもつながってくるだろう。だから作者は問題のあり方を正しく消化し、第二の現実として作品をつくるべきであった。

 真杉女史ずばりを描いては、実名小説としての面白さはあろうとも、小説としての底は浅い。

 坂口安吾の「狂人遺書」(中央公論)は豊臣秀吉に材をとり、秀吉の独白体という形式であるが、独白体でとらえるには材料がぶわぶわとひろがり過ぎていて、うまく行っていないようである。ではどんな形式がいいかと言われると私も困るが、こんな独白体では、たとえば秀吉と小西行長の関係に焦点を定めたら、作品としての完成度はずっと高められるだろうと思う。

 

 沢野久雄の「被害者」(改造)は十二月号と新年号に連載されたものだが、加害被害の問題をとりあつかって、面白かった。ただ作中の諸人物の位置が、その思わせぶりな構成の仕方で、ぼやけている傾向があるように感じられる。こういう作品は、やはり分載の形をとらず、一挙に発表すべきであろう。(作者の都合か編集部の都合かわからないけれども)

 以上の四編だけで、四百枚を越える。読むだけで一日仕事である。あと六十三編が目白押しに残っている。文運隆盛とは言うものの、読む方は楽でない。

 

 文芸雑誌が文学志望者に、きそって門戸を開放するようになったのは、一年ほど前からのことで、梶野豊三の「イワーシェンコ老人の鼠」(文芸)もそのひとつだ。戦前改造社から出ていた「文芸」でも「文芸推薦」なる制度があって、私も一度落選の経験を持つが、当時のは同人雑誌に一度発表された作品が審査の対象となっていた。現行の文芸推薦小説なるものは未発表作品に限られている。では普通の投稿とどう違うかというと、その未発表作品は各同人グループの推薦になるものに限られている。

[やぶちゃん注:「私も一度落選の経験を持つ」対象作品不詳。]

 責任を個人に持たせず、グループに持たせようとしたところがみそとなっているらしい。

 

 さて、この「イワーシェソコ老人の鼠」であるが、丹念に手がたく書き込まれてあり、イワーシェンコ老人の風貌もかなり適確に描かれている。しかし戦争小説としての型は新しくない。

 いわゆる第三の新人たちの戦争小説、軍隊小説には、ひとつの型がある。自己を放棄することによって、効果的に生きながらえようとするような、そんな消極的な反抗の姿勢。

 これは少年時代、あるいは青年時代を、戦争によってゆすぶられた同時代者たちの共通した考え方であり感覚なのであろう。

 しかしそうはっきり割切ってしまうのは危険であって、小説というものはもっとあやふやな形のものであり、作者の主体と作品は必ずしも直結していない。間に文体というものが介在している。

 そういう身についた文体を、彼等は最初持っていなかった。先人の文体は彼等の身に合わなかった。文体を持ちあぐねていた彼等は、なるほど、なるほど、そういう手もあったかと、安岡式スタイルに皆自分流によりかかり、そこで表現の場をかたちづくったのではないか、という風に私は考えている。

 安岡や小島が始祖というわけでなく、相互影響という形で、第三の新人に共通した特有の考え方なり感じ方なりが、形成されたのだろう。

 

 独自の表現なり発想法をつくり出すことは、個人としてはなかなか至難のことであって、よりかかる方が楽なのである。そっくりよりかかってはだめであるから、自分流によりかかればよろしいのだ。鷗外の歴史小説なんか、現今でもさかんによりかかられている。第三の新人はこれから先、あとから来るものによって、当分よりかかられるだろうと私は推測している。

 にがりによって豆腐がかたまるように、彼等はスタイルでもって自分の資質をかためた。

 あと何年か経つと、そのお仕着せが自分の身に合わないことを悟って、変貌するのが何人か出て来るかも知れない。昭和初年の新感覚派の作家たちが、やがてそれぞれの資質に分れて行ったように。

 

 軍隊小説、俘虜小説が、北方帰りと南方帰りとでははっきりした差異がある。置かれた風土のせいなのだろう。文体の明晰(めいせき)さにしても、大岡昇平のそれと、長谷川四郎のそれとは、やはりどこか違う。大岡は南方的であり、長谷川は北方的である。南方帰りはとかく短編が多いが、北方帰りはとかく長編を書きたがるようだ。南方は暑くて持続的思考に耐えられないし、北方は寒くて単調で、生命力を短時間に燃焼することがない。そういうせいかとも考えられる。「イワーシェンコ老人の鼠」は北方であるが、短編である。短編であっても、やはり北方的であった。

 もっと作品に即して書く予定であったが、こと志とちがって、こんな中途半端な時評になってしまった。どうも他人の作品をあげつらうことにおいて、私は筆がすくむ傾向にある。

 

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