佐々木喜善「聽耳草紙」 三八番 嬰兒子太郞
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題は本文から「えぢこたらう」と読む。]
三八番 嬰兒子太郞
昔、ある町に、日本のテンポ(僞言《うそ》つき)と謂ふ看板を揭げた者があつた。或日其所へ唐(カラ)のテンポが法螺吹き比べに訪ねて來た。ところが日本のテンポが留守でその子供だと云ふ十歲ばかりの童《わらし》がエジコ(嬰兒籠)に入つて手遊びをして居た。
唐のテンポが、父さんや母さんは何所へ行つたかと訊くと、嬰兒子(エヂコ)太郞は、親父は富士ノ山がオツカヘル(倒れる)と言つて麻殼(ヲガラ)三本シヨツテ走《は》せたし、母親は海の底が拔けると言つて、フシマ(小麥粕)三升シヨツテ行つたと返答した。
唐のテンポは内々驚いて、さうか折角訪ねて來たのに留守で殘念だつた。時に先達《せんだつて》私の國から寺の大釣鐘が吹つ飛んで來た筈だが、此の邊で見當らなかつたかなアと言ふと、嬰兒子太郞は卽刻に、あゝそれだなア、實は先達私のとこの厩と便所の間の蜘蛛の巢に、何所から來た釣鐘だか、麻煑桶(イトニコガ)のやうな大鐘が來て引ツかかつて、ブラ下(サガ)つてたと親父(オヤヂ)が言ふのを耳にしたが、伯父さん今もブラ下つてゐるか如何《どう》かちよつと行つて見さいと言つた。
唐のテンポは閉口して、子供でさえこんな大法螺吹きだもの、これの親父だらどんなに偉い奴か、これはとても敵(カナ)はぬワと思つて、そんだら復(マタ)來(ク)ると言つて早々退散した。
その夕方父母が歸つて來て、嬰兒子太郞に、今日は誰も來なかつたかと訊いた。すると太郞は唐のテンポと云ふ人が來て、斯《か》く斯くの事を言ふから、俺が斯く斯く言ふと驚いて歸つてしまつたと言つた。すると父親は大層怒つて、俺がテンポの看板を掛けても其れ位の僞言(ホラ)は吹けないのに、貴樣はまだ嬰兒子の分際として、そんな形の無い僞言(ウソ)を吹くなんて大それた末恐ろしい餓鬼だ。お前のやうな者は此の家に置かれぬからと言つて、盥《たらひ》に乘せて(入れて)海の中へと流し棄てしやつた。
嬰兒子太郞は盥に乘つて流れて行くうちに、波間に猫や犬の屍體が浮んでゐるのを見つけた。この時太郞は何とはなしに家の寶物の生針《いきはり》を盜んで持つて來て居たが、其の猫の屍體に刺して見たくなつてチクリと刺して見たところ、其の死んだ猫がムクムクと動き出した。又チクリと針を刺すとパツチリと目を開き、又チクリと剌すと立つて步き出した。そしてニヤゴニヤゴと鳴きながら岸へ泳ぎ着いて或家に駈け込んだ。それを見て太郞は面白いもんだから、また犬の屍體にも針を刺して見た。三度刺すと其の犬も蘇生(イキガヘ)つてクワンクワン啼きながら岸邊に泳ぎ着くので、嬰兒子太郞も盥を岸に着けて犬の行く方へ、後(アト)をつけて行つてみた。すると山根の大きな長者どんの邸《やしき》へ行きあたつた。
長者どんの家へ犬が駈け込むと、玄關先きに居た下婢が、あれア死んだ犬子(イヌコ)が蘇生(イキカヘ)つて來たヤと叫ぶと、座敷の方で、何云ふンだア、死んだ物が歸つて來るもんでアと言ふ聲がする。下婢は否(イヱ)々全くほんとう[やぶちゃん注:ママ。]だ、家の赤犬子《あかいぬこ》が蘇生(イキカヘ)つて來たと騷ぐと、家の内からぞろぞろと、旦那樣も母親樣も出て來て、あらア本當に家の赤犬だと云つて驚いた。さうして其所に見知らぬ子供が突立つて居るものだから、不審に思つて、お前は誰だアと云ふと、嬰兒子太郞は、はい私は大島と云ふ國から、人間でも畜生でも一旦死んだ者の生命《いのち》を助けるために渡つて來た者だ。先刻《さつき》海の中に犬や猫の屍體があつたから一寸試みに手當をして見たところ、御覽の通り此の犬が忽ち斯《こ》んなに蘇生(イキカヘ)つて、私の側を離れぬので何處の犬だかと思つて實は斯《か》うしてついて來て見ましたと言つた。すると長者夫婦は大層喜んで、それでは早速御願ひ申しますが、家の一人娘が病氣のところ、たつた今シ方《がた》命(メ)を落しました。どうか娘を蘇生(イキカヘ)さしてクナさいと膝をついて賴んだ。嬰兒子太郞が座敷に入つて見ると、美しい十六七の娘が今死んだばかりで、體の溫味(ヌクミ)もまだ去らないで眠(ネム)つたやうに橫になつて居た。そこで皆々樣《みなみなさま》決して御心配はいりません。私が直ぐに蘇生(イキカヘ)して上げますと言つて、兩親の見て居る前で其の生針《いきはり》を右の脇の下ヘチクリと剌すと、死んだ娘は忽ち息を吹き返して目をぱツちりと開いた。又今度は左の脇の下ヘチクリと刺すと體が動き出し腹にチクリと剌すともう起き上つて膝をついた。兩親初め一家眷族は大層喜んで、其の場で嬰兒子太郞を長者どんの聟にした。その婚禮のお祝ひは七日七夜がほど續けられた。
(江刺郡米里《よねさと》村の話、佐々木伊藏氏談の二。
昭和五年六月二十七日聽書。)
[やぶちゃん注:「テンポ(僞言《うそ》つき)」小学館「日本国語大辞典」の「てんぽ」を見ると、『(「てんぼ」とも)運にまかせて、行きあたりばったりにすること。一か八か、運にまかせて思いきってすること。その場の出まかせでことをすること。また、そのさま。てんぷ。てんぽう。』とあり、「日本永代蔵」・歌舞伎の「壬生大念仏」や、雑排・談義本を例引用する。その後に「方言」として、『常軌をはずれたこと。あぶなっかしいこと。とんでもないこと。無鉄砲。突飛。』と挙げて、全国的な採取例を示す(「てんぽう」「てんぷ」の変化形を含む)。その後に派生形と思われる方言の意として、『甚だしいこと。大きいこと。大層なこと。』を挙げる。而してその後ろに、慣用される表現として「てんぽの皮(かわ)」を立項し、『「てんぽ」を強調していう語』としつつ、浄瑠璃の「傾城反魂香」・「東海道中膝栗毛」や、歌舞伎の「当龝八幡祭」(できあきやわたまつり)を挙げるので、方言と雖も、全国的に近世以降、汎用されているものであることが判る。また、この最後になって、やっと「語源説」を挙げ、『テンポは』身体障碍者、『あるいは不器用の意の方言テンボ』(「テンボウ」とも言った)『からか。また』、「転蓬」(てんぽう:風に吹かれ、根を離れて、転がって行く蓬(よもぎ)の意から転じて、「人が漂泊すること」「旅人」の喩えに言う語)『の略訛ともいう。カワは嘘の皮・すっぱの皮などのカワと同じで口拍子にいう語』とあった。
「麻殼(ヲガラ)」種としては、ツツジ目エゴノキ科アサガラ属アサガラ Pterostyrax corymbosus やオオバアサガラ Pterostyrax hispidus を指すが、材が「麻殻(あさがら)」のように裂けやすいことからの名であって、ここは所謂、お盆の迎え火や、送り火を焚くのに用いたり、供物に添える苧殻箸(をがらばし)とするそれで、これは麻(アサ=大麻(タイマ:バラ目アサ科アサ属アサ Cannabis sativa )の皮を剥いだ茎を乾燥させた「苧殻(麻幹)」=「おがら」である。それで富士山が崩壊するのを支えるという滑稽な大法螺。
「フシマ(小麥粕)」麩麬(ふすま)のこと。小麦を製粉する際の副産物で、果皮・種皮を中心に外胚乳や、糊粉層の粉砕物から成る。粗タンパク質・粗脂肪・ミネラルなどに富み、特に牛の飼料として知られる。それで海底の大穴を塞ぐという同前。
「麻煑桶(イトニコガ)」前の麻(アサ)から繊維を採るために煮た麻それを洗うための桶を言うのであろう。それを大釣鐘に比喩する逆転した喩えが面白い。
「生針」「よい夢」で既出。呪的アイテム。
「大島」伊豆大島が想起されるが、テンポの少年の言うことだから、架空の島名とすべきかも知れない。
「江刺郡米里」現在の奥州市江刺米里(グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。
「佐々木伊藏」既出の「三人の大力男」の報告者。]