佐々木喜善「聽耳草紙」 五七番 搗かずの臼
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
五七番 搗かずの臼
氣仙郡竹駒村無極寺《むごくじ》に殘つている譚である。昔此寺では每朝每朝未明から小僧どもに踏唐臼(スミカラウス)で米を搗かせた。或る時此邊では見慣れぬ美しい女が寺へ來て、どうかお住持樣に逢はせてクナされと言つた。何事かと思つて和尙樣が逢ふと、其女の云ふには、妾《わらは》は眞(ホント)に恥かしいが人間ではない。幾年となく此寺の眞下になつてゐる淵底に棲んで居る主《ぬし》である。妾は今身重《みおも》になつて臨月も最近になり產室《うぶや》に籠つて居るけれども、お寺で每朝每朝米を搗く杵《きね》の音が體に響いてたまらない。何卒慈悲をかけて身が二ツになるまで、米を搗く事を延ばしてはクナさらぬか、お願ひであると嘆くのであつた。和尙樣は快く其乞ひを入れて翌朝から臼を搗かぬと約束すると、女は喜んで其儘歸つて行つた。
それから幾日も經たない或日の事亦其女がお寺に來たが、其時は玉の樣な赤兒《あかご》を抱いて居た。そして先日の禮を云ひ、一個の包み物を置いて還つた。後で開いて見ると、龍の玉、龍の爪、縫目なしの帷子《かたびら》の三品《みしな》であつた。之れは此の寺の寶物《はうもつ》として今でもある。さうして其の踏唐臼は永久に搗かずの臼として繩で縛つて置いた。
(同村生れにて私の村へ聟に來た菊池田四郞翁の話。
然《しか》し及川與惣治氏からの報告に據ると、氣
仙沼の記事か何かからに據つて、無極寺のドウヅキ
ツキの場合に女が出で來たと謂ふ風になつて、搗か
ずの條は無い。蓋《けだ》し別譚であらうか、調査
すれば直ぐ分る話でありながら、此所《ここ》には
自分の蒐集した儘の物を書いて見る。)
[やぶちゃん注:「氣仙郡竹駒村無極寺」現在の岩手県陸前高田(りくぜんたかた)市竹駒町(たけこまちょう)下壺(しもつぼ)のここ(グーグル・マップ・データ)にある曹洞宗の寺院。弘安年間(一二七八年~一二八七年)の開山。但し、寺宝に以上の三品が現在もあるとする記載はネット上では見当たらない。
「踏唐臼(スミカラウス)」「ちくま文庫」版ではルビは『フミカラウス』とあるが、画像調整をして拡大して見ても、明かに「フ」ではなく「ス」である。誤植の可能性もあるが、暫くこのままとしておく。
「氣仙沼」現在の気仙沼市は陸前高田市の南に接する。
「ドウヅキツキ」「堂撞突き」か。『鐘「堂」(しょうどう)の鐘(かね)を「撞」(つ)くの役僧が)「突」(つ)くこと』の意か。]