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2023/04/26

佐々木喜善「聽耳草紙」 五二番 扇の歌

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      五二番 扇の歌

 

 或所の、此所ならば八幡樣のやうな大きなお宮の秋祭禮(マツリ)を見に、美しい和公樣《わこさま》が行くと、五六人のお伴を連れた美しい姬樣から一本の扇子をもらつた。その扇の表には、

   吹けば飛ぶ

   吹かずば飛ばぬへの國の

   千本林を右手(ユデ)に見て

   ヒイロロ川に架けたる

   腐れの橋を渡つて

   たずね御座れや……

と謂ふ文句の歌が書いてあつた。若者は扇子の歌が何のことだか解《と》けなかつた。そしてそれをくれた姬(アネ)樣の美しい顏や姿が目にちらついて、どうしても忘れられないので、その姬樣の家を尋ねて旅に出た。そして二日も三日も旅を續けて行つたが、どこの里の長者の姬樣だか少しも訣《わか》からなかつた[やぶちゃん注:「訣」はママ。この字は「別れる」「奥の手」の意はあるが、「判る」の意はないので、当て字誤記か誤植である。]。すると或る日六部《ろくぶ》に逢つたから、扇を出してその歌の意解《いと》きを賴むと、六部はそれを讀んで、これは斯《か》うだと敎へてくれた。卽ち吹けば飛ぶ吹かずば飛ばぬへの國とは、糠部《ぬかのぶ》の郡で、千本林とあるからは、それは竹林のことであろう。そしてヒイロロ川とは鳶川(トビカワ[やぶちゃん注:ママ。])で、腐れの橋とは勿論石の橋である。其所の長者どんのお姬樣であると解いてくれた。若者は其所を尋ねて行つた。けれども身分の相違や何かでどうしても名乘り出ることが出來ないので、長者どんの門前を行つたり來たりして居ると門前の小さな家から婆樣が出て來て、これこれお前樣は何して朝からさうして、何度も何度も其所を行つたり來たりして居申《ゐまう》セやと聲をかけた。若者が私は何か仕事をしたいが何か無いものやらと言ふと、婆樣はそれは恰度よい所だつた。實は前の長者どんでこの頃、竃《かまど》の火焚き男をほしいと言つて居たが、お前がやつてみる氣はないかと訊いた。若者は俺は何でもよいから是非賴むと言ふと、婆樣は直ぐに長者どんへ行つて話をきめて來てくれた。

[やぶちゃん注:「此所ならば八幡樣のやうな大きなお宮」とあるが、末尾に採話情報の附記がないので、「此所」は不明である。一応、それがない状態で佐々木が示したのなら、遠野であると考えてよいだろうとは思う。

「和公樣」「和子・若子」で、ここは「身分の高い人の貴人の男子」「御曹司」のこと。

「右手(ユデ)」不審。「ゆ(ん)で」は「弓手」で左手。右手を表わす「馬手」(めて)を「ユデ」と激しく訛ったとなら、それでは「ゆで」と区別がつかなくなるから、よく判らない。

「六部」「八番 山神の相談」で既出既注。

「吹けば飛ぶ吹かずば飛ばぬへの國とは、糠部の郡」糠は吹けばぱっと飛んでしまうが、吹かないとならば、或いは、吹いたとしても、飛ばない、「へ」(遍・僻)の地にある「郡(こほり)」で、嘗つて平安後期から中世に存在した陸奥国の「糠部郡(ぬかのぶのこほり)」のこと。現在の青森県東部から岩手県北部にかけてあった広域であった。平凡社「世界大百科事典」によれば(コンマを読点に代えた)、『岩手県北部の二戸郡、九戸郡あたりと、下北半島を含む青森県東部一帯の地域の中世の郡名。郡とはいっても』、『古代には見えないもので、平安時代末以後の中世に特有のものである。古代の律令制下の郡は岩手郡(盛岡市のあたり)が北限で』、十『世紀までには建置されていた。それ以北の地は』、『蝦夷(えみし)の居住地で、律令制にもとづく支配の及ばないところであった。糠部は、そのような蝦夷の居住地の汎称であったものが』、十二『世紀に』至って、『郡として把握されるようになったものであろう』とある。

「鳶川(トビカワ)」不詳。青森県十和田市に渓流の蔦川(つたがわ)ならあるが、北過ぎる。

「腐れの橋とは勿論石の橋」意味不明。超古代の木橋が化石化したという伝承でもあるものか?]

 若者は長者どんの竃の火焚き男に住み込んでから、ナゾにかして姬樣の姿を見たいものだと思つたが、なかなか見る時がなかつた。或時、門前の婆樣に訊くと、長者どんには確かに美しい姬樣があると言つた。その姬樣を一目見たいと思ふけれどもそれも出來ない。何も斯《か》にも時節を待つより仕方がないとあきらめて、一生懸命に働いて居た。晝は竃の火を焚き、手面目面(テズラメズラ)に眞黑く炭を塗つて働いて居ても、夜になれば人仕舞ひながら湯に入つて、髮を上げて、自分の室に引籠《ひきこも》つて書物を讀んで居た。ある夜長者どんのお姬樣が遲く厠《かはや》に起きると、珍らしくも下男部屋から燈影(アカリ)が見えるので、何をして居るかと思つて窃《そつ》と忍び寄つて、戶の節穴から内を覗いて見ると、いつか秋の祭禮で見てからと謂ふものは片時も忘れたことの無い何所の和公樣が其室(ソコ)に居た。姬樣は魂消《たまげ》て自分の座敷へ戾つて來ると、そのまゝ病氣になつてしまつた。

 長者どん御夫婦は、娘の病氣が何だかは知らないから、大層心配して、ありとあらゆる醫者や法者《ほふしや》を呼んで見せるが、少しの驗(ケン)もなかつた。ところが門前の婆樣が來て、お姬樣の病ひは醫者でも法者でも直らない。館中の多くの召使《めしつかひ》の中に、思ふ人があるから、其の人と夫婦にすればよいと言つた。長者どん御夫婦は娘の生命(イノチ)には何事も替え[やぶちゃん注:ママ。]られないから、そんだら早く多くの召使ひの者どもに娘の機嫌を伺はせて見ろと言つた。そして七十五人もあつた男どもに、一人一人湯に入れて髮を上げさせて、奧の座敷へ姬樣の御機嫌伺ひに出させた。

[やぶちゃん注:「法者」何度も出たが、再掲しておくと、民間の呪術者、山伏や巫女(みこ)のような連中を指す。]

 七十五人の下男共は俺こそは、ここの長者どんの美しい姬樣の花聟になりたいと、湯に入つて顏を洗ひ、奧の姬樣の寢て居る座敷に、しよナくナ[やぶちゃん注:意味不明。「やりようが最早ないまで」「めちゃくちゃに」「徹底的に」「すっかりしっかりと」辺りか。]めかして行つて、お姬樣もしおアンバイは如何めされましたと言つても、姬樣は脇面《そつぽ》[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版のルビを参考にした。]向いたきりで返事もしなかつた。入り變り立ち變り一人々々、お姬樣もしおアンバイは如何めされましたと、行くが、[やぶちゃん注:底本は句点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]誰一人として返事をかけられた者はない。さうして遂に七十五人の者が七十四人まで行つたけれども、誰もかれも見向きもされない。返事をかけられた者もなかつた。次のお座敷にひかへて居た長者どん御夫婦は、これでも分らないかと思つて大層心配していた。そしてもうあとには誰も居ないかと訊くと、彼《か》の竃の火焚き男の外には誰も居ない、あの竃の火焚き男を出したなら、かへつてお姬樣のおアンバイがワリくなるベエと答へた。すると門前の婆樣がいや否々《いやいや》さうではない。是非あの男も出せと言つた。そこで竃の火を焚いて居た男を風呂に入れて、髮を取り上げさせて、お姬樣の座敷に伺ひ出ろと呼び出した。

 竃の火焚き男は風呂に入つて、髮を取り上げて、靜々と座敷に入つて來た。それを見ると、見たことも聞いたこともないほどの美男であつた。若者は奧の姬樣の座敷に行つて、屛風の蔭から、お姬樣もしおアンバイは如何で御座いますか言ふと、姬樣は顏を眞赤にして、お前樣はどうして此所に來ましたと訊いた。若者はお前樣を見たいばかりに永い旅を續けて來て、斯《か》く斯くの苦勞をして居ると物語つた。それを聽いて姬樣は初めてにかにかと笑つた。

 長者どん御夫婦はあれだあれだといつて喜んで、その和公樣と姬樣は目出度く夫婦となつて孫《まご》繁《し》げた。

[やぶちゃん注:最終段落の冒頭は一字下げがないが、下げた。]

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