フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 20250201_082049
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 佐々木喜善「聽耳草紙」 四七番 旗屋の鵺 | トップページ | 大手拓次 「靑い異形の果物」 »

2023/04/22

室生犀星 随筆「天馬の脚」 正規表現版 「喫煙雜筆」

 

[やぶちゃん注: 底本のここ(本文冒頭の「一 西洋煙草」の始まりをリンクさせた)から。今まで通り、原本のルビは( )で、私が老婆心で附したものは《 》である。本パートは、皆、知られた作家ばかりであるから、特に作家注は附さない。

 なお、本章では「煙」の字がいっぱい出てくるが、底本では、「煙」の字は「グリフウィキ」のこの字体である。しかし表記出来ないので、「煙」を用いた。

 にしても、犀星が今の嫌煙社会に生きていたら、どう思うだろう。ちょっと聴いてみたい気はする。]

 

    喫煙雜筆

 

 

 喫煙雜筆

 

      一 西洋煙草

 

 パイプで喫む西洋煙草は一日の間に五六服あれば、自分には事足りてゐる。パイプの壺には柔らかに程よく煙草を詰め、最初の二三度喫ふ時のうまさは意想外である。主としてその煙の量が膨大であることにも甘さは原因してゐるが、それよりも西洋煙草の味ひが强いためであらう。自分は味の複雜なためにミクスチユア物を愛喫してゐる。ミクスチユアの味は優しいものや强烈なものや濃厚なものの交合的味覺であり、同時に百花一時に開くのうまみを包含してゐる。人知れず橫臥しながらこれらのミクスチユアのパイプを銜へ乍ら、恍惚としてゐる狀態は懶怠《らんたい》であるよりも非常に幻覺的な狀態であると云つてよい。

[やぶちゃん注:「ミクスチユア物」パイプ煙草で、煙草の葉の黄色種に、ペリキュー葉(アメリカのルイジアナ州産で、生葉を強制発酵させた黒色の葉)やラタキア葉(シリア産で、薫煙乾燥し,薫臭を伴う芳香を持つ)を配合した荒刻みの製品をスモーキング・ミクスチャー(Smoking Mixture)と言うが、幾つかの種類をミックスしたそうした系統の市販品、或いは、複数の単体葉を買って自分で調合するのであろう。「二」の冒頭に後者のそれらしい謂い方がちらりと出てくる。

「懶怠」「懶惰」に同じ。なまけ怠(おこた)ること。]

 パイプは俗にマドロス・パイプと稱へられてゐるが、自體夥しい西洋臭昧を持つてゐる故に、俗流ハイカラのそしりを免れないのは爲方《しかた》のないことである。町の散步道路などでは甚しく氣障《きざ》に見えるが、之れも亦仕方のないことである。書齋の中で一人でふかしてゐる分には天下晴れて喫《の》み樂しむことができるやうである。パイプの形體はそれ自身古風な海洋航海者の愛藏品のやうに、或東洋的なとまで言はれる程の面白さと稍骨董的な品格とを持つてゐる爲に、自分には最早ハイカラの意識的謙遜をもたないやうになつてゐる。パイプのための著書や寫眞帳やパイプ簞笥や磨き膏《あぶら》や掃除道具のあることは云ふまでもない。

 パイプの愛用者の恐しい病氣は舌癌であらう。舌端がいつもパイプの吸口に戲れるために永年《ながねん》の間に稀に起る病氣らしい。下の方へ彎曲されたパイプの吸口は就中《なかんづく》此種の疾患に襲はれ易いと云はれてゐる。此間來朝したアインスタインは終日パイプを磨いてゐたさうであるが、支那人が終日玉《ぎよく》をまさぐるやうに、西歐人はパイプを弄《らう》し慰むらしいやうである。日本人が煙管《きせる》を愛用するやうに。

 

      二 煙管(キセル)に就て

 

 自分は煙草は好きであるが喫煙道樂ではない。それ故高價なものは餘り喫まぬことにしてゐる。たまにミクスチユアを造る以外、大槪クレエブンミクスチユアで我慢してゐる。マイミクスチユアは時時喫むがそれを絕やさずに買入れて置く程度で、高價なマイミクスチユアでなければならぬことはない。

[やぶちゃん注:「クレエブンミクスチユア」クレイヴン・ミックスチェア(Craven Mixture)嘗つてロンドンにあったタバコ会社Carreras Tobacco Companyのブランドで、その主力パイプ・タバコだったもの。グーグル画像検索「Craven Mixture」で当時の市販品のケースを見ることが出来る。

「マイミクスチユア」前章で注したスモーキング・ミクスチャーのことか。私は今でも一日に三、四本紙巻き煙草を吸う。嘗つてはパイプ煙草も喫したが、教員をやめた時に、断捨離して持っていたパイプ三本も捨ててしまったので、よく判らない。]

 煙草は自分には樣樣なことを「考へる」ためにも必要であるが、惡辣なニコチン夫人の手にしがみ付かれてゐることが快樂である外、胃の底まで脂《やに》で染めることは恐しいに違ひない。然し此ニコチン夫人の手管《てくだ》の中に恍惚としてゐる味ひは到底忘られぬ。紙卷の風味は何か甚だ手賴りないが其手賴りないところが又好ましい。スターが稀にうまい味ひをもつてゐるが、パイプで喫むほどの甘美さは到底無いやうである。

[やぶちゃん注:「ニコチン夫人」という文字列を見るとと、私は反射的にチェーホフの一人芝居の戯曲「煙草の害について」を想起してしまう。ブログで「煙草の害について アントン・チェーホフ作・米川正夫譯」を電子化注してあるので、未読の方は、どうぞ。嘗つて、現代文の教科書にこれが載っていた(授業はしたことはないが、一度だけ、四十年前、女生徒から懇願されて、表現読みで朗読はしたことはあった。喝采を浴びた。

「スター」イギリスのタバコ・メーカーW.D. & H.O. Wills社製の紙巻き煙草“STAR”であろう。グーグル画像検索「W.D. & H.O. Wills STAR」をリンクさせておく。]

 日本の煙管(きせる)趣味は、文明開化と共に遂に今日では遺憾乍ら沒落した。西鶴や近松の酒落者のまさぐる銀細工の煙管の意氣は、今日の自分に何等の同情を惹くに至らないのは、一つには自分等は文明開化の奴隷であり得たこと、又一つは實用的に不便な煙草を弄する必要がなくなつた爲であらう。あれらの繊首《ほそくび》の煙管で喫煙することは今の我我には想像もできない苛苛しさである。あれらは喫煙的遊戯に近いと云つてもよい。併乍ら我我の父祖は斯如き優雅な一美術品の媒介で悠然として喫煙の中に消光《せうくわう》してゐた。その談裡に煙管の輝きを見せながら、喜怒哀樂の三百年を閱《けみ》してゐたのであつた。

[やぶちゃん注:「消光」月日を送ること。日を過ごすこと。]

 金唐皮《きんからかは》の煙草入に數百兩を揃げ打ち、その根〆《ねじめ》や目釘に金銀を鑄《ちりば》ばめたのも、もはや相應の骨董店か或は賣立以外で見られなくなつたのも時勢であらう。煙草の歷史の短い我國の慶長以來の贅澤三昧も、その比較を見ない奢りの中に一朝の煙草の如く沒落した。我我がこの三百年を一瞥する時に美しい工藝の園生《そのふ》である一極島を夢のやうに想ふのも無理のないことである。慶長以來煙草入れの金具は力の目拔や女の髮の裝飾具から、その形や姿を代へて樣樣に進化もし發明もされたのであつた。その布地は女持は女の衣裳や能衣裳から工風《くふう》され、男持に陣羽織や馬の道中覆ひから支那朝鮮の唐皮類にまで、その珍奇の用材を求め涉獵してゐた。金唐皮は一寸四方百圓もするのも素人には信じられぬことであらう。斯樣な烈しい傲奢の沙汰も明治の開花によつて殆ど形なきまでに淘汰された。といふより紙卷の流行は此煙管趣味の王國に遊ぶことを禁じたのである。自《おのづか》ら此喫煙の園生にも猶且明治初年の生活苦が浸透してゐたと云ふ見方も、一應は首肯《うなづ》くことができることであらう。

[やぶちゃん注:「金唐皮」サイト「文化遺産データベース」の「金唐皮」に、『仔牛などのなめし皮に、銀箔を貼りワニス(ニス)を塗り、模様を彫った方にプレスして、最後に手彩色して仕上げると黄金に輝く壁皮になる。金唐皮は』十六『世紀初め、イタリアで生まれ「黄金の皮革」と呼ばれ』、十七『世紀、オランダの特産となった。非常に高価で、貴族の間では「富の象徴」と呼ばれた』。本邦では、『当初、需要が少なかったが、西洋趣味の流行とともに、煙草入れや紙入れを始め、陣羽織にまで使用され、爆発的な人気を博した』とあって、『武雄鍋島家』の『武雄市図書館・歴史資料館』の金唐皮の画像が見られる。

「力の目拔」これ、「刀の目貫」の誤りではあるまいか?]

 序でだから書くが此煙管に刻む文樣は槪ね幼稺《えうち》で單純だつたのは、その煙管の極めて小さい洒落れた形の爲であつた。文樣の如きも武家の持つものは定紋章を鑄め、町家は目ら自由なものを刻んでゐた。併しこれらは悉く刀の鍔の文樣圖案から模倣されたことは、その時代の大半の風俗に較べても瞭然することである。德川中期以後これの奢が頂上だつたことも當然のことであらう。

 

      三 靜物としてのパイプ

 

 自分の目擊した或亞米利加人は五時間立てつづけにパイプを咥《くは》へ、絕えず喫煙してゐた。又西洋人は列車中の食後に心から樂しさうにマイミクスチユアを喫みながら、窓外の景色を眺めてゐた。自分は彼の橫顏にゴツホの一畫面を思ひ出し、壁にかけられてあつた數個のパイプを描いたアンリイ・マチスの心理と其動機を感じた。

 西洋のパイプなるものは其三百年以上の歷史を持つてゐるに拘らず、それ程も進步しないらしかつた。木根草皮から作られたパイプは漸くダンヒルの最上物に至るまで、形態や細工の上で我國ほど著しい進化を見ないやうである。あれらの型や形以外に進めないことは、日本の煙管が支那朝鮮の形態以上に出なかつたと同樣であらう。西歐人に比較して我國の工藝美術が肌膚(きめ)細かい自《おのづか》らな圖案や文樣を持つてゐることは、充分に注意すべきことであらう。又煙管の形が支那朝鮮では、自ら悠長な大民的な長い管と大きい壺をもつ煙管を、西洋人は最もその體質的なパイプを作り出したことも偶然ではなからう。

[やぶちゃん注:「大民的」不詳。自負心の肥大した民族意識の意か。]

 

      四 插 話

 

 自分は時時下草を買ふために植木屋の庭を訪ねた。そして其處の强慾非道の半翁に自分の入用な下草を掘らせるのが常であつた。半翁は一々奈何なる草本木皮の類にまでも、その信ずる値段を自分に告げた。自分はその度每に草本木皮が金錢の支配を受けてゐる爲めに、特にそれらの草本木皮の美しさを知るのだつた。

 然し植木屋の强慾非道は曾て自分を不愉快にしないことはなかつた。春淺い或日のこと、自分の前で美しい女の足のやうな敷島を一本袋から引きずり出し、慘酷に火をつけて燻《くゆ》らし乍ら彼は云つた。

「朝敷島一本ふかしながら芽先きを見𢌞つてゐると仲仲快い氣持です。」

[やぶちゃん注:「敷島」近代小説に最も登場することの多い、本邦の口付紙巻き煙草の銘柄。明治三七(一九〇四)年六月二十九日から昭和一八(一九四三)年十二月下旬まで製造販売していた。]

 

      五 煙草の理解

 

 自分の最初に喫煙したあやしい記億を辿るならば、異性へ近づく時の物珍しい氣持と大した變りはなかつた。加之《しかのみならず》自分は煙草を理解するために樣樣な苦心はしたものの、遂に煙草が自分だけの人生に於て何故に斯樣に貴重であり必須なものであるかが、其根本の「必要」に對して理解することが出來なかつた。それ故當時十六歲の自分はその最初の煙草を理解する努力を遂に放抛《はうき》した。自分が煙草を解するやうになつたのは幾つくらゐだつたかが、今以て甚だ漠然としてゐる。それは二十の年代に於て自分が何を考へつつ生活してゐたかといふ問題の漠然たると同樣に、極めて曖昧模糊たるものであつた。

「君は何故に煙草を好みたまふや」と往復葉書を以て囘答を促すものがあるとしたら、自分はそれは分つてゐるではないかと遂に囘答に應じないであらう。加之どの程度迄、「解つてゐる」かも能く判じがたい病疾的理解であるからである。判り過ぎてゐることは屢屢自分には無限の判明力であり、その無限故に焦點に觸れることのでき難い廣汎な意味の理解だからである。煙草の理解は最早我我が曾てダンヒル會社あたりから求めて來さうな往復葉書に對して、囘答を與へる必要のない程の愚問だとしか思へない。

 唯、自分の熟熟《つくづく》念《おも》ふのは雨の夕《ゆふべ》も風の日も煙草の朦朦《もうもう》たる煙の中から、どれだけ裏悲しい日を送つたかも知れない事實である。煙草は事實人生の詩情を盛るに猶飮酒家の如き悲しいものであつたことは、多くの人人の忘れもし想ひ起しもしないことであつた。或意味で近代の焦燥的な生活の一面に實に煙草と鬪ふ瞬間のあつたことは、何人も亦靜かに想ひめぐらすことができるであらう。そして煙草が我我の生活面に於て單に必要以上の皮肉な役目を持つてゐたことも次第に理解するであらう。

 

      六 美的感情に就て

 

 自分の紙卷煙草に對して優美の感情を誘惑される場合は、多く女の人の喫煙的ポーズの美しさにあつた。一例をあげれば今夏の或深更、信越の一山峽の驛で、自分は一老俳友を送るためにプラツトホームに佇んでゐた。送るものは自分一人であつた。自分は窓際から隔れたところで老友に一揖《いちいふ》を試みた後、不圖後方五つ目くらゐの窓ぎはから、夜半の冷たい空氣に濃い煙草の烟《けむり》が靜かに搖曳するのを何氣なく目に入れてゐた。それほど此山驛《やまえき》の夜更けは靜かだつたのである。列車の中は春のやうに明るかつたが、間もなく汽笛一聲とともに動き出した。自分の前に五つ目の窓が動いて過ぎたときに、若い婦人が白粉氣《おしろいけ》のない顏を自分の方に向け、靜かに敷島か何かをうまさうに燻らしてゐた。自分はその瞬間に可成りに放埒な優美の情を會得した。

[やぶちゃん注:「一揖」(現代仮名遣「いちゆう」。「揖」は「両手を胸の前で組み合わせて行う礼」の意。軽くおじぎをすること。一礼。]

 又一例、

 今は李園に花を競ふ人ではないが、伊太利にフランチエスカ・ベルチニといふ女優がゐた。彼女は千九百十年代の映畫の中では、鼈甲か何かの長いパイプのさきに繊いくちなしのやうな紙卷を揷《はさ》んで、靜かにトルコ絨氈《じゆうたん》の上を步く一場面があつた。自分はこの場面に同樣煙草の美しさ壯大さを理解した一看客だつたのである。歲月惱み多く今や此人も亦再び昔日の李園に艷を競ふことはないであらう。

[やぶちゃん注:「フランチエスカ・ベルチニ」フィレンツェ生まれの、無声映画時代に最も人気を博した女優の一人であったフランチェスカ・ベルティーニ(Francesca Bertin 一八八八年~一九八五年)。私は一本も見たことがない。]

 又一例、(しかしこれは美的感情を誘惑する例ではない。)

 煙草がまだ官營にならない前のことだ。自分の國の方の山間の町で煙草を產する鶴來《つるぎ》といふ處があつた。當時煙草を刻む五寸くらゐの長さの煙草刻みの庖丁があつた。其後官營になつてから此小さな庖丁はその土地の名產のやうになつて果物を剝ぐ小刀に變化した。今では金澤の城下で皮をむくための小刀は、この煙草刻みの庖丁が利用されたのである。恐らく昔の煙草が民間の手にあつた時代の遺物としては先づ此庖丁位が其著しい一つであらう。

[やぶちゃん注:「鶴來」現在の白山市鶴来町(つるぎまち)。この附近(グーグル・マップ・データ)。

 因みに――私は実は、中学二年以来、今まで、ずっと煙草を吸っている。高校教師時代、喫煙で捕まり、生徒に生活指導をする都度、心の内で、『俺は一度も見つからなかったぞ!』と喉元まで出かかることが、幾度もあった……。]

 

      七 ニコチン夫人

 

 自分の少年時代にはヒーロー、サンライズ、ホームなどの煙草があつた。煙草の箱も相應に凝つたものが多く、小さい油繪めいたカードが一枚宛插まれてゐて、美しい踊り子なぞが書かれてあつた。自分の家へ親類の者で兵隊に行つてゐるのが日曜ごとに遊びに來て、そのカードを自分に吳れたものである。

[やぶちゃん注:「自分の少年時代」犀星は明治二二(一八八九)年八月一日生まれ。

「ヒーロー」「たばこと塩の博物館」公式サイトのこちらを参照されたい。明治三七(一九〇四)年に煙草専売制が導入される以前の、村井兄弟商会の主力商品の紙巻き煙草。そこに、『輸入の葉たばこを原料に欧米の最新の技術で製造されたたばこで、中にはおまけのカードも入ってい』たとあるから、以上の「小さい油繪めいたカードが一枚宛插まれてゐて、美しい踊り子なぞが書かれてあつた」というそれは、本品のそれであった可能性が高いように思う。リンク先のパッケージのそれも、それらしい。

「サンライズ」サイト「世界のたばこ」の「日本タバコの歴史」に、前注の『村井兄弟商会の両切たばこ「カメオ」のデザインを模倣し』て、婦人の『肖像を村井吉兵衛本人の写真に差し替え』たもので、『国産の在来葉たばこを原料としている』とある。

「ホーム」不詳。]

 煙草が官營になつてから煙草に用ひられるものの、工藝的現象が亡びたことは煙管や煙草入れの需用を尠《すくな》くしたことを見ても判る。自分等が少年時代に見た煙草に對する幻像すら、既にあの美しいカードの失はれてゐることだけでも、重大な意味を持つてゐる。同時に今から十年の後には全然煙管や煙草入れを懷中にする古風な婦人の好みも、必ず失はれるに違ひない。又それらの工藝品は全然滅亡するであらう。近い一例は羅宇屋《らうや》の車を引く老翁を殆ど見なくなり、昔日一片の古詩は既に埃巷《あいかう》にその姿を失うてゐる。

[やぶちゃん注:「羅宇屋」「らう」は煙管の火皿と吸口の間を繋ぐ竹管で、インドシナ半島のラオス産の黒斑竹(くろまだらたけ)を用いたのがこの名の起こりとされる。江戸時代に喫煙が流行するとともに、三都などで「らう」のすげ替えを行う羅宇屋が露店や行商で生まれた。]

 自分は二年程前に省線電車の中で、熱心に一職人風な男が敷島の箱を覗いてゐるのを見て、不思議な氣がした。次ぎの瞬間にその男が煙草の數を調べてゐることに氣づいて、自分は謙遜の德を間接に感じたのだつた。自分もそれらの煙草の數を算へながら喫煙したことがあつたが、今から思ふと鳥渡懷しい氣がしないでもない。――自分が市井に筆硯を引提げて放浪してゐたころは、一個の卷煙草にも或時は押戴いて喫煙するに近い氣持であつた。時勢は移つても今の靑少年諸君にもこれらの謙遜の美德は持ち合してゐるだらう。

 自分は先年呼吸器が弱つているやうだつた時に、紙卷の純白な筒を見て何か直覺的に毒筒《どくづつ》のやうな氣がした。又、反對に年のせゐか夜中に眼を覺して一服喫ふ甘さは、毒とは知りながら廢《すた》らずにゐるのも、よくよくニコチン夫人に愛せられてゐるからであらう。

 

 煙草に就て

 

 自分の煙草を好愛したのは十六七歲の頃に始つてゐる。自分のその頃の記憶に據れば煙草を好愛するのはハイカラを理解することであり、文明の精神を會得することでもあつた。煙草は今では自分には音樂でもあり繪畫でもある樣樣《さまざま》な空想を刺戟し、妄想をたくらむ物のごときものであつた。

 煙草は有史以前から好煙されてゐるものであることは人の知るところであるが、日本に入つて來たのは天正年間か慶長の頃であらう。ポルトガル人が持つて來たことは疑ひもないことである。自分等の祖先の體内に有害な支那地方、朝鮮地方、又歐州婦人等の血液が浸潤してゐるやうに、永い天正の頃から煙草の害と毒が流れてゐるのである。自分等が煙草を好愛するのは實に今日の趣昧ではない。

 煙草は淫《みだ》りがましい心が銜へるやうである。煙草を好愛する我國婦人の階級は殆ど上流に行はれてゐないと云つてよい。自分は煙草が非常に性慾と密接な密度を持ち喫煙の過度な疲勞は一種の性欲的なるものであることは否まれない。自分の煙草を好む所以のものは或は一事に卽してゐるかも知れないのである。

 或情死者を二十分後に檢診した一醫師は、まだその男の方の肺臟から烈しいニコチンの臭氣を感じたことを報じてゐる。情死前に如何に烈しい喫煙の快樂を擅《ほしいまま》にしたかが分る。死刑囚が一本の煙草をほのぼのと喫みふける氣持は我我喫煙家の能く理解する心持である。

 自分は此頃パイプで西洋の刻み煙草を吸うてゐる。自分の如き閑暇人《ひまじん》はパイプを左の手にしながら永日《えいじつ》閑《かん》の文を綴るに相應しく思はれる。パイプで煙草を吸ふことは何か知ら「物語」を感じるからである。煙草は心の物語を調和するものだ。人悲しめば又煙草も悲しまねばならぬ。心に憂ひを有《も》つ人の煙草の苦さは、その腸《はらわた》に滲《しみ》るやうである。酒杯を手にしながら酒に斷腸の思ひを遣るのは最早時代遲れであらう。今の世はすべからく一本の煙草に天地有情を感じ又世態《せたい》人情の儘ならぬのを嘆くのに相應しいやうである。

 自分はパイプを所藏する人人による每月の會合に出て、自分もそれらの喫煙倶樂部の一員になり、手垢や焦げや齒の痕や、煙草の脂やにまみれたパイプをお互に吸ひ乍ら、半夜の卓に對ひ何か知ら雜談を交すことを愉快に思うてゐる。これらの會員は悉くパイプを携《も》たねばならぬ。かれらはの燐寸《マツチ》に三個のパイプの壺を合《あは》して喫煙するに機敏なるものでなければならぬ。又、かれらは均しく此半夜の喫煙を以て飮酒の宴に勝る愉しさを迎へねばならぬ。かれらは均しく貧乏人でなければならぬ。

 唯われわれ會員はその焦げと手垢に古びたところの、しかもあまり高價でない薔薇の根のパイプを銜へ、電燈を眺めたり往來する婦人連を眺めたり、極めて騷騷しい喫茶店の一隅に坐つてゐるだけである。人人は嗤《わら》ふにちがひない。併しながら我我は宴會や會合の皿や匙をがちやつかすよりも、心ばかり喫煙して居ればよいのである。それは靜かでもあり本能的でもあり、又醉ふこともできるからである。

[やぶちゃん注:「自分はパイプを所藏する人人による每月の會合に出て」先行する「月光的文献」の「一 喫煙と死」を参照。]

« 佐々木喜善「聽耳草紙」 四七番 旗屋の鵺 | トップページ | 大手拓次 「靑い異形の果物」 »