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2023/04/01

大手拓次譯詩集「異國の香」 溫雅(カミーユ・モークレール)

 

[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]

 

 

  溫 雅 モオクレエル

 

溫雅と  のどけさと

そして私の上氣した額の上に下りる愛すべき身振り、

それは靜かな私の悲哀のなかの前の手です

 

華やかな音樂、

そしてまた、 飽くこともない故鄕の物思ひ、

鎭まぬ悲哀の音樂、

悲しめる私の心の絲に

お前の聲は沈靜なる Oiselle のやうである

 

冷たく明るい水底にダイヤモンドの微光(ほのひかり)、

鬱陶しい私の目の反映に照らされる紫水晶、

それは私の瞳に映るお前の瞳です。

 

けれど、 血と晚霞(ゆふやみ)のお前の脣は

また記憶のかをりのために

囘想を心と手との中にとどめてゐる。

 

[やぶちゃん注:前の彼の詩の私の注を参照されたい。また、同じ理由で原詩は探さない。

Oiselle」は「ワゼェル」で「雌の小鳥」を指す。俗語で蔑視を込めて「うぶで愚かな娘」をも指すが、ここでは、採らない。

 なお、原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年岩波文庫刊)の「翻訳篇」に、本篇は載るのであるが、本詩集のものとは異なる訳稿に基づいており、有意に激しく異なるので、以上の本文を参考に恣意的に正字化して、以下に示す。

   *

 

  溫 雅 モオクレエル

 

溫雅とのどけさと、

そして私の額の濕氣の上に下(お)りる所の愛すべき身振り、

それは靜なる私の悲哀に於けるお前の手です。

 

華やかなる音樂、

そして又、 飽くことなき故鄕の物思ひ、

鎭まらざる悲哀の音樂、

悲しめる私の心の纖維の上に

お前の聲は沈靜なる Oiselle のやうである。

 

冷たく明るい水底にダイアモンドの微光(ほのひかり)、

鬱陶しき私の目の反映に照らさるる紫水晶、

それは私の瞳に映るお前の瞳です。

 

けれど、 血と晚霞(ゆふやけ)のお前の脣は

晚霞と血の私の脣の上に、

ああ!

靜かなる菊の花のやうに

唇に總てお前の魂はある。

 

   *]

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