大手拓次譯詩集「異國の香」 溫雅(カミーユ・モークレール)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
溫 雅 モオクレエル
溫雅と のどけさと
そして私の上氣した額の上に下りる愛すべき身振り、
それは靜かな私の悲哀のなかの前の手です
華やかな音樂、
そしてまた、 飽くこともない故鄕の物思ひ、
鎭まぬ悲哀の音樂、
悲しめる私の心の絲に
お前の聲は沈靜なる Oiselle のやうである
冷たく明るい水底にダイヤモンドの微光(ほのひかり)、
鬱陶しい私の目の反映に照らされる紫水晶、
それは私の瞳に映るお前の瞳です。
けれど、 血と晚霞(ゆふやみ)のお前の脣は
また記憶のかをりのために
囘想を心と手との中にとどめてゐる。
[やぶちゃん注:前の彼の詩の私の注を参照されたい。また、同じ理由で原詩は探さない。
「Oiselle」は「ワゼェル」で「雌の小鳥」を指す。俗語で蔑視を込めて「うぶで愚かな娘」をも指すが、ここでは、採らない。
なお、原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年岩波文庫刊)の「翻訳篇」に、本篇は載るのであるが、本詩集のものとは異なる訳稿に基づいており、有意に激しく異なるので、以上の本文を参考に恣意的に正字化して、以下に示す。
*
溫 雅 モオクレエル
溫雅とのどけさと、
そして私の額の濕氣の上に下(お)りる所の愛すべき身振り、
それは靜なる私の悲哀に於けるお前の手です。
華やかなる音樂、
そして又、 飽くことなき故鄕の物思ひ、
鎭まらざる悲哀の音樂、
悲しめる私の心の纖維の上に
お前の聲は沈靜なる Oiselle のやうである。
冷たく明るい水底にダイアモンドの微光(ほのひかり)、
鬱陶しき私の目の反映に照らさるる紫水晶、
それは私の瞳に映るお前の瞳です。
けれど、 血と晚霞(ゆふやけ)のお前の脣は
晚霞と血の私の脣の上に、
ああ!
靜かなる菊の花のやうに
唇に總てお前の魂はある。
*]
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