佐々木喜善「聽耳草紙」 三二番 箕の輪曲げ
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題は「みのわまげ」。米などの穀物の選別の際に殻や塵を取り除くための片方が開いた笊型の容器を作ること。本邦の箕作(みづく)りは伝統的に竹細工であった。緯(よこ)に竹、経(たて)にヤマフジを使った箕を藤箕(ふじみ)と称した。先端部の強度を高め、滑らかな表面にするため、桜皮を編み込んだものもある(ここはウィキの「箕」に拠った)。]
三二番 箕の輪曲げ
或時、御明神(ゴミヨウジン[やぶちゃん注:ママ。])村の小赤(コアカ)坂に、彥太郞と云ふ人があった。葛根田(カツコンダ)の山奧に入つて、箕の輪曲げをして居ると、山姥《やまうば》がやつて來て、あゝ寒い々々と言つて、彥太郞が焚いてゐる火にあたつた。彥太郞はこれは山姥だなア、火灰(ホドアク)でも張掛(ハツカ)けてやるべえと思つた。すると山姥は、彥太郞お前はおれに火灰を張掛けてやるベアと思つてゐるなと言つた。彥太郞はこれはことだと思つたが、よしきたそれなら、此頃切れる鉈《なた》を買つたから、その鉈で斬つてやるベエと思つた。すると又山姥が、彥太郞お前は此頃切れる鉈を買つたから、その鉈でおれを切つてやるベエと思つてゐるなと圖星をさゝれた。彥太郞は愈々《いよいよ》これはことだ、この分では俺はこの怪物(バケモノ)にかかられたらやつぱり食ひ殺されるこツたと思つた。すると又その事を山姥は言ひ當てた。
彥太郞はあきれ返つて、だまつて箕の輪を曲げて火にあぶつて居ると、輪に火がついて彈けて、バラツと山姥に火灰がしたたか(大變)張掛(ハツタ)かつた。山姥はこれは不覺をとつた。彥太郞やアお前は心にも無いことする男だなアと言つて、笹原の中ヘガサガサと逃げて行つた。そして笹立ちの中でウンウン唸つてゐるから、彥太郞はナゾになつたと思つて見ると、大きな山姥が其所に倒れてゐた。彥太郞は恐ろしくなつて、道具などを片付けて背負つて家へ歸つた。
(三〇番同斷の二。)
[やぶちゃん注:本篇の「山姥」は「山男」の異名である「サトリ」と同じ能力を持っていることが判る。柳田國男「山の神のチンコロ」や、『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 妖怪名彙(その3)』の「ヤマノコゾウ」で既出既注だが、再掲しておくと、人が心の中で考えたことを瞬時に言い当ててしまう「覺(さとり)」由来であるが、通常は毛むくじゃらの「山男」として描かれる場合が多い。当該ウィキを読まれたい。「サトリ」ではないが、私はどうも「山男」や「さとり」の類いを見ると、無条件反射で「北越奇談 巻之四 怪談 其十(山男)」に載る葛飾北斎の挿絵を想起してしまう人種である。また、「サトリ」の名にふさわしいエピソードを確かに電子化しているのだが、探し得ない。二万件を越えるブログ記事を書いていると、探し出せなくなる記事も出てきた。老耄の至り。発見したら、ここにも追記する。
「御明神(ゴミヨウジン村)」当該ウィキでは、読みを「おみょうじんむら」とし、『現在の雫石町御明神・上野・橋場にあたる』とある。郵政での現在の読みも「おみょうじん」である。グーグル・マップ・データ航空写真で「御明神」を見る(以下無表示は同じ)と、北西に接して「橋場」が、北東に「上野」が確認出来る。御明神の東と、上野の南西半分が平地である以外は、山間であることが判る。
「小赤(コアカ)坂」坂は不明だが、現在、地名で御明神小赤沢(こあかさわ)がある。
「葛根田(カツコンダ)」現在、雫石町西根葛根田があるが、ここは上野の東方の盆地の中心部にある。そこの「山奥」ということは、本篇のロケーションは現在の上野地区の山間部ととれる。
「三〇番同斷」というのは、前話「山男と牛方」の採取者『岩手郡瀧澤村武田採月氏からの御報告に據るものの』二ということ。]
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