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2023/04/06

佐々木喜善「聽耳草紙」 二七番 鬼婆と小僧

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

       二七番 鬼婆と小僧

 ある山里の寺に和尙樣と小僧とが居た。小僧が山に花コを取りにやつてクナさいと言ふので、和尙樣は山には行かない方がよい、鬼が出て來ると大變だからと言ふと、小僧はソンマ(直ぐ)歸つて來るからやつてクナさい、やつてクナさいとせがんだ。そんだら此守札を三枚やツから、どうしても仕方がない時があつたら、これを一枚宛投げろと言つて與へた。

 小僧が山へ行つて美しい花コを折つて居ると、其所ヘバンバ(婆々)が出て來て、小僧々々花ア折つてけらアなアと言ふので、うんと言つて花を折つて貰つて居た。さうしたらバンバが小僧々々いゝ物ケツから俺家《おらいへ》さ行くベアと云ふから、うんと言つて小僧はバンバに連れられてその家に行くと、バンバは小僧々々今夜は泊れと言つた。うんと云つて小僧は其所に泊ることにした。

 其夜は雨が降つてゐた。寢ながら雨垂れの滴(タ)る音を聽くともなしに聽いてゐると。

   タンタンたるぎの水はづみ

   起きてバンバの面《つら》ア見ろ―

 と音がした。そこで小僧は夜着の袖口からバンバの方をそつと見ると、バンバが鬼になつて居た。小僧はこれは大變だ。どうかして逃げたいと思つて、婆樣ア俺アバソバ(糞)出るウと言ふと、バンバは、えゝから此所さたれろと言つた。小僧はそだて俺アセツツン[やぶちゃん注:雪隠(せっちん)。便所。]でなえばたれられなえもと言ふと、バンバは小僧の腰に繩をつけて遣《や》り、その端を挽臼《ひきうす》に結び着けて置いて、小僧、えかアと言ふから、小僧はまだまだと返辭をした。また少し經つと、えか小僧ウと言ひ言ひした。小僧は腰の繩を解いて柱に結んで、其結び目に和尙樣から貰つて來た守札を一枚さして、小僧と言つたら、まだまだと言へと言ひ置いて、小僧はどんどん逃げてしまつた。

 其後でバンバがまだか小僧と言ふと、まだまだと守札が言ふが、あんまり小僧が遲いので挽臼を踏ン張つて見たら、小僧がいなかつた。バンバは怒つて、小僧のがすもんかと叫んで追つて行つた。ノンノン(足音)と追つかけて行くと、小僧はかツつかれそうになつたので、此處に大きな川が出(デ)ハレと言つて守札を一枚投げた。すると其所に大きな川が出ハツた。さうしたら又鬼婆は、その川をくぐつて追(ボ)つかけて來るので、小僧はこんどは、此所に大きな山が出ハレと云つて、守札を一ツ背後(ウシロ)に投げるとそこにまた大きな山が出(デ)ハツた。其山を鬼婆が登り越えて追ツかけやうとしたら、上らうとすればするほど砂が崩(クヅ)れて、幾度も幾度も滑つて居るうちに小僧はお寺へ駈けつけて、和尙樣々々々、俺は鬼婆(《オニ》バ)ンバに追つかけられて來たから早く隱してと言つた。和尙樣は小僧を戶棚の中に入れて隱した。そこへ鬼バンバが飛び込んで來た。そして和尙ツ此所へ小僧が歸つて來なかつたかツと言ふので、歸つて來ないと言ふと、此の和尙坊主めツ、ボガ(僞言《うそごと》)吹くな、小僧隱《かく》さば和尙から取つて喰《く》ふぞツと言つた。

 和尙樣はこれは面白いツ、俺を喰へたら食つてみろ。それにヤ技倆(キリヨウ)較《くら》べをして負けた方が喰はれツこにすべえ。おい鬼バンバお前は豆粒になれんか、なれめえ、なれなかつたら取つて食ふぞツと言ふと、此糞タレ坊主がアなれねもんか、此れツ見ろツと言つて、コロリと小さな豆粒になつた。そこで和尙樣は燒いて居た餅につけて鬼バンバ豆をぱツくりと食つてしまつた。

  (秋田縣角館《かくのだて》小學校高等科、
  柴靜子氏の筆記摘要。武藤鐵城《むとうてつじやう》氏御報告の二。)

[やぶちゃん注:本話の、小僧の鬼婆の追撃から逃れるそれは、「古事記」の伊耶那岐が黄泉(よみの)国から伊耶那美と黄泉醜女(よもつしこめ)らから逃げることに成功する呪的逃走が原モチーフで、三度の呪物を使用する点も確信犯である。また、通常、あるシークエンスの中で「言上げ」を最初にしたものが「勝ち」となり、対象世界を支配することにあるものが、安易に小さくなった鬼婆が和尚に喰われることで、大団円が迎えられるそれは、伊耶那岐によって大石で永久に封じられてしまった黄泉比良坂のそこで石を挟んで、伊耶那美が伊耶那岐の民を「一日に千頭絞り殺さむ。」と言上げしたに対し、伊邪那岐が、それなら「吾、一日に千五百の産屋立てむ。」と応じて人口増大の繁栄説話が成就するの同様な高名なレトリックが用いられいる点にも着目すべきであろう。

「武藤鐡城」(明治二九(一八九六)年~昭和三一(一九五六)年:佐々木より十歳年下)は秋田県出身の考古学者・民俗学者でスポーツ指導者でもあった。本書刊行時(昭和六(一九三一)年)は移住した角館にあった。当該ウィキはかなり細かく事績が書かれてあるので見られたい。]

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