大手拓次 「空華」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』以後(昭和期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正一五・昭和元(一九二六)年から昭和八(一九三三)年までの、数えで『拓次三九歳から死の前年、すなわち四六歳までの作品、四九四篇中の五六篇』を選ばれたものとある。そこから原則(最後に例外有り)、詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。この時期については、本パートの初回の私の冒頭注を参照されたい。]
空 華
こころは ことわりもないひびきをつれ、
あさのくらがりのかなしみのなかに
つめをたて たてがみをそよがせて、
空華(くうげ)をちらし、
足はそよろとほそりゆくひとつのいきもの。
[やぶちゃん注:「空華(くうげ)」仏教用語。空中に存在すると幻想錯誤される花。仏教では現象世界の総ての事象は、本来、実体のない仮象過ぎないが、それを正しく認識せず、あたかも実体をもって存在しているかのように考える誤りを喩えるのに用いる語。則ち、ある種の眼病に罹ると、実際には存在しない花が空中にあたかも在るかの如く見えるという,その花を指す(ネットの「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。拓次の幻想の詩想は純粋に空に舞う花と限るのは勝手だが、詩想全体には幻想自体の悲哀が濃厚であり、以上の仏語の持つそれを重ねて何ら問題はない。]