下島勳著「芥川龍之介の回想」より「たつ秋」
[やぶちゃん注:本篇は末尾の記載によれば、昭和九(一九三四)年九月発行の『かびれ』(「加毘禮」加毘禮社発行の俳誌。国立国会図書館デジタルコレクションの戦後の表紙を見ると、誌名の下には『新人育成の俳句指導雜誌』という如何にも学習塾の宣伝みたような副題があったのには呆れた)初出で、後の下島勳氏の随筆集「芥川龍之介の回想」(昭和二二(一九四七)年靖文社刊)に収録された。
著者下島勳氏については、先の「芥川龍之介終焉の前後」の冒頭の私の注を参照されたい。
底本は「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で上記「芥川龍之介の回想」原本の当該部を視認して電子化した。幸いなことに、戦後の出版であるが、歴史的仮名遣で、漢字も概ね正字であるので、気持ちよく電子化出来た(但し、単行本刊行時期のため、正字と新字が混淆してはいるので、そこにはママ注記を入れた)。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので正字化した。一部に注を挿入した。また、本篇にはルビが一切ないが、なくても概ね読めるが、一応、若い読者のために、ストイックに《 》で推定で歴史的仮名遣で読みを振った。]
た つ 秋
芥川龍之介君は元祿俳人殊に芭蕉の崇敬者であると同時に、芭蕉の硏究家としても有名で、その獨自の觀察眼は前人未踏の境地を拓《ひら》いてゐゐ。然も芭蕉の作句態度については、――かくありてこそ……推服措かず、自分もまた芭蕉の態度にならつて作句したのである。だから、彼ほどの天才をもつてして猶その一句を成すまでの苦心は寧ろ慘憺というても過言ではなかつた。
彼は常に言うてゐた。――僕の俳句は、これでも全く眞劍だ。人は何といふかも知れぬが、僕の一句はこれでも、僕の小說一篇と拮抗すべきもので、兩者もとより輕重はない。……と、その心構への尋常でなかつたことは槪めかくの如くである。
世には俳句を卽興詩と稱し、その態度で句作する人もあり、また俳句はそう堅くなるべき筈のものでない、擧ろ自然や人生を氣易く歌ふべきものであるなどと、すましてゐる向きもあるが、勿論ものは解釋である。それはそれで結構かも知れぬが、さりとて餘技氣分や、安易な妥協氣分から生れる作が、どんなものかは玆《ここ》に述べるまでもあるまい。
彼の一生は短かつた。隨て俳句も尠なかつた。だが、自撰の句集が僅かに七十七句をもるに過ぎぬといつたら、知らぬ人は信じないかも知れぬ。――七十七句……少し達者な人なら。恐らく半年か一年の處作に過ぎないであらう、併しその七十七句は、彼の小說や文章と同じく、永久に光輝を放つ寶玉として尊重せられ、俳人芥川龍之介の不滅なるわけもまたこゝに存するのである。
洋畫家の小穴隆一君は、もと碧梧桐門下で、同門の瀧井孝作君の紹介で芥川君と親しくなり、ついにあの淺からぬ交友關係にまで發展したのである。
小穴君はいふまでもなく新傾向の作家であつたが、芥川君と交を結ぶように[やぶちゃん注:ママ。]なつてからは、同君の感化によつて正調の句を作るようになつた。然もその時分の彼の作は一種の新味と奇妙な臭ひとで、我々を感心させたのである。ある時芥川君に、――小穴君の句は中々うまいところがゐる。そしてあの無鐵砲なところに我々のまねの出來ない妙味がある……といつたところが、彼の曰く――小穴君は俳句の傳統も歷史も何も知らん。卽ち何も識らんから無鐵砲で大膽だ。そして白紙だからあの純なものが出來る。何も知らんといふことは最も强みのあることで、我々の及びがたいところだ……と、いつたのである。
これは至言でゐると思つた。勿論天分によることではあるが、――なまじ種々な智識を得れば得るほど反《かへつ》て智識の束縛を受け、身動きの出來なくなるのが普通である。果せるかな、數年後の小穴君の句のうまさは以前ほどの光彩かなくなつた。これは勉强して段々もの識りになつたためではないかと思はれる。(勉强してうま味がなくなつたといふことを誤解されては困る)また小穴君の句は活字になると一段のうま味が加はるので、あるときまたその話をすると、――それもよくわかつてゐる……とはいつたが、說明もせずまた私も强《しひ》て聞く必要もなかつた。
小澤碧童君の碧梧桐門の高足たることは誰知らぬものもない筈である。同君は小穴君の紹介で芥川君の處へ出入してゐるうちに、何時とはなく芥川君の主張に傾倒共鳴の結果、終《つひ》に正調の作家に轉向するといふ、眞《まこと》に駭くべき事件を惹起したのである。當時新傾向俳壇の振《ふる》はなくなつたのは、他に幾多の原因はあるであらうが、城代格の碧童の轉向は一層その不振を早めたかの感がある。それは兎に角、新俳壇の曉將《げうしやう》碧童を轉向させた芥川君の力量は、なんといつてもすばらしいものである。また同時に碧童君の轉向ぶりのあざやかさも推賞に堪へぬものがあると思つてゐる。
この事件は恐らく一殼にはまだ如れてゐないと思ふから、後《の》ちの疑問を招かぬために、この機會に述べておきたい。
室生犀星君は、もと俳人として何《いづ》れかといへば、新傾向の臭ひの高い人であつたが、芥川君との交友が深くなるにつれ、互に熱心に硏究の結果、初めて俳句に對する識見が生じてきたといふ意味を、彼の句集魚眠洞發句集の自序で述べてゐる。だから、室生君の俳句に對する自覺も實は芥川君に負ふところ尠なくないと言つて差支ないであらう。
[やぶちゃん注:「魚眠洞發句集の自序」国立国会図書館デジタルコレクションの『室生犀星全集』第八巻に所収する同句集の「序文」を見たところ、「新傾向の臭ひの高い人」どころか、『當時碧梧桐氏の新傾向俳句が唱導され、自分も勢ひ此の邪道の俳句に投ぜられた』と犀星自身の述懐があって、下島の、知らんふりの、あたかも自身が犀星のやや古い句を鑑賞吟味したところの印象である《かのように》書いているのには鼻白んだ。しかも、さらに後を読んでゆくと、ここ(上段九行目)には、『芥川龍之介氏を臀、空谷、』(「空谷」は下島の俳号)『下島勳氏と交はり、發句道に打込むことの眞實を感じた』(終りのクレジットは昭和四(一九二九)年二月)とあって、これまた噴飯物だった。私はこうした『どうせ読者は知らぬもの』といった立ち位置でものを書く人間を甚だ嫌悪する人種である。]
私は靑年時代から俳句が好きで、常に心を放れぬ趣味の一つであつた。勿論時代關係からいつても、子現から影響されたことは言ふまでもない。併し幸か不幸か俳句の師といふものがなかつたので――尤も古人今人師とすべきは皆師ではあるが。他の俳人のやうに傾向とか主張とかいふものゝ渦中に卷きこまれずにすんだ。卽ち雜誌を中心とした俳句運動といふものゝ圏外にあつて、靜かに明治以來俳壇の推移變遷を傍聽することが出來たのである。そして自由に批評し考察しながら樂しんでゐたといふやうな、‐いはば俳優ではなくして芝居の見物人だつたのである。
だから、芥川君や室生君と俳句をやるように[やぶちゃん注:ママ。]なつてから、始めて眞劍に古俳句の再吟味を試み、また比較的純な心から俳句を始めたといつたやうなわけで、私の中の俳人はやはり、芥川室生の兩君に負ふところが多いのである。
(昭和九・九・かびれ)
[やぶちゃん注:私は富山県高岡市立伏木中学校二年の時、国語の小島心水先生から授業で尾崎放哉の句を教えられて感銘、授業後、直ちに先生に句集の拝借を願って以来、中三の時に放哉の所属していた『層雲』の誌友となり、二十代半ばまで続け、自由律俳句に親しんだ。大学一年の夏には強力な出不精の私であるが、放哉の墓参りもして墓も洗ったし、私の大学の卒論も「尾崎放哉論」であった。
なお、作句の方は、その後、概ね無季定型型の俳句に転じて、数年に数句ものす程度である(私の「句集 鬼火」を御笑覧あれ)。
尾崎放哉はHP内に「全句集 やぶちゃん版新版」の数種と、終焉の地となった小豆島の西光寺の南郷庵に入った際の「入庵雜記」(全)を用意してある(前者は、例えば、「尾崎放哉全句集 やぶちゃん版新版正字體PDF縦書版」)。
また、「心朽窩旧館 心朽窩主人藪野唯至 やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇 縦書完備」では、芭蕉の紀行等の電子化注の数篇の他、惟然坊・丈草・木導、近現代では村上鬼城・泉鏡花・伊良子淸白・萩原朔太郎(全句集)・畑耕一・富田木歩(私が以依頼原稿で書き、『俳句界』第百七十八号二〇一一年五月号「魅惑の俳人㉜ 冨田木歩」に掲載された富田木歩論「イコンとしての杖」の初稿も公開している)・久女(全句集)・橋本多佳子(全句集)・三鬼・尾形龜之助・篠原鳳作(全句集)・原民喜・鈴木しづ子らの句集を公開してある。
而して、その「俳句篇」での私の最大の自身作は、二〇〇六年から六年かけて構築した(その後も新発見句を補充し続けている)★「定本 やぶちゃん版芥川龍之介全句集」全五巻★(「やぶちゃん版芥川龍之介句集 一 発句」以下を参照)である。これは、過去・現在、如何なる出版された芥川龍之介句集よりも句数に於いて、最も多い芥川我鬼/澄江堂の発句・連句を渉猟したものという自負があるものである。
なお、以上の下島の文章に芥川龍之介晩年の盟友であった画家小穴隆一(芥川龍之介の遺書の内には、遺族によって焼却された失われた部分があるのだが、一説に、そこには、妻文に対して、小穴と結婚せよ、という遺言があったとも言われている)のことが出てくるが、私はブログ・カテゴリ「芥川龍之介盟友 小穴隆一」で彼の芥川龍之介に関連する記事の多い二作品等を電子化注している。しかし、まず、現在、以上で下島の言うところの、小穴隆一の俳句を見ることは、図書館であっても至難の業であろう。――いや、ご安心あれ! 私のブログの「鄰の笛(芥川龍之介・小穴隆一二人句集推定復元版)」で小穴の句群を電子化注してあるのである。]
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