「曾呂利物語」正規表現版 第五 六 萬上々の有る事 / 「曾呂利物語」電子化注~完遂
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。
御覧の通り、本篇を以って「曾呂利物語」は終わっている。]
六 六 萬(よろづ)上々(うへうへ)の有る事
土佐國(とさのくに)に、或(ある)獵師、「みの庄右衞門(しやうゑもん)」と云ふ、ありけり。
「山中に、隱れなき、『ぬた』あり。これに、一入(しほ)、さまざまの物、寄る。」
と云ふ。[やぶちゃん注:「ぬた」「沼田」。先行する「第三 五 猫またの事」の私の注を参照されたい。]
さ候へば、彼(か)の者、鐵砲を擊つこと、上手にて、彼(か)のぬたへ登り、
「猪(しゝ)、擊たん。」
と相(あひ)待つ所に、先づ、一番に、蚯(みゝず)、來りて、「ぬた」に入る。
其の次に、蟇蛙(ひきがへる)來りて、彼(か)の蚯を食して、蟇蛙、「ぬた」を打つ。
其の次に、蛇(くちなは)來りて、蛙を呑む。
其の次に、蛞蝓(なめくじり)來りて、蛇(くちなは)の𢌞りを、二、三遍(べん)、𢌞れば、蛇は、忽ちに竦(すく)みて、死(し)しぬ。
庄右衞門、これを見て、
『扠々(さてさて)、不思議なる事かな。其の上々がありて、それぞれに平(たひ)らぐる。』
と思ふ内に、大きなる猪(ゐのしゝ)來りて、又、蛞蝓(なめくじり)を食(しよく)して、「ぬた」を打つ。
庄右衞門、
「きつ」
と見て、
『すはや。』
と思ひ、鐵砲に火をかけ、既に擊たんとしけるが、
『待て、少時(しばし)、我が心。いやいや、斯樣(かやう)に上々がありて、下々(したじた)を平(たひ)らぐるなり。あの猪を打ちなば、又、何者かありて、我が命(いのち)をとらん。』
と、思ひすまして、案じけるに、
「我が名は、『みの庄右衞門』と云へば、文字こそ變れ、『身(み)の上(うへ)』。」
と覺えたり。[やぶちゃん注:彼の名である「みの庄右衞門(みのしやうゑもん)」は、「身の上」とは表記文字が異なるが、「身の上」(みのしやう)と読めるという言い換えた事実に思い至ったのである。彼は、心の中で、『ここは一番、この「みの庄右衞門」の「身の上」こそが大事だ。』と認識したのである。]
『とかくして、歸らんには如(し)かじ。』
と出で立つ所に、虛空(こくう)より、
「扠(さて)も。庄右衞門、分別者(ふんべつもの)かな。」
と、
「呵々(からから)」
と笑ふ聲、いづくともなく、耳に響く。
『怖ろしき事。』
に思ひて、我が家(や)に歸りぬ。
されば、ものの報いは、是れにしも、限らぬ事ながら、知らぬ人こそ、おろかなれ。
曾 呂 利 物 語 大尾《たいび》
[やぶちゃん注:湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(『東京学芸大学紀要』二〇〇九年一月発行第六十巻所収。ネットでPDFで入手可能)では、「今昔物語集」の巻第十の「莊子見畜類所行走逃語第十三」(莊子、畜類の所行を見て、走り逃げたる語(こと)第十三)の前話(当該篇は内容的には二部からなる)を連環型の通性から先行する類話として挙げられている。「やたがらすナビ」のこちらで新字であるが、電子化されたもので読める。湯浅氏は、十ほどの類話が挙げられてあるが、その内、たまたま私が既に電子化注してあるものは、本篇の転用である、
「金玉ねぢぶくさ卷之二 蟷螂(たうらう)蝉をねらへば野鳥蟷螂をねらふ」
である。本篇は主人公の名に引っ掛けて円環を超自然の怪異として閉じてあるのが、掉尾に相応しい作ではあるように感じられる。
なお、本話の連環の一部は、所謂、「三竦(さんすく)み」に基づいている。この「三竦み」については、私はその原拠考証を続けているが、未だに完全に納得出来るものに行き当たっていない。最も新しいものでは、「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蝦蟇(かへる)」の「蛇を畏れて、而〔(しか)〕も蜈蚣〔(むかで)〕を制す。此の三つ物、相ひ値〔(あ)へば〕、彼此〔(かれこれ)〕皆、動くこと、能はず」に対する私の注である。かなり長いが、是非、読まれたい。]
« 大手拓次譯詩集「異國の香」オリジナル電子化注附きPDF一括縦書版+同横書版公開 | トップページ | 早川孝太郞「三州橫山話」 種々なこと 「座敷小僧」・「屋根裏で聞こえた三味線」・「佛檀に殘る子供の足跡」 »