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2023/04/18

佐々木喜善「聽耳草紙」 四三番 僞八卦

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      四三番 僞八卦

 

 或所に大層悋氣病《りんきや》みなゴテ(夫)があつた。いつも外から歸つて來ると、おい見屆けたぞ、今日は誰某(ダレソレ)が來たなアと言ふのが癖であつた。それが又よく當るので女房も呆れて、なに、この僞(ウソ)八卦がと言つて居た。[やぶちゃん注:「悋氣病み」この場合は焼餅きが病的なほど強いことを指す。]

 恰度《ちやうど》其の頃、仙臺の殿樣の金倉《かねぐら》を破つて千兩箱を十箱盜んだ者があつた。いくら嚴しい詮議をしても泥棒が捕まらないので、殿樣は近所近國によい八卦置きはないかと訊ねた。家來の者がいゝ八卦置きが南部の國にあるヅ話で御座りますと申上げたら、そんだら一刻も早くその八卦置きの處へ行つて八卦を置いてもらつて來《こ》ウと仰せ出られた。そこで重立つた家來どもが勢揃ひをして、南部の八卦置きの所サぞろぞろとやつて來た。

 或る日、僞八卦置き夫婦が家で話をして居ると、表サ立派なお侍樣達が駕籠に乘つて、大勢どやどやと御座つて、南部の名高い八卦置き殿は御在宅かと言つて入つて來た。夫婦は魂消《たまげ》てハイ居りますと申し上げると、それでは申入れるが、今度仙臺樣の金倉から千兩箱が十箱盜まれたによつて、それでお前を賴んで八卦置いて貰ふベエと思つて、斯《か》うして吾々がお前を迎へに來たのだ、早く仕度をして俺達と一緖に行(アユ)でケろと言つた。女房はそれを聽いて驚いて、そだからお前が僞八卦など置かねばアええのにと悲しんだけれどもハヤ追ツつかないから、ともかく仕度をさせて、お前度胸をきめてしつかり八卦を置いて來もセと言つて、夫を送り出した。僞八卦は迎への駕籠に乘せられて、仙臺のお城下指して連れて行かれた。

 僞八卦の乘つた駕籠が、南部と仙臺との國境の五輪峠でしばらく一時(イツトキ)の憩みをした。中間《ちゆうげん》や雲助どもは木蔭へ行つて休みながら、アノ男はタダの八卦置きではなかンベえ、なんでも神憑《かみつき》に相違ない。アレが行つたらきつと金箱《かねばこ》もオキ出されるに違いない。早く咎人《とがにん》のお仕置きを見物したいもんだと語り合つて居た。それを聽いて頭のお侍は、僞八卦の駕籠の側へ寄つて來て、ちよツとお前に折入つて賴みたい事があるが、聽いてくれまいかと言つた。僞八卦がそれは何だと云ふと、侍は人拂ひをしてから、さてさて八卦置き殿やい、アレあの家來どもが今云ふて居る通り、お前が行けば殿樣の盜まれた金箱も見現はされるに違ひがない。さうするとこの俺の首も胴中《どうなか》さついては居まい。そこでお願ひだが、實は俺はその千兩箱の在る所をチヤンと知つて居る。その中《うち》一箱はお前が取り一箱は俺が貰つて、あとの八箱はお前が八卦で當てたやうに見せかけて殿樣サ返して遣るベエ。どうだこの相談に乘る氣はないか、若《も》しも不承知なら、不憫ながら今此所でお前の生命(イノチ)を俺がもらうベアと云ふのであつた。ソレを聽いて僞八卦は靑くなつて、よいからお前樣の云ふ通りにすベエが、ほんだらその金箱が何所に匿してあると訊くと、お城の後(ウシロ)の泥の中サ匿して置いたからと云ふ。そんだら俺が其の通りに云ふからよいと云ふと、お侍はお前のおカゲで俺も助かると云つて大層喜んだ。それから僞八卦を連れて勢いよく殿樣のお城に乘り込んで行つた。[やぶちゃん注:「オキ」意味不明。「直(じき)に」の意か。]

 僞ハ卦は仙臺の殿樣の御殿に行つて、八卦をオイて、盜まれた金箱はお城の堀の中にあるが、十箱のうち二箱は既に人手に渡つて西國に行つたので探しても無駄である。八箱だけ早く引き上げろと云つた。殿樣はもう少し早かつたら十箱の金みんなを取り返せたのに、お前を賴むことが少し遲かつた、それでも八箱あるならモツケの幸ひである。シテその泥棒は何所の者で如何《どう》なつたと訊いた。僞八卦は、それは今云ふ通り西國の大泥棒で今西國の方サ行つて居る。探しても無駄だと答へた、殿樣はそれでは仕方がない、アトを取られない中《うち》に早く其の八箱を引き上げろと云つた。そこで多勢《おほぜい》の人夫どもが堀の中に入つて探すと、いかにも金箱が八箱ソツクリとしてあつた。(二箱は前夜の中に侍と僞八卦とが取り出して匿して置いたから無かつた。)

 殿樣は大層喜んで、お前のやうな偉い八卦置きは世界中にアンベかなアと言つて、禮に千兩箱一箱を與へた。僞八卦は見たことも聞いたこともない金箱を二ツまでも持つて小踊りしながら家へ歸つた。そしたら嬶《かかあ》も喜んで、ソレ程お前は偉い技倆のある人とは思はなかつたと云つて、夫婦仲よく暮した。

  (二番同斷の四。)

[やぶちゃん注:「二番同斷」「觀音の申子」と同じソースで、そちらの附記には、『遠野町、小笠原金藏と云ふ人の話として松田龜太郞氏の御報告の一。大正九年の冬の採集の分。』とある。]

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