大手拓次 「妖氣」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。]
妖 氣
赤い頭、黃金(こがね)の齒、
お前はわたしの子だ。
古い、しをん色に染めた木靴をはいて、
物事のあつまる病閒へ行く。
それでいいのだよ、
綠はけむりをはいてほろびる。
たましひは快い羽をつけてまひ立つ。
[やぶちゃん注:「しをん色」サイト「伝統色のいろは」のこちらで色が確認でき、そこには『紫苑色(しおんいろ)とは、紫苑の花の色のような少し青みのある薄い紫色のことです。紫苑はキク科シオン属』(キク目キク科キク亜科シオン連シオン属シオン Aster tataricus :和名異名には「ジュウゴヤソウ」(十五夜草)・「オモイグサ」(思い草)の他に、「オニノシコグサ」(鬼の醜草)という有難くないものもある。但し、これについては、小学館「日本国語大辞典」の「おにのしこぐさ」の「語誌」に『「万葉集」に見える「鬼乃(之)志許草(しこノシコぐさ)」(七二七』・『三〇六二)の「鬼」を』「オニ」『と読んだところから生じた語。元来は』、『不快や嫌悪を表わす』「シコ」『を重ねた「しこのしこ草」で』、『役立たずのいとわしい草の意』とする一方、『「俊頼髄脳」では親を失った兄弟の孝養譚を引いて紫苑の異名としている。その話は、兄は親の死を忘れるために墓に萱草(わすれぐさ)を植え、弟は忘れないために紫苑を植えたので』、『墓の屍をまもる鬼が弟の孝心に感じて予知夢を授けるというもの』としつつ、これは『他に龍胆(りんどう)』を指すと『する説もある』とあった)『の多年草で、古名を「のし」といい、平安時代には「しおに」とも呼ばれていました。秋には薄紫色の美しい花を咲かせることから、古くからとても愛されており、紫苑色の色名はその可憐な花の色からきています』。『紫苑色は、紫根で染めて椿の灰汁で媒染した物。特に紫を賛美した平安期に愛好され、秋に着用されていました。『源氏物語』などの王朝文学にも「紫苑の織物」「紫苑の袿(うちぎ)」「紫苑の指貫」などと』、『たびたび登場します。重(かさね)』(襲)『の色目(いろめ)としても秋を表わし、「表・薄色、裏・青」、「表・紫、裏・蘇芳」などの組み合わせがありました』とある。
「病閒」の「閒」は詩集「藍色の蟇」での用字に従った。]