大手拓次 「ゆあみする蛇」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。]
ゆあみする蛇
じや香のにほひ、
しなやかに彈力にみちあふれた女蛇のからだは、
あつたかい水のなかにひたつて、
うつらうつらと夢をみる。
みどりのうろこにかくれた、うぶ毛は芽をふいておきあがる、
ひち、ひち、といふ肉のきしむおと、
女蛇が身をくねらせると、
あだかも弓づるのやうに血しほがはりきつて、
山をうごかす。
そのふくれてる腹は、たぶたぶとしてはゐるが、
なほ、あらあらしく戀の火皿をよびよせる。
肌身の沼、体熱の船、
女蛇のむれは、むごたらしくあそび、
花粉のいなづまは彼等をおびやかす。
うごめくたびに
からだのくらがりのにほひ、
女體(ぢよたい)の蛇はいちやうにまぼろしとなつてかをり、
とこしへに春の金鼓をならす。
[やぶちゃん注:「じや香」麝香。♂のジャコウジカ(鯨偶蹄目反芻亜目真反芻亜目ジャコウジカ科ジャコウジカ亜科ジャコウジカ属 Moschus に七種が現生する)の腹部にある香嚢(こうのう:麝香腺)から得られる分泌物を乾燥したもので、主に香料や薬の原料として用いられてきた。甘く粉っぽい香りを持ち、香水の香りを長く持続させる効果があるため、香水の素材として古くから重要なものであった。また、興奮作用・強心作用・男性ホルモン様作用といった薬理作用を持つとされて、本邦でも伝統的な秘薬として使われてきた。ジャコウジカ及び麝香の詳しい博物誌は、私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」を参照されたい。
「女蛇」原氏はルビを振っていない。「めへび」か。「ぢよじや」は硬いし、聴いたことがなく、「をんなへび」では韻律が悪い。私の知る限りでは、拓次の詩でルビを振ったものはない。]
« 「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 針山供養針千本 | トップページ | 大手拓次 「銀色のかぶりもの」 »