佐々木喜善「聽耳草紙」 四五番 南部の生倦と秋田のブンバイ
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
四五番 南部の生倦と秋田のブンバイ
或時、南部の生倦(イキアキ)だと云ふ看板を掛けて、方々を廻國する亂暴者があつた。いつもかつも、あゝ俺は生倦きた、生倦きたと云ひのさばつて押し步き、誰(ダン)でもええから殺されたい。はてさて俺を殺せる奴が、この世界中に一匹も居やがらないのかなア。どうだいと天下を踏反(コンゾリ)かへつてギシコイたてて威張つて步き廻つてゐた。併しこの亂暴者には、何處でも誰一人として負かされぬ者はなかつたので、ますます傍若無人になつて、諸國を步き廻つたあげく、遂に秋田の國まで行つた。[やぶちゃん注:「ギシコイ」意味不明。]
その時、秋田に、ブンバイと云ふ劍術使ひの達人が居た。そして生倦の傲慢を聞いて、世間には隨分人を喰つた大馬鹿者もあるもんだなア、いゝから俺が一ついじめてケると云つて、南部の生倦、秋田のブンバイがお前を殺してケルから、何時でも來うと云ふ立札を家の門前に立てゝ置いた。方々の國を廻つて其所に行き當つた生倦は、ブンバイの立札を見て、あゝ俺を殺してケルぢ人もある風(フウ)だ。さあ早く殺されたい、俺は南部の生倦だと言つて、そのブンバイの家へ行つた。ブンバイはアヽお前が南部の生倦か、俺は秋田のブンバイだ。俺が一つお前の命を仕止めてやるから安心しろと云つた。すると生倦はそれでは尋常に勝負をして、お前に殺されたい。何日(イツ)がいゝか訊くと、それでは明日この下の川原サ來う、其所で尋常に勝負すべえとブンバイは云つた。
その日は朝から、川原サいつぱひ[やぶちゃん注:ママ。]に見物人が集まつて居た。ブンバイは大刀を引ツつま拔いて身構へをして、さあ南部の生倦、かかつて來うと云ふ。生倦は素手で何にも持たず、たゞ川原に薪木を山と積んで、それに火をつけて、どがどがと燃やし始めた。ブンバイがさあ始めろツ、かかつて來うと呶鳴ると、生倦は何時でもよいと云つて、その燃え木尻(キニシリ)を執つて、相手目がけてブンブンと投げつけた。其の術(ワザ)のすばやいこと、とても人間業とは見えなかつた。さすがの劍術使ひの名人、ブンバイもとても及ばなくなつて、しまひには眉間に燃え木を撲(ウ)つ付けられて、打(ブ)ツ飛んで仰向けに轉んで息が絕えてしまつた。
生倦も、その時は餘程ひどかつたものと見えて、燃え木を投げつけ、投げつけしては居たが、遂に全身まるで火になつて、これもやつぱり息が絕えてしまつた。
(家の老母の話。)