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2023/04/06

「曾呂利物語」正規表現版 第五 五 因果懺悔の事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵が赤茶けてひどく見え難くなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。

 

     五 因 果 懺 悔(さんげ) の 事

 のがれても同じ浮世と聞くものを、は、いかなる山に身を隱さん、隱し果てなんあらましに、東の方に赴きしが、此處は名に負ふ信濃なる、木曾の麻衣(あさぎぬ)あさましく、やつれ果てたる旅姿、行方(ゆくへ)何方(いづく)としら雲の、梢にかゝる深山路(みやまぢ)を、心すごくも分け行けは、こゝに年の程、四十餘りに見えたる男、いかめに、製(こしら)へたる、大(だい)なる刀(かたな)を橫たへ、彼(か)の僧に向ひて、

「其の、頸にかけたる平包(ひらづゝみ)を、渡すべし。」

と、臂(ひぢ)を怒(いか)らかして、乞ひければ、彼の僧は、

「是れは、諸經一卷、包みたり。別(べち)に、召されても、由(よし)あるまじ。」

と云ふ。

「とかくの是非に及ばば、害し侍らん。」

と、刀の柄に手をかけ侍る。元より、命、惜しむべきみちならねども、流石に、今はの際(きは)なれば、先づ、平包を解きて、與へける。

 男、岸(きし)[やぶちゃん注:断崖絶壁の上の際(きわ)を指す。]の方(かた)に、腰をかけて、ゐたり。

「何樣(なにさま)、此の者の面魂(つらだましひ)にては、はてはては、我(われ)を失(うしな)はんずらん。これこそ、方便の殺生なるべし。」

と云ひて、數(す)千丈も數千丈も高き岸より、突きおとしぬ。

 未(いま)だ、平包は岸に有り。取りて、頸にかけてぞ、下りける。

 日も、やうやう、傾きければ、とある家に立寄り、宿を借りけり。

『さるにても、今日(けふ)は不思議の事に逢ひつるものかな。』

と、まどろむひまも、なし。

 斯かるところに、主(あるじ)の聲と覺しくて、

「此處(こゝ)を開けよ。」

と敲(たゝ)く。

 内より、妻女、出であひ、

「今日は、何(なに)とて遲く歸られける。」

と云ふ。

「其の事なり。不思議の坊主に行き逢ひ、高き所より突き落され、はかなかき命(いのち)を生きたれども、岩角(いはかど)にて、身を打當(うちあ)て、足も立たざるを、兎角して、歸りぬ。」

と云ふ。

 僧は、物ごしに、是れを聞き、急ぎ、垣を破り、拔道の用意をぞ、したりける。

 女、云ふやう、

「是れに、僧の、一人(ひとり)、宿を借りて、座敷に侍る。」

と云ふを聞きて、其の儘、走り逃げにけり。

 彼の主(あるじ)、座敷へ出でて見れば、無し。

「扠(さて)は、坊主は逃げたるものなり。」

とて、逐(お)ひ出でて、

「今、坊主のくせもの、有り。出であひて、留(とゞ)めよ。」

と云ひければ、在所の者、殘らず出で會(あ)うたり。

 此の度(たび)は、道を變へて、上(のぼ)りざまに、逃ぐる。

 跡より、聲々に呼ばはりける程、

「先には、我、あり。」

とて、出であはせ、後(あと)より、頻りに、追掛(おひか)くる、

 脇なる山に、かけ込み、彼方此方(かなたこなた)と惑ひしが、如何にも茂りたる大木(たいぼく)あり。

 これに登り、少し、息をつきたり。

 既に追手は、

「道筋には、なし。山の内を探せ。」

と云ひて、手に手に、松明(たいまつ)を點(とも)し、岩峽閒(いははざま)、木の陰、殘らず、探しけり。

 玆(こゝ)に、弓持ちたる男、

「坊主こそ、此(こ)の木の上に、ゐ侍るなれ。只今、射落し侍らん。」

とて、大雁股(おほかりまた)を持つて射たり。

 此の僧の心のうち、云はん方なし。

 

Ingamonogatarinokotonoutihousinokoto

 

[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「いんか物かたり」(因果物語)「の事の内」、「ほうしの事」(法師のこと)と読める。]

 

 かかりけるところに、僧には中(あた)らず、何(なに)とは知らず、大(おほ)いなる獸(けだもの)一つ、矢に當りて、落ちぬ。

 皆、寄りて見れば、大いなる荒熊(あらくま)なり。

 集りある所へ、走り掛りたりければ、

「人にては、なし。熊にて、ありけるぞ。」

と、のゝしりける。

 多くの人を喰(く)ひ、威(おど)し、驅けまはりければ、一人(ひとり)もなく、逃げて、家にぞ、歸りけり。

 其の内に、木より下(お)りて、とかくして、道に出で、上方を指してぞ上りける。

「今は、後(あと)より、人も追はず。」

と、

『虎の口の難を遁(のが)れける不思議さよ。』

と思ひ、其の日の暮れければ、とある家に立寄り、宿を借りける。

 又、これも、主(あるじ)は留守にて、妻女ばかりなり。

『過ぎし夜の者にては、あらじ。』

と思ひけれども、いとゞねざめがちにて、客亭と覺しき所にぞ、臥したりける。

 戌の刻[やぶちゃん注:午後八時前後。]に、主(あるじ)、歸りぬ。

 妻女、出であひ、もてなして、臥しぬ。

 僧は、尙々(なほなほ)、心、許さず、寐(い)ねもやらでぞ、居侍(はんべ)る。

 子(ね)の刻と思ふ時分に、又、

「此處を開けよ。」

と、男の聲にて、云ふ。

 女、出であひ、戶を、あくる。

 内なる男、大(だい)なる刀を拔き、外より這入(はひ)りたる男を、討つて、けり。

 僧、

『こは。いかに。』

と思ひ、

『もつけなる所へ、來つるものかな。如何(いかゞ)せん。』

と思ふところに、女、云ふやう、

「表(おもて)に、坊主を宿しけるが、如何(いかゞ)計(はか)らひ給ふ。」

と云ひければ、

「それこそあれ。」

とて、

「いかに、いかに、御坊(ごばう)。」

と呼ぶ。

 寐入(ねい)りたる體(てい)にて、音もせで、居けるを、重ねて呼ばはる。

 はふはふ、起きたれば、男のいはく、

「これなる死骸を負ひて給はれ、程近き所にて候まゝ、伴ひ申し候はん。」

とて、死骸を桶に入れしたゝめ、坊主にぞ、あてがひける。

「我々は斯樣の有樣にて、何としてか、持ち參らせん。」

と云ひければ、殊の外、怒りたる體(てい)にえ、無理に後(うしろ)に負はせければ、餘りの怖ろしさに、是非なくて、何方(いづく)ともなく、二、三町程、行きたれば、山の中に下させて、男は鍬(くは)を持つて行きけるが、僧に與へ、穴を掘らせける。

『斯かる目にあひけるも、前業(ぜんごふ)の程。』

とあさましく、又、

『否と云はば、如何なる目にあはん。』

と、云ふに任せて掘りけるが、疲れたる事なれば、掘りかねたる體(てい)を見て、男、

「此方(こなた)へ、退け。」

とて、大はだぬぎになり、刀も捨てて、汗水になりてぞ掘りたりける。

 僧、思ひけるは、

『死骸を埋(うづ)みて後(のち)、我をも、定めて、殺し候はんなれ。刀を拔きて、後(うしろ)より首を、かけず、打落(うちおと)し、又、元の宿(やど)に歸り、惡人の種(たね)を斷たん。』

と思ひ、女をも、切りおほせ、其の刀・脇差をさして、又、道にかゝり、もみに、もうでぞ、上りける。

 天の惠みにや、後(あと)より追ふ事もなく、漸(やうや)う、美濃國にぞ、つきにける。

 ある宿に、立ち寄り、

「宿、借らん。」

と云へば、是れも又、女の家主(いへぬし)許(ばか)りなり。

『前々(まへまへ)、難(なん)に遇(あ)ひつるも、男の留守故(ゆゑ)なり。』

とて、此處をば、立ち出で、行きけるが、遂に行きくれ、泊るべき宿、求めけれども、あたりに人さへも見えず、日は暮れぬ。

 茫然として立ちたりけるが、向ひの山際(やまぎは)に、火の、幽(かすか)に見えけるほどに、急ぎ行きて見れば、人、居(ゐ)るにても、なし。

 軒の、傾きて、破れたる古宮にてぞ、ありける。

『近き所に宮寺のあるは、人里あればこそ、燈明(とうみやう)をば、參らすべきなれ。』

と思へども、遙かに道は步み、心、疲れ、宿、求むべきやうもなかりければ、彼(か)の拜殿の破(や)れたるにぞ、居(ゐ)たりける。

 來し方行末の事など案じつゞけて、夜更くるまで、寐も入らでゐ侍るところに、何處(いづく)ともなく、步み寄る者、あり。

 月影に、よく見れば、一人の男、髮をさばき、竹の杖に縋る。

 眼は、朱をさしたる如く、色、靑く、如何にも痩せ衰へたる形、眞(まこと)に杖に縋(すが)らずば、步むこと、難しと見えけるが、拜殿にぞ、來れりける。

 僧は、

『よも、人閒にては、あらじ。』

と、口には、光明眞言を唱へ侍る。

 男のいはく、いかにも、かすかなる聲の中に、

「我は、非業の死に赴きて、瞋恚(しんい)の焰(ほのほ)、熾(さか)んなりしが、御僧の順緣(じゆんえん)を以て、逆心(ぎやくしん)の敵(かたき)を討ちて給はりし故に、一業(いちごふ)の罪を、免(のが)れぬ。願はくは、とてもの事に、一日(にち)經、書きて、亡き跡、とひて賜はり候へ。」

と、云ふと思へば、夢、さめぬ。

 扠(さて)は、過ぎにし人ども、ほんつま・ひつまの鬪諍(とうじやう)の有樣、あさましかりつる次第なり。

 彼(か)の僧は、諸國行脚は、思ひ止(とゞ)まり、都(みやこ)西山のほとりに、いかにもかすかなる庵室(あんしつ)を構へ、道心堅固にして、親疏平等血利益(しんそびやうだうりやく)と誓ひ、一期(ご)、終りけるとぞ。

 寔(まこと)に、仰ぎ尊(たふと)むべきは、佛(ほとけ)の御誓(おんちか)ひなり。

[やぶちゃん注:本篇は本書の中では、他の話柄に比して、相対的にかなり長い。冒頭、主人公の行脚僧の道行文は、相応に文芸的に考えられており、読み始めの期待をさせる趣向は、なかなかに手腕を感じさせるのだが、以下の三つのパートの展開は、今一つ、映像上の個別化・差別化が上手く行っておらず、安手の映画で、画像の使いまわしを見せられている感が拭えないのが、難点である。作者は、主人公の僧に、一種のこの世の業(ごう)の有様を、畳み掛けて類似体験をさせることで、所謂、輪廻の忌まわしい有様を体験させ、一つの道心堅固のあり方を悟らせることが、主目的であったのだろうが、話としては、ちょっと食い足りずに、残念な感じが残ってしまう。「宿直草」の作者荻田安靜も、そうした印象を本篇に感じのではないかと思われ、それぞれを、部分的に別個な形で変形転用している。一つは、

「宿直草卷一 第二 七命ほろびし因果の事」の中間部

で、

宿直草卷五 第七 學僧、盜人(ぬすびと)の家に宿借(やどか)る事」

では、一番、スリリングな熊の話を使用しているし、直ぐに続く、

「宿直草卷五 第八 道行僧、山賊に遭ふ事」

で、最初の話を用いているので、見られたい。

「我は、非業の死に赴きて、瞋恚の焰、熾んなりしが、御僧の順緣を以て、逆心の敵を討ちて給はりし故に、一業の罪を、免れぬ」というのは、一見、直前の、中間部にある男女の男殺しの殺された男の台詞のように読めるのだが、どうも、前者の殺された男が、この異様によろぼえた男とするのは、どうも不自然である。されば、この殺人者の男女は、それ以前に、この老人を別に殺害していたと考える方が、躓かずに読める。

「ほんつま」「本妻」。

「ひつま」よく判らぬが、二股不倫をしている「婢妻」或いは、そうした忌まわしい女への蔑称としての「卑妻」か。]

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