譚海 卷之五 江戶彥根領むべの事
[やぶちゃん注:読点・記号を追加した。思うに、以上の目次にある標題中の「江戶」は「江州」の誤りかとも思われる。なお、彦根藩の場合、元和二 (一六一六) 年以降、周辺の幕府直轄領からの年貢米二万石を毎年備蓄することが定められていたと、Q&Aサイトの回答にはあったが、彦根藩内に天領があったという記載には行き当たらなかった。]
○江州彥根に、禁裏へ「むべ」を獻ずるものあり。大津の宮の御宇より、こゝに住居して、子孫、絕えず、今に每年、供御(くご)に獻上して、「むべの御朱印」といふ物を、つたへたるものなれば、由緖ある家なるゆゑ、數世(すうせい)の子孫の中には、惡行の者も有(あり)て、斷絕に及(およば)んとせし事、しばしば成(なり)しかども、領主よりも宥免(いうめん)ありて、今に家を傳へたり。彼が先祖、はじめて天智天皇へ供御に奉(たてまつり)し時、「むべ成(なる)もの也。」と勅諚(ちよくぢやう)ありしより、此樹の名と成(なり)し事とぞ。此(この)「むべの木」、其家にばかりあり、殊の外、大切にして、外(ほか)へちらさず、「さし木」にすれば、能(よく)生ずる物也と、いへり。
[やぶちゃん注:「むべ」常緑蔓性木本の双子葉植物綱キンポウゲ目アケビ科ムベ属ムベ Stauntonia hexaphylla 。漢字は「郁子」「野木瓜」などと書く。参照した当該ウィキによれば、『和名「ムベ」は、古くに果実を朝廷に献上したオオムベが転じたものとされる』。『また』、『アケビ』(アケビ科Lardizabaloideae 亜科Lardizabaleae連アケビ属アケビ Akebia quinata )『に似ていて常緑なので、別名「トキワアケビ」(常磐木通)ともいう』。『方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、ウンベ(鹿児島県)、ウベ』、『イノチナガ、コッコなどがある』とあり、]『日本の関東地方南部以西の本州・四国・九州・沖縄』。『その他』、『メディアで取り上げられる地域は京都府福知山市夜久野地区、日本国外では朝鮮半島南部』、『台湾、中国に分布する。暖地の山地や山野、海岸近くに自生する』。『果期は』九~十月で、果実は五~七センチメートルの『楕円形で』、『暗紅紫色に熟す。この果実は同じ科のアケビに似ているが、果皮はアケビに比べると』、『薄く柔らかく、熟しても』、『心皮の縫合線に沿って裂けることはない』。『果皮の内側には、乳白色の非常に固い層がある。その内側に、胎座に由来する半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、その間には甘い果汁が満たされている。果肉は甘く食用になるが』、『種がしっかり着いており、種子をより分けて食べるのは難しい。自然状態ではニホンザルが好んで食べ、種子散布に寄与しているようである』とある一方、『日本では伝統的に果樹として重んじられ、宮中に献上する習慣もある』とし、上記のような理由から、『商業的価値はほとんどないが、現在でも生産農家はあり、皇室のほか、天智天皇を祭る近江神宮、靖国神社に献上している』とある。また、脚注5にある、「産経新聞」公式サイト内の「関西の議論」の『不老不死の実「ムベ」 古代から皇室に献上された伝説の果実求め全国から人が絶えず…』の二〇一五年十一月十六日附の和野康宏氏の記事に、『琵琶湖の東岸に位置する滋賀県近江八幡市で、「ムベ」と呼ばれる伝説の果実が栽培されて』おり、『ニワトリの卵よりやや大きく、熟すと赤紫色になるこの実は、「食べると長生きする」という言い伝えから不老長寿(不死)の実といわれ、古代から昭和』五七(一九八二)年『まで皇室に献上されてきた。その後、献上はいったん途絶えたが、地元の宮司らが「地域の伝統を取り戻そう」と』、平成一四(二〇〇二)年、約二十年振りに献上を『復活させた』とあり、『ムベという名の由来は近江八幡にあ』って、『言い伝えによると、天智天皇』(在位:六六八年~六七二年)『が琵琶湖南部の蒲生野(かもうの)(現滋賀県東近江市一帯)へ狩りに出かけた際、奥島山(現近江八幡市北津田町)に立ち寄った』ところ、『そこで』八『人の息子をもつ元気な老夫婦に出会い、「お前たちはなぜ、このように元気なのか」と尋ねたところ、老夫婦は「この地で採れる無病長寿の果物を、毎年秋に食べているからです」と答え、果物を献上した。それを賞味した天皇が「むべなるかな(もっともだな)」と言ったことから、この果物が「ムベ」と呼ばれるようになったという』とあって、『以来、毎年秋になると同町の住民から皇室にムベが献上されるようになったとされる。平安時代に編纂』『された法令集「延喜式」』の三十一『巻には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」の段に、近江国からフナ、マスなどの琵琶湖の魚とともに、ムベが献上されていたという記録が残っている』とあった。
「大津の宮」天智天皇のこと。彼は天智天皇六年三月十九日(六六七年四月十七日)に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都し、そこで亡くなったことによる。
「供御」天皇の飲食物を指す尊敬語。
「宥免」(現代仮名遣「ゆうめん」)罰などを緩やかにして宥(ゆる)すこと。寛大に罪を免汁じること。
「勅諚」「勅命」に同じ。]