大手拓次譯詩集「異國の香」 あらはれ(カミーユ・モークレール)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
あ ら は れ モオクレエル
私は夕燒の中に
輕(かる)く去りゆく女を見た。
そして其姿が、 朧ろに深き夕暮の中に變るのを。
其後長い間彼等の聲は死んでゐる。
其後長い間閾の隅に
門の隅に彼等の記憶は
木葉と共に色衰へて眠つてゐる。
貪しい人のやうに
眠るために黃色い木葉を床とする
私の回想(おもひで)よ、 この記憶の上にお前を寢かし、
そしてお前を眠らせやう。
又更に記憶の下に曖昧をとるために
回想の胸のうへに記憶をおけよ。
晚霞と血の私の脣のうへに、
あゝ!
靜かなる菊の花のやうに
お前の魂は總て脣にある。
[やぶちゃん注:フランスの詩人であるカミーユ・モークレール(Camille Mauclair)はペン・ネームで、本名はカミーユ・ローレン・セレスティン・ファウスト(Camille Laurent Célestin Faust 一八七二年~一九四五年)で、小説家・美術史家・文芸評論家でもあった。芸術批評では、彼は「印象派」と「象徴主義」を支持したものの、「フォービズム」以降のアバンギャルドを激しく非難した。晩年はナチスに迎合したフランスのヴィシー政権に協力し、反ユダヤ主義を標榜してしまっている詩集に「秋のソナチネ」(Sonatines d’automne:一八九四年)・「血は語る」(Le Sang parle:一九〇四年)・「歌われた感情」(Émotions chantées:一九二六年)がある(以上は彼のフランス語ウィキに拠った)。原詩は、彼の忌まわしいナチズムへの迎合を知ったので、探すのは、やめた。悪しからず。
「晩霞」この語は、次に出る同じ彼の詩「溫雅」の最終連に『晩霞(ゆふやみ)』とルビする。「ばんか」は如何にも読みとして硬いので、私は「ゆふやみ」で読みたい。]
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