大手拓次 「色彩料理」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅱ(大正後期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正七(一九一八)年から大正一五(一九二六)年までの数えで『拓次三一歳から三九歳の作品、三四一篇中の四七篇』を選ばれたものとある。そこから詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。同時期の拓次の様子は、先の回の冒頭の私注を参照されたい。]
色彩料理
人間の眼玉をあをあをと水のやうに
藍繪(あいゑ)の支那皿にもりそへ、
すずろに琴音(ことね)をひびかせる蛙のももをうつすりとこがして、
みづつぽいゆふべの食欲をそそりたてる。
あぶらぎつた蛇の花嫁のやうな黑い海獸の舌、
むしやきにしたやはらかい子狐の皮のあまさ、
なめくぢのすのものは灰色の銀の月かげ、
とかげのまる煮はあをざめた紫の星くづ、
むかでの具足煮は情念の剌(とげ)、
かはをそのそぎ身はしらじらしい朝のそよ風、
まつかな極彩色の大どんぶりのなかに、
帶のやうにうづくまる蛙の卵はきらめく寶石のひとむれだ。
病毒にむくんだ手首の無花果(いちじゆく)は今宵の珍果、
金いろにとけるさかづきにはみどりの毒酒、
ふかい飽くことをしらない食欲は
山ねずみのやうにたけりくるつてゐる。
[やぶちゃん注:「食欲」の「欲」の単漢字は、詩集「藍色の蟇」では、「欲」と「慾」の両字が併用されているが、「食欲」の熟語の場合は、「洋裝した十六の娘」(ブログ単独版)の一篇のみで使用されおり、ご覧の通り、「欲」となっていることから、「食欲」で表字した。また、「とかげのまる煮」と「むかでの具足煮」の「煮」は、字としては「煑」の異体字もあるが、詩集「藍色の蟇」では、そもそも「煮」「煑」の使用例がない。また、大手拓次譯詩集「異國の香」(リンクはサイトPDF縦書版)の一篇、『古い眞鍮の壺(ヒルダ・コンクリング)』(ブログ単独版)の詩篇中で、「壺はお米を煮てくれる。」の一行があることから、底本の「煮」の字を変えずに用いた。
「かはをそのそぎ身はしらじらしい朝のそよ風、」は、前の並列対応する五行、名詞節ブレイクの、それを見るに、それぞれの食材対象を、「黑い海獸の舌」・「子狐の皮」・「なめくじのすのもの」・「とかげのまる煮」・「むかでの具足煮」と指示していることから、この一行は、私は「《かはをそ》の《そぎ身》」――川獺(かはをそ)の削ぎ身――の意ととった。獺(わうそ)は、日本人が滅ぼしてしまった食肉目イタチ科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon。博物誌は「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」を見られたい。なお、正しい歴史的仮名遣は「かはをそ」とされ、例えば、所持する大学以来の愛用の角川新版「古語辞典」(久松潜一・佐藤健三編・昭和五一(一九六六)年五十五版)の見出し語は、確かに「かはをそ」である。しかし、所持する小学館「日本国語大辞典」の「かわうそ」では歴史的仮名遣を「かはうそ」とし、「かはをそ」を歴史的仮名遣の表記として載せていない。一般に、「かは」は「川」であるが、「をそ」或いは「おそ」の語源の方は実は不確かで、「恐ろしい」の意とも、人を騙(だま)して「襲う」妖獣であると考えられたことから、「襲ふ」の意とも、また、人を騙すことから、「嘘」や「嘯く」に由来するなど、諸説があり、未詳である。但し、これらの語源説は、「かはをそ」を正規の歴史的仮名遣とする根拠には、ならないので、私には不審ではある。]