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2023/04/05

佐々木喜善「聽耳草紙」 二六番 夢見息子

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   二六番 夢見息子

 

 或所に母子があつた。其子は一人息子だから大凡《おほよそ》の我儘は通させて居た。或時息子が母親に言ふには、母々(アツパ)、俺に刀一丁買つてケろ。垣内(カクチ)の梨の木さ每夜、何處からか天狗が飛んで來てブウブウ唸つて居ツから、俺は彼(アレ)を斬(キン)なぐツてしまう。なアなア母俺(アツパ)に刀一丁買つてケろとせがんだ。母親は早速町へ往つて、古道具屋から古段平(フルダンビラ)を一本買つて來て息子にあづけた。息子はひどく喜んで、其刀を持つて、每夜裏の梨の木に登つて、刀を拔いて天狗の來るのを今かと待つてゐた。するとある夜半だと思ふ刻限に、天狗がばふばふと飛んで來て梨の木に止つた。ここだと思つて息子はやツと刀で切掛《きりか》けた。ところが天狗は物も言わず息子の鬢毛(ビンケコ)を引下(ヒツサ)げて、何所《いづこ》となく、ふわりふわりと飛んでいつた。[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版は最後の一文の「何所となく」の箇所を『どことなく』と平仮名表記にしている。従えない。]

 息子はさうして天狗に下げられて、天を飛んで、連れられて往きながら、これやことだ、俺はどうなるべと思つて魂消《たまげ》て居た。天狗は默つて、山越え野越え行くが行くが行つて[やぶちゃん注:個人的には三箇所の「行」は総て「い」と読みたい。]、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]海の上さ飛んで行つた。其時天狗は息子の鬢毛から手をそろツと放した。息子は海の眞中に墮ちて、ブクブクと泡沫(アブク)を立てて浪の中に入り、それから海の底へだんだんと沈んで行つた。そして海の底に往着《ゆきつ》いたと思ふと、ドタンと何でも高い所からでも落ちたやうな工合に或所に出拔《でぬ》けた。はツと思つて目を開いて見ると、其所は目が覺めるやうな明るい廣い廣い野原であつた。

 息子は途方に暮れて、暫時(シバラク)其所に其儘突立つて居た。あゝ此所は何處だベヤ、この俺はナゾになるべと思つて泣きたくなつたが、でも何時までもさうしても居られぬから、とぼりとぼりと其の野原を步いて行つた。すると丁度いいアンバイに小流(コナガレコ)があつた。その小川の流れる通り、何所までも何所までも行くと或るひとつの村里へ辿り着いた。其所の家は見たことの無い造り格構《がつこう》であつた。そんな家が多く建並《たちなら》んだ所まで來ると、ある大きな屋構への家があつて、其家には見たことの無い着物を着た大勢の人達が出たり入つたりして居た。そしてその人達は男も女もみんな聲を立てて、おウいおウいと泣いて居た。息子は不思議に思つて、門前に立寄つてそれを見て居た。するとますます出入りの人達は多くなり泣聲も高くなつた。あれヤ何したべと思つて居ると、丁度其所へ其家から一人の婆樣が泣きながら出て來た。婆樣婆樣お前達は何してそう泣いているのシと訊くと、婆樣は初めて息子の姿を見付けて、魂消て、お前さんは何所から來た人だと言つた。息子は俺は日本から來た者だが、何してお前達はさう泣いて居ます。譯を聽かせてがいと言ふと、婆樣はこれには譯がある。其譯は斯々《かうかう》だと委しく話して聽かせた。其譯と謂ふのは、此所は龍宮といふ國であるが、此家はこの國の殿樣殿の館で、其殿樣に一人の美しい娘がある、所が其娘は今夜といふ今夜、此國の鎭守の生神樣《いきがみさま》のために人身御供《ひとみごくう》に取られるので、それで、みんなが斯う泣き悲しんで居ますと言つて聽かせた。

 それを聽いて息子はまだ自分の手に握つて居る大刀(ダンビラ)に氣がついた。一つこれでその生神を退治して見べかと思つた。そこで婆樣に、俺は實はこの上の天《てん》の日本と謂ふ所から、今此所に來たばかりの者だが、話を聽くと其娘が可愛想(ムゾ)くてならない。俺は其娘の身替りとなつて生神の所に食はれに行つてもよいが、そのことを此家の館の人達に言つて吳れぬかと言ふと、その婆樣は其の話を半分も聞かないうちに大聲を上げて門内に、これこれの事だと叫びながら引返(ヒツカヘ)して行つた。すると館から大勢の人達が歡んで、息子を迎へにぞろぞろと出て來た。息子は救ひの神樣だと言つて館に連れ込まれた。

 それから息子はひどく御馳走になつてから、いよいよ其夜娘の身代りになることになつた。先づ白木の棺箱《かんば》[やぶちゃん注:同型譚の「二三番 樵夫の殿樣」の本文での読みに従った。]に入れられて、山の麓の鎭守の社の長殿(ナガドコ)へ、村人に擔《かつ》がれて行つた。そして村人は、生神樣に申上げます、人身御供を持つて、來ましたと言つて、テンギ(拍子木)をタンタンタンと三度叩いてから、恐しがつて皆吾先と逃げ還つた。息子ばかりが暗いシンとした長殿にひとり置き殘された。

 息子は化物の來るのを今か今かと、大刀(ダンビラ)の柄を堅く握締《にぎりし》めて、その刻限を待つて居た。すると夜半過ぎになつて、だんだん丑滿つ時頃になると、颯々《さつさつ》と氣味の惡い腥《なまぐさ》い風が吹いて來た。さう思ふと何だか社殿の方から、びしりびしりと足音をさせて上つて來た物があつた。いよいよ來たな何態(ナゾ)な化物だと思つて、かねて付けて貰つて置いた箱の小穴から、そろツと覗いて見ると、牛(ベコ)のやうな大きな體で總體《さうたい》蓑(ケラ)を着たやうに針毛《はりげ》の生へた[やぶちゃん注:ママ。]、挽鉢(ヒキバチ)、位もある赫顏(アカヅラ)の猿の經立(フツタチ)であつた。それがみしりみしりと箱の側へ步み寄つて來て、娘ア居たがアと言つて、葢に手をかけるとガラリと開けた。そこで息子は、汝(ウガ)何をするツと言つて、跳上《とびあが》つて化物の氣無《きな》しなところをザツキリと眉間に斬りつけた.猿の經立はこんな亂暴なことは今迄無いことだつたので、暫時《しばらく》呆氣《あつけ》にとられて突立《つつた》つて居たが、それが娘でないことが解ると、やにわにひどく怒つて、ぎりぎりと齒ぎしりをし齒をむき出して、兩手を押ツ擴げて、ううと唸つて、息子に喰つてかゝつて來た.けれども、息子は無闇矢鱈に刀を振り廻して斬りまくり、祕傳祕術を盡して防ぎ、切つて切つて遂々(トウトウ[やぶちゃん注:ママ。])化物を退治した。なほも其後刻《そのこうこく》、靑面《あをづら》と黑面《くろづら》の同類の化物が二度までも出たけれども、息子は何(ド)れをも退治した。種牛のやうな化物どもが、枕を並べて三疋其所に斬倒《きりたふ》されて血みどろになつて、呼吸《いき》が絕えた。其内に夜が白々と明けた。[やぶちゃん注:「猿の經立(フツタチ)」「二三番 樵夫の殿樣」の私の注を参照されたい。「氣無《きな》しなところ」油断していたところに。]

 村の人達は夜が明けたので昨夜の息子はナゾになつたことかと思つて、ぞろぞろと社殿へ行つて見た.すると息子は怪物等《ら》の返り血を浴びて眞赤になつて居た。そして板ノ間にはまた三疋[やぶちゃん注:底本は「三足」であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]の化物らが見事に斬倒されて死んで居た。村人は驚いて逃げ歸らうとした。息子はそれを呼び止めて、何にも心配は無い。この化物は皆俺が斬殺《きりころ》して死んで居るから、お前達さはかゝらない[やぶちゃん注:お前たちには襲いかかかってくるっことはない。]。これで此國の禍《わざはひ》の根も絕えたから安心しろと言つた。村人はそれを聞いてやつと安心して、お前樣のお蔭で此國の永年の禍もほんとに根が絕えたます。それにしても今迄こんな獸を生神樣だとばかり思つて娘を奪《と》られたがやい、姊を奪られたがやい、妹を奪られたがやい、ナゾにしてもあきたれがないやいと言つて大勢の人が、鉈《なた》や鎌で化物の顏と言はず體と言はずじたじたに斬つた。そして息子の事をお前樣は人間でない、これこそ本當の生神樣だと言つて拜んだ。息子は俺はそんな者ではない。ただの人間だ、だが此獸を此儘にして置く譯には行かぬから、社《やしろ》の後《うしろ》に埋めろと言ひつけて、村人にさうさせた。そしてさあ歸るべと言ふと、村人はお前樣を此儘で步かせては勿體ないと言つて、昨夜の箱を橫にして其上に息子を載せて、まるで神樣のやうにして殿樣の館へ連れ還つた。

 殿樣親娘(オヤコ)の喜びはいくら言つても言つても盡き申さない。何しろこの國の第一の恩人樣だと言はれて直ぐさま殿樣の娘の婿殿となつた。やがて其國の若殿樣になつた。そして榮華な月日を送つて居た。

 息子はそんなに榮耀榮華な日を送るにつけても、思ひ出すのは日本に殘して置いた母親のことであつた。どうかして一目でもよいから、この俺の立身出世を故鄕の母に一目見せたい。一日でもよいから母親と此處で一緖に暮したいと思つた。そのことを話すと、舅殿《しうとどの》の殿樣は御尤も々々々と言つて、そんだらお前の母親を迎へに、日本に行つて來たほがよいと言つた。[やぶちゃん注:「ほが」はママ。「ちくま文庫」版では『ほう』だが、方言の可能性もあるので、暫くそのままにおく。]

 そこで息子はいよいよ龍宮のお姬樣と一緖に赤い駕籠に乘つて、母親を迎へに日本に行くことになつた。駕籠の前後には多數の鎧兜《よろひかぶと》の家來どもがついてお伴《とも》をした。春の日だつたと見えて、龍宮から日本へ來る並木街道の兩側には櫻の花がぞろりと咲いてゐた。どこまでもどこまでも道の兩側には大勢の見物人が出て居た。息子はいゝ氣になつて、お姬樣と話をして居ると、いきなり駕籠の中へ手を入れて、息子の頭をピシヤンピシヤンと撲叩《うちはた》く者があつた。息子は魂消て、誰(ダン)だ、龍宮の若殿樣の頭を叩(ハタ)く者(モン)は誰(ダン)だと眞赤になつて力《りき》むと、此餓鬼が何を寢言《ねごと》をぬかして居れヤ、早く起きて飯でも食(クラ)へヂヤ、お汁も何もみんな冷(ツメタ)くなるでアと怒鳴る聲を、よく聞くと母親の聲であつた。母親は布團をはいで息子の頭を叩いて居た。此話は夢であつた。

[やぶちゃん注:天狗譚・龍宮譚・「猿の経立(ふったち)」退治譚・異類婚姻譚をテンコ盛りにしつつ、エンディングは夢オチという、極めて面白い民譚で、相応の才力のある人物が構成したものと思われるが、最後に採取元が記されていないのが残念である。瑕疵とは言わぬものの、題名は別なものの方が、オチを推定されなくて、よいと思う。私は題名から結末が予想されてしまったからである。]

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