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2023/04/17

大手拓次 「わたしは盲者」

 

[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。

 以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。]

 

 わたしは盲者

 

感覺から思想へ、

わたしは自ら盲者と自任して

朝と夜とが懸崖の光點にたはむれるとき

はるかに、感覺の細い絃(いと)にひびく危案を感じ

ひとりはなれた黑い大鴉(おほがらす)の衰へた嘴(くちばし)の慈愛のやうに

命を獻じ、命を火焰の護送馬車のなかにいれて

さめざめと刹那の苦惱と冥合する向後(かうご)の愉樂をおぼえ、

自らは、大洋の潮(うしほ)にひかれる小魚の悲しみを保つて

神祕な、そしてろうろうとしてる存在の明け方に坐つてる。

わたしは自ら盲者と自任してる。

婚約の日に降りそそぐ魂の燈火(ともしび)のやうに靜寂の門口(かどぐち)に勇ましい二頭の馬をつなぐ。

 

[やぶちゃん注:「盲者」原氏がルビを振っていないことから、これは「まうじや」(もうじゃ)と読んでおく。

「火焰」底本は「火焔」である。「焔」の字には「熖」「燄」等の字体があるが、詩集「藍色の蟇」の「黃色い帽子の蛇」の五行目「火と焰との輪をとばし、」というフレーズの中の表記があることから、私は「焰」を選んだ。

「ろうろうとしてる存在の明け方」というフレーズから「ろうろう」は仮名遣からも「朧朧」(薄明るいさま)と断定してよいと思われる。

「燈火」の「燈」の字は底本に従ったものである。]

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