大手拓次 「わたしは盲者」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。]
わたしは盲者
感覺から思想へ、
わたしは自ら盲者と自任して
朝と夜とが懸崖の光點にたはむれるとき
はるかに、感覺の細い絃(いと)にひびく危案を感じ
ひとりはなれた黑い大鴉(おほがらす)の衰へた嘴(くちばし)の慈愛のやうに
命を獻じ、命を火焰の護送馬車のなかにいれて
さめざめと刹那の苦惱と冥合する向後(かうご)の愉樂をおぼえ、
自らは、大洋の潮(うしほ)にひかれる小魚の悲しみを保つて
神祕な、そしてろうろうとしてる存在の明け方に坐つてる。
わたしは自ら盲者と自任してる。
婚約の日に降りそそぐ魂の燈火(ともしび)のやうに靜寂の門口(かどぐち)に勇ましい二頭の馬をつなぐ。
[やぶちゃん注:「盲者」原氏がルビを振っていないことから、これは「まうじや」(もうじゃ)と読んでおく。
「火焰」底本は「火焔」である。「焔」の字には「熖」「燄」等の字体があるが、詩集「藍色の蟇」の「黃色い帽子の蛇」の五行目「火と焰との輪をとばし、」というフレーズの中の表記があることから、私は「焰」を選んだ。
「ろうろうとしてる存在の明け方」というフレーズから「ろうろう」は仮名遣からも「朧朧」(薄明るいさま)と断定してよいと思われる。
「燈火」の「燈」の字は底本に従ったものである。]